旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

2020-01-01から1年間の記事一覧

歩き旅のスケッチ[東海道]5・・・石部宿から水口宿へ(後編)

水口宿へ 野洲川の横田橋を渡ると、甲賀市に入ります。この先、近江路の街道には、水口宿と土山宿の2つの宿場が控えます。そしてその先は、鈴鹿の峠。少しずつ標高を上げながら、峠の先に広がる伊勢の国に思いを馳せて歩きます。 甲賀市へ 横田の渡しは、昔…

歩き旅のスケッチ[東海道]4・・・石部宿から水口宿へ(前編)

湖南市の街道 石部の町からしばらくは、再び栗東市の街道とよく似た雰囲気の道に戻ります。石部宿の次の宿場は水口宿。この間に、野洲川を渡ることになりますが、その辺りまでが湖南市です。 この区間は、野洲川沿いに形成された、細長い平地に集落が連なり…

歩き旅のスケッチ[東海道]3・・・石部宿へ

栗東から石部宿へ 栗東市の手原の町から、51番目の宿場町、石部宿(いしべじゅく)に向かいます。この区間の東海道は、幾つかの集落をつなぐように延びていて、沿道には歴史的な建物などが見られます。街道自体も、往時のままの道筋で、趣を感じるところで…

歩き旅のスケッチ[東海道]2・・・草津宿を発つ

草津追分から東海道へ 都から江戸を目指して歩くとき、草津宿は大津宿に続く2番目の宿場です。京都三条大橋から蹴上の坂道を上って山科を越え、逢坂の関を過ぎると大津の宿場に入ります。その先は、膳所(ぜぜ)、石山を経て瀬田の唐橋へ。さらに、一里山の…

歩き旅のスケッチ[東海道]1・・・東海道の風景

東海道を歩く 今回から、再び「歩き旅のスケッチ」を始めます。歩く道は東海道。江戸期になって整備がすすみ、多くの人々が往き交いました。江戸日本橋と京の都三条大橋を、53か所の宿場で結ぶ、往時の重要な街道です。 有名な五街道の中でも、圧倒的な存…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)28・・・伊予路(41番→40番)

伊予路の終わり 讃岐の国の88番大窪寺から逆回りで四国をほぼ半周し、ついに伊予の国の最終章になりました。残る札所はあと2か所。土佐の国に近づきます。 伊予の国の霊場は、四国4県で最も多い26。そのうちの幾つかは、険しい山岳の霊場です。それに…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)27・・・伊予路(43番→42番)

南予巡り 愛媛県の最も西側の地域は、南予と呼ばれているようです。伊予の国の南西の隅にあり、多くは山に囲まれていて、平地はほんのわずかしかありません。入り組んだ海岸沿いや、山間に点在する小さな盆地に、主として、街や集落が開けています。 この地…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)26・・・伊予路(44番と大洲)

愛媛県西部へ 愛媛県にある四国八十八か所の霊場は26。私たちは、これまで21か寺の参拝を終え、残すところ、あと5か寺となりました。 次の札所の44番大宝寺は、45番岩屋寺へ向かう途中にあった久万高原町にある古刹です。一旦、もと来た道を引き返…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)25・・・伊予路(45番岩屋寺)

久万高原へ 西条市にある60番横峰寺を終えた後、46番浄瑠璃寺までの霊場は、市街地近くに位置していて、車での巡礼はそれほど苦にはなりません。 次の札所の45番岩屋寺は、愛媛県と高知県を隔てる、四国山地にある険しい山の中の古刹です。巡礼は、再…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)24・・・伊予路(48番→46番)

松山の最終章 松山に残る札所は、あと3か寺となりました。目指すは、松山の最南部。市街地から離れて、険しい山が連なる四国山地の麓の里へと向かいます。 48番西林寺へ 浄土寺を後にして、南の方角に向かいます。景色は次第に農地が増えて、交通量もまば…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)23・・・伊予路(50番→49番)

松山の郊外へ 松山は、夏目漱石の”坊っちゃん”で余りにも有名な街ですが、漱石の友人で、この街に生まれた正岡子規も、松山を代表する人のひとりです。 藩士の子として生を受け、黎明期の明治時代に幼少期を送った後、東京へと向かった正岡子規。文化人とし…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)22・・・伊予路(51番石出寺と松山)

道後温泉の街、松山 四国の中で、最も多くの人口を抱える松山市。市の中心部には高層ビルが立ち並び、路面電車が往き交います。愛媛県庁や中心商店街のすぐ北側には、松山城を擁する城山が構えていて、さながら街中の緑のオアシスです。 城山から東に向かっ…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)21・・・伊予路(53番→52番)

松山へ 今治市の6か寺を急ぎ足で周った後は、瀬戸内海の海岸伝いに松山市へと向かいます。 松山と言えば、道後温泉があまりにも有名で、是非とも立ち寄りたいところです。夏目漱石の「坊っちゃん」も愛した共同浴場の温泉は、今も古風な姿を残し、多くの観…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)20・・・伊予路(56番→54番)

今治の市街地 今治市にある6か所の霊場のうち、残る3か所は市の中心部に位置します。特に、55番南光坊は、今治駅や市役所にもほど近く、隣接する大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)とともに、市民の憩いの場のようなところです。 今治市と言えば、今治…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)19・・・伊予路(59番→57番)

今治へ 西条市の北隣りは、今治市。本四架橋の尾道・今治ルート(通称、しまなみ海道)で本州と結ばれた、四国の一つの玄関口です。 この今治市にも、四国八十八か所の霊場は6か所あって、西条市とともに、多くの札所が集まる地域です。 59番国分寺へ 奥…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)18・・・伊予路(60番横峰寺)

