旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]13・・・幸手宿と権現堂

権現堂桜堤 街道は、幸手宿から栗原宿へと向かう途中で、権現堂と呼ばれる地域を通ります。この名の由来は分かりませんが、そこには、権現堂川と呼ばれる川があり、中川と合流する辺りには、見事な堤が残っています。この堤、権現堂桜堤と呼ぶそうで、一面を…

歩き旅のスケッチ[日光道中]12・・・杉戸宿から幸手宿へ

幸手市 杉戸宿に続く宿場は、幸手宿。なかなか、”さって”とは読めないような名前です。今は、他の多くの自治体と同様に、宿場の名前が由来となって、幸手市という名の地方都市に変わっています。 幸手市は、埼玉県の東部に位置し、南側は杉戸町、北と西は久…

歩き旅のスケッチ[日光道中]11・・・杉戸宿へ

杉戸町 春日部市の隣町は、杉戸宿がある杉戸町。街並みは、次第に都市の景色は遠ざかり、静かな、落ち着いた風景に変わります。この町は、南には春日部市、北側は幸手市(さってし)に隣接し、農地なども広がります。 杉戸町の中心地辺りの最寄りの駅は、西…

歩き旅のスケッチ[日光道中]10・・・粕壁宿から杉戸宿へ

曾良旅日記 松尾芭蕉と曾良(そら)が旅した、『おくのほそ道』の本文では、草加に続いて綴られているのは、今の栃木県栃木市にある、室の八島(むろのやしま)と呼ばれる神社。先の草加の宿場から、この室の八島まで、随分と距離が離れています。この間の長…

歩き旅のスケッチ[日光道中]9・・・越ケ谷宿から春日部へ

春日部市 越ヶ谷宿の次の宿場は、粕壁宿。今は、”春日部”と書きますが、かつての宿場町は”粕壁”です。この2つの漢字で表記される”かすかべ”には、古い歴史があるようです。粕壁から春日部になったのか、或いはまた、別の変遷があったのか。詳しくは分かりま…

歩き旅のスケッチ[日光道中]8・・・越ケ谷宿へ

越谷市 草加市を過ぎた街道は、越谷市に入ります。越ヶ谷の宿場がある、越谷市*1。この都市の名前だけは、聞いたことはあったのですが、関西人の私にとっては、ほとんど知らない街でした。 それでも、今回の歩き旅、前半の宿泊拠点は、越谷と決めました。東…

歩き旅のスケッチ[日光道中]7・・・越谷へ

草加松原 草加の宿場を過ぎた後、街道は、草加松原と名付けられた、松並木の道に入ります。綾瀬川の右岸に続く並木道。その延長は、2キロほどにも及びます。県道のすぐ隣に設けられたこの道は、車道とは隔離され、往時の道が再現されたようなところです。 …

歩き旅のスケッチ[日光道中]6・・・草加宿へ

草加市 埼玉県の街道は、草加市から始まります。草加と言えば、草加煎餅が余りにも有名で、煎餅こそが、この街の知名度を上げているようにも思えます。草加煎餅の存在以外、何も知らない私たち。どのような街なのか、期待を持って歩きます。 そう言えば、芭…

歩き旅のスケッチ[日光道中]5・・・荒川と草加への道

荒川越え 千住の宿場を過ぎた後、街道は、関東平野の大河川、荒川に迫ります。その昔、旅人たちは、この川を舟などで渡り越えていたのでしょう。今は、国道4号線に架かる橋、千住新橋を利用して、対岸に渡ります。 荒川を越えた先は、依然として、足立区の…

歩き旅のスケッチ[日光道中]4・・・千住宿

賑わいの街 かつて、千住の宿場町だった北千住。今も、たくさんの人々が往き来して、賑わいの街をつくっています。北千住駅の周辺や駅近くの街道筋は、人の波が途切れることはありません。 この街を南北に通過している、日光道中。道幅や道の流れは、往時の…

