旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)24・・・伊予路(48番→46番)

 松山の最終章

 

 松山に残る札所は、あと3か寺となりました。目指すは、松山の最南部。市街地から離れて、険しい山が連なる四国山地の麓の里へと向かいます。

 

 

 48番西林寺

 浄土寺を後にして、南の方角に向かいます。景色は次第に農地が増えて、交通量もまばらです。途中から、道は真っ直ぐに延び、辺りは農村の風景へと近づきます。

 次の西林寺(さいりんじ)は、この直線状の県道に沿った左側。寺院と道を隔てた白壁で、その存在が分かります。駐車場は、白壁を越えたすぐ先です。前方には、小さな川がながれていて、その手前を左に曲がったところに駐車場がありました。

 

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※駐車場から仁王門に向かいます。

 

 西林寺

 駐車場の奥には立派な仁王門があり、そこから境内へと進みます。仁王門から続く参道の正面が本堂で、その右隣りに大師堂。2つのお堂が隣り合わせで並びます。

 納経所は、仁王門をくぐった左手にあり、きれいに整備された小さなお庭が印象的なところです。

 

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※本堂と大師堂。

 

 西林寺では、境内に掲げられた寺伝の解説の一節に、次のような伝説が記されていました。

 寺伝よると、弘法大師は、干ばつに悩む村人を助けるために、杖でこの地の地面を突いたところ、水が湧き出たということです。その後、清水に恵まれた土地ということで、西林寺には、清滝山の山号がつけられたとのこと。

 

 讃岐の国と同様に、伊予の国も、昔から干ばつには悩まされていたようです。今もあちこちにため池があり、用水の確保に苦労されている様子です。

 讃岐での、弘法大師による満濃池の改修工事は史実としても有名ですが、水利にまつわるこのような伝説も、あながち、すべてが作り事ではないような気がします。

 

 47番八坂寺

 西林寺から、県道をさらに南に向かって進みます。山が近づき、谷あいに細くつながる集落の中を進んで、細く緩やかな坂道を上ると、厳かな、神社風の山門が見えました。ここが47番八坂寺(やさかじ)です。

 駐車場は、山門の左脇をさらに少し上に向かったところです。車を置いて、山門の正面へと戻ります。

 

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※左、駐車場から八坂寺の境内を望みます。右、正面にかかる橋と仁王門。

 八坂寺

 八坂寺の正面は、少し変わった構えです。数段の石段を上ったところに、唐破風状の屋根で覆われた小さな石橋がかかっています。石橋の欄干は朱色に染められ、その奥に仁王門という具合です。

 仁王門をくぐると、すぐ右手には、庫裏や納経所などの建物がありました。正面前方には石段が続き、その上に本堂です。本堂は、鉄筋コンクリート造りのような建物ですが、屋根は本来の木造の雰囲気です。

 大師堂は、本堂のすぐ左側にありました。  

 

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※本堂。

 衛門三郎

 「巡り旅のスケッチ(四国巡拝)22」の、51番石出寺のところで触れたように、八坂寺は、衛門三郎に由緒がある寺院です。*1
 三郎の出身地である荏原郷は、この八坂寺の寺領だったということで、伝説の、弘法大師との遭遇は、この辺りだったのかも知れません。

 八坂寺は、また、衛門三郎の菩提寺でもあるらしく、その名残が各所に残されているということです。

 

 46番浄瑠璃寺

 浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、八坂寺のすぐ南。車で5分もあれば到着です。道中、集落の中の、少し細くなった道を進んでいくと、境内裏の駐車場に行き着きます。

 駐車場はそれほど広くはありません。夏のこの時期は、参拝者は多い時期ではないために、混み合うことはないはずですが、私たちが訪れた時、駐車場は満杯でした。

 その理由は、弁天池の蓮にありました。丁度この時期、浄瑠璃寺の池の蓮は見頃を迎え、多くの見物人で賑わっていたのです。

 

 私たちは、何とかスペースを見つけて駐車して、裏から境内へと向かうことができました。

 

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※左、本堂。右、大師堂。

 浄瑠璃寺
 駐車場に車を停めて、裏手から境内に入ります。本堂の裏の奥には、先ほどの弁天池があるようですが、先ずは参拝を優先です。

 本堂の背後を回り込むようにして境内に入ると、そこは木々に覆われて、森のようなところです。本堂もその右の大師堂も、歴史を感じる建物で、太陽の光が遮られた木々の合間に厳かに佇みます。

 

 境内には、松山市の天然記念物とされる、イブキビャクシンの大木がありました。見事な幹の足元には、幾つもの石像などが集められ、地元の方の信仰の様子が窺えます。

 

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※イブキビャクシンの大木。

 

 イブキビャクシンの大木を左に見て、本堂の向かい側に進んで行くと、本来の入口です。石段を下りて周囲を見回すと、寺院の壁が境内を取り囲み、趣ある景観です。

 

 弁天池の蓮

 参拝の後は、蓮池の見学です。本堂の裏へと戻り蓮池に向かうと、たくさんの見物客やカメラを構える人の姿が見えました。

 弁天池は、それほど大きな池ではないものの、蓮がびっしりと群生しています。蓮の花は見頃というより、まだ少し早い時期かも知れません。それでも、まばらに咲き誇る白やピンクの花の姿は、可憐という言葉がそのまま当てはまるような光景です。

 

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※弁天池の蓮畑。

 

 これで松山の8か寺は終了です。この後は、一気に四国山地に分け入って、愛媛の厳しい自然の中にある霊場へと向かいます。

 

*1:衛門三郎の伝説については、前出のブログをご覧下さい。