山岳の霊場 これまでも、険しい山の中にある霊場を幾つか訪れてきましたが、次の横峰寺は、車で向かうのにも困難な、急峻な深い山にある古刹です。 車での遍路の場合、大抵は、道路も舗装され、あるいはロープウエイなどを利用して、山の頂へも辿り着くこと…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)17・・・伊予路(62番→61番)

特色ある2つの霊場 西条市にある、次の2か所の霊場は、ある面で特色がある札所です。 62番宝寿寺は、数年前、霊場会との関係が正常ではなかった時があり、巡拝者の戸惑いを誘うことになりました。もう一つの、61番香園寺は、その建物が特徴的。一見、…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)16・・・伊予路(64番→63番)

西条市へ 瀬戸内海の中央部は、二つの本四架橋に挟まれて、海が広がるところです。四国の地形は、この区間が南にくびれたような形状で、そのくびれた海岸沿いに、西から、四国中央、新居浜、西条の各市が並びます。 前回紹介した、65番三角寺は四国中央市…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)15・・・伊予路へ(65番三角寺)

讃岐から伊予へ 讃岐の国の巡拝は、前回で終了です。次は、四国第2の面積を有する伊予の国に入ります。 愛媛県にある、四国八十八か所の霊場の数は26。65番札所から40番札所まで、県内全域に散らばります。4県で最も多い霊場を抱える伊予の国。ここ…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)14・・・讃岐路(67番→66番)

讃岐路の終わり いよいよ、讃岐路の終盤です。残る2つは、三豊市の大興寺と、香川県と徳島県の境に位置する雲辺寺。 讃岐の国で、険しい山の中の霊場を幾つか巡ってきましたが、最後に控える雲辺寺は、どことも比較にならない険しさです。讃岐山脈の西のは…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)13・・・讃岐路(70番→68番)

三豊市から観音寺市へ 三豊市は、平成の合併で新たに市制がしかれたところです。北西は、瀬戸内海に面しながらも、険しい山が海岸に迫り平地はそれほどありません。また、南東は、讃岐山脈の西の端。深い山が連なります。 この双方の山の合間に、盆地のよう…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)12・・・讃岐路(72番→71番)

曼荼羅の世界 曼荼羅(まんだら)は、密教との関りが深い仏教絵図として知られています。私たちが何気なく有名な寺院を訪れた時、たまに見かける古い絵で、中央に大日如来を配置して、その周りに何体かの(あるいは、数多くの)仏様が囲むような図柄です。 …

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)11・・・讃岐路(74番→73番)

善通寺市郊外の3寺院 善通寺市にある88か所霊場は、合わせて5か寺。これまでの金倉寺、善通寺を除くと、あと3か寺です。 いずれの霊場も、空海が生まれた善通寺から、それほど離れたところではありません。むしろ、往時としては、空海たちにとっては庭…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)10・・・空海の生誕地、善通寺

空海の生誕地 空海は、西暦774年、四国八十八か所霊場の第75番札所である、今の善通寺で生を受けました。時は、奈良時代末期。世の中は大きく動き始めている頃で、この後、遷都の波が押し寄せます。 桓武天皇が長岡京への遷都を命じたのが884年のこ…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)9・・・讃岐路(76番→75番)

空海の出生地 四国八十八か所霊場は、76番札所から善通寺市に入ります。善通寺市は、名前の通り善通寺の門前町。空海の生誕地としても有名です。 この地に生を受け、幼少の頃から天才的な才能を発揮していた空海は、どのような日常を送っていたのでしょう…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)8・・・讃岐路(78番→77番)

宇多津と多度津 天皇寺を後にして、県道33号を坂出市の中心部方面に向かいます。坂出は、瀬戸大橋の結節点で、児島・坂出ルートの四国側の起点です。県道は、市街地を横断して橋に続く瀬戸中央自動車道の高架下をくぐり抜け、西隣の町、宇多津町へと入りま…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)7・・・讃岐路(80番→79番)

再び讃岐路へ 白峰寺を後にして、五色台を横断する山中の道路を一気に西側に下ります。そこは再び讃岐平野が広がる地域。丘陵地なども見えますが、その先は、平地が広がります。 この辺りは、住宅地や集落が中心で、高層ビルはそれほど多くはありません。四…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)6・・・讃岐路(81番)

白峰寺と崇徳上皇 五色台の西の端、白峰の中腹辺りにある81番白峯寺は、先の根香寺と同様に弘法大師と智証大師が開いたという霊場です。そして、この白峯寺はもう一つ、平安時代の後期に即位した、崇徳天皇(後に上皇)にゆかりがある寺院でもあるのです。…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)5・・・讃岐路(83番→82番)

高松へ 屋島寺を後にして、高松の市街地に向かいます。高松市は、人口40万人を超える四国有数の大都市です。市街地にはビルが密集し、街中は車が行き交います。 高松城跡は海の近く。街の中心部を南北に貫く大通りを南に向かうと、通りの右手には栗林公園…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)4・・・四国遍路と空海

四国遍路と弘法大師信仰 四国八十八か所の巡拝は、弘法大師ゆかりの寺院を巡る旅と言われています。しかし実際は、弘法大師の弟子たちや後の人々によって徐々に形づけられてきたもので、弘法大師信仰の象徴です。 今からおよそ1250年前、西暦774年に、讃岐の…