歩き旅のスケッチ[日光道中]3・・・千住の道と隅田川

芭蕉との出会い 奥の細道の旅に出た松尾芭蕉は、江戸深川の芭蕉庵を引き払い、まず、近隣の杉風(さんぷう・・・杉山市兵衛、芭蕉の門人)の採茶庵に居を移します。そして時を待ち、隅田川の舟旅へ。川の流れに逆らうように、ゆっくりと、上流を目指します。…

歩き旅のスケッチ[日光道中]2・・・浅草から南千住へ

浅草 浅草にある、浅草寺の雷門。その正面に延びる道が、日光道中だということを、今回初めて知りました。これまでに、何回か足を運んだ浅草寺。日光道中の道筋にある、歴史ある寺院だったのです。 この浅草寺、朱塗りの門と大提灯のある一角は、誰もが知る…

歩き旅のスケッチ[日光道中]1・・・日本橋から

日光へ 今回から、再び「歩き旅」のシリーズを始めます。描くのは、五街道のひとつである、日光道中の道筋と宿場町。江戸日本橋から歩き始めて、徳川家康が祀られた、日光東照宮を目指します。 私たちが、この街道を歩いたのは、昨年*1の10月と11月のこ…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]10・・・長谷寺と法起院(後編)

巡礼の起源 初瀬の町には、西国観音巡礼のゆかりの寺院が佇みます。法起院(ほうきいん)という名の小さなお寺、長谷寺の門前町が鍵型に折れる辺りに、ひっそりとその境内を隠しています。この法起院、長谷寺の開基である、徳道上人という方が、晩年に隠棲さ…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]9・・・長谷寺と法起院(前編)

西国巡礼の原点 長谷寺は、大和川が谷を削った山の斜面に、境内を構えます。今は、桜井市の東の外れ、古代の国(倭国=やまとのくに)の中心地、三輪の町から、少し東に入ったところです。初瀬(”はつせ”、あるいは、”はせ”)とも呼ばれるこの地域、信仰の山…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]8・・・岡寺

飛鳥の古刹 西国三十三所の次の札所は7番目、飛鳥にある、岡寺です。仏教が、日本の国に伝わったのは、6世紀の半ば頃。それからおよそ100年後、当時の日本の中心地、遠つ飛鳥*1の丘の上に、この寺院は建ちました。 日本における仏教の、原点でもある飛…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]7・・・南法華寺(壷阪寺)

飛鳥の奥地 6番から9番目の霊場は、大和の国を巡ります。まずは、6番札所の壺阪寺(つぼさかでら)。正式には、壺阪山南法華寺(つぼさかやまみなみほっけじ)と呼ぶようですが、通称名の壺阪寺こそ、よく知られた名前です。 6世紀後半から、およそ1世…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]6・・・葛井寺

河内の国へ 西国三十三所の次の寺院は、5番札所の葛井寺(ふじいでら)。和泉の国から河内の国へ、北に向かって進みます。 葛井寺のある場所は、藤井寺市の街の中。近鉄の藤井寺駅の近くです。住宅がひしめくところに姿を隠す霊場は、かつては、農地が広が…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]5・・・施福寺(後編)

空海と施福寺 4番札所の施福寺は、空海ゆかりの寺院です。前回にも少し触れた通り、遣唐使として長安に赴いた空海は、真言密教の正統な後継者として認められ、わずか2年で帰国の途に着きました。帰国後は、太宰府辺りでしばらく過ごし、その後、ここ施福寺…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]4・・・施福寺(前編)

山を越え 粉河寺(こかわでら)に続く札所は、和泉の国の施福寺(せふくじ)です。紀伊の国の北端の、険しい山々を北に進んで、なお平地には程遠い、槇尾山(まきのおさん)の山の中。かつて、遣唐使から帰国した空海が、京の都に赴くまでに、およそ2年の年…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]3・・・粉河寺

紀ノ川へ 紀三井寺の次の札所は、紀ノ川の中流にある粉河寺(こかわでら)。谷あいではあるものの、平地が残る粉河の町の、すぐ北の辺りに境内が佇みます。背後には、なだらかな丘が続いて、その先は、泉州との国を分ける、急峻な山脈です。 一方で、東に延…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]2・・・紀三井寺

北へ 西国三十三所の2番札所は、和歌山市の紀三井寺。熊野の地の青岸渡寺から、一気に北に向かいます。 かつては、都から熊野詣に訪れて、その目的を成就した後、帰りの道が巡礼の旅だったのかも知れません。那智山の熊野那智大社での参詣後、隣接する青岸…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]1・・・33霊場と青岸渡寺

西国三十三所 今回から、およそ10回は、「巡り旅のスケッチ[西国三十三所]」のシリーズを、お届けしたいと思います。 この「巡り旅」に関しては、過去に、四国八十八か所の巡拝の旅について綴ったのが最初です。その時は、空海の足跡を追いながら、また、…

歩き旅のスケッチ[甲州道中]62・・・旅の終わり(最終回)

上諏訪宿から江戸日本橋 甲州道中と呼ばれる街道は、信州の上諏訪宿と江戸日本橋とを結ぶ道。途中、甲斐の国の中心地、甲府の城下を経由して、深い山あいの道を辿ります。相模の国に入っても、大方は山の中。武蔵の国との境には、街道きっての難所と言われる…

歩き旅のスケッチ[甲州道中]61・・・日本橋へ

終着地へ いよいよ、五街道の結節点、江戸日本橋が迫ります。私たちの街道歩きも、今回で3回目。お馴染みの、日本橋の光景を、思い描いて進みます。 思えば、最初に歩いた中山道は、本郷から神田を通り、日本橋の北側へ。2回目の東海道は、新橋から銀座を…

歩き旅のスケッチ[甲州道中]60・・・江戸城へ

新宿から半蔵門へ 都心に入った街道は、内藤新宿を過ぎた後、四谷から江戸城の半蔵門へと向かいます。広々とした道筋は、もう、往時の町や道の姿はありません。 近代的な都会の景色が続く道。やがて、江戸城の半蔵門を視野に入れると、突如として、その雰囲…

歩き旅のスケッチ[甲州道中]59・・・新宿と内藤新宿

新宿区 街道は、渋谷から新宿へ。道幅はさらに広がり、高層ビルが並びます。 新宿は、新宿駅を境として、西新宿と東側の新宿の街に分かれます。西新宿は、都庁などの巨大なビルが林立し、副都心と呼ばれるところ。一方で、JR山手線を越えた先の新宿は、歌舞…

歩き旅のスケッチ[甲州道中]58・・・新宿へ

都心へ 街道は、高井戸の宿場町を通り過ぎると、いよいよ都心に迫ります。”甲州街道”の愛称で親しまれている国道は、途中、首都高速の高架道路に覆われて、どこか薄暗い道筋ですが、副都心に近づくと、一気に空が開けます。 辺りの様子は大きく変わり、都庁…

歩き旅のスケッチ[甲州道中]57・・・高井戸二宿へ

残された旧道 街道は、調布市から世田谷区に入った後で、杉並区、そして、渋谷区の北部地域をかすめるように東進します。宿場町は、上高井戸から下高井戸と渡りつないで、街道最後の宿場町、内藤新宿へと向かいます。 この街道のルートには、国道20号線を…

歩き旅のスケッチ[甲州道中]56・・・布田五カ宿から高井戸へ

京王線 調布市に入った街道は、すぐ右奥(南側)を走る京王線と、肩を並べて進みます。京王線には、幾つもの駅があり、街道を歩きつなぐ者にとっては、大変便利な区間です。あと一駅、もう一駅と歩みを進め、一気に距離を稼ぎます。 調布の街を通り過ぎても…