旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)5・・・讃岐路(83番→82番)

 高松へ

 

 屋島寺を後にして、高松の市街地に向かいます。高松市は、人口40万人を超える四国有数の大都市です。市街地にはビルが密集し、街中は車が行き交います。

 高松城跡は海の近く。街の中心部を南北に貫く大通りを南に向かうと、通りの右手には栗林公園の森が広がります。

 

 

 83番一宮寺

 高松市の中心部から南に向けて数キロ走ると、郊外の住宅地が広がります。次第に農地が見られるようになると、一宮の町が近づきます。主要道路を西に入り、少し細い道路を進んだところ、高松南高校のすぐそばに、一宮寺の駐車場がありました。農業用水が清らかに流れるその際に車を停めて境内に向かいます。

 駐車場から境内までは、少しだけ水田が残っていて、緑濃い稲の間の水面には、愛らしいオタマジャクシの姿が見えました。

 境内への入口は、西門で、門をくぐると左手が本堂です。

 

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※左、駐車場からのアクセス。右、西門。

 

 一宮寺

 一宮寺(いちのみやじ)は、それほど大きな境内ではありません。それでも、木々が美しく整備され、お堂などの建物とほどよく調和しています。本堂近くのクスノキは、枝葉が大きく茂っていて、真夏の陽光を和らげます。

 本堂に向かって右手には大師堂。仁王門は、本堂正面から真っすぐ延びる境内のその先です。

 

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※左、本堂。右、仁王門。

 

 車でこの寺を訪れるとき、仁王門は裏手となってしまうのですが、四国霊場第八十三番札所を告げる石柱は、一宮寺の存在感を誇っているように感じます。

 平幡良雄氏の「四国へんろ」という解説書には、一宮寺にはかつては人気の宿坊が完備されていて、多くのお遍路さんたちが利用されていたと紹介されています。境内には、今も「三密会館」と呼ばれる施設があって、講習会などに活用されているようです。

 

 宿坊

 宿坊は巡拝者の宿として、かつては多くの霊場に設けられていたようです。特に歩き遍路の場合は、夜遅くに目的地に辿り着くこともあるでしょう。夜露をしのぐばかりでなく、温かい食事や寝枕は、疲れた体を休めるために不可欠だったに違いありません。

 ところが近年は、その役割は次第に薄れてきている様子です。私たちのような、車で巡る遍路では、街中のホテルや温泉宿などを気ままに選ぶことが可能です。いかにも今日的な巡拝が主流になってきている中で、宿坊の役割もさらに変わっていくのかも知れません。

 宿坊は、基本的にはそれぞれの霊場が営まれている施設です。今でもお遍路さんたちを受け入れておられるところもありますが、既に閉鎖されている施設も見かけます。朽ちかけたかつての宿坊らしき建物を眺めると、一抹の寂しさも感じます。

 

 霊場の近くや遍路の道中には、巡拝者のために設けられた、それと分かる旅館や民宿なども見かけます。歩いて八十八か所を訪ねる道中では、そうした宿や宿坊が頼りです。私たちも、一度そのような宿を利用したことがありますが、普通の旅館やホテルでは味わえない温かさとおもてなしがありました。

 施設自体は質素ながら、見知らぬ人と食卓を囲い遍路の会話を楽しむことも、また一つの四国巡礼の姿です。

 

 82番根香寺

 一宮寺を後にして、再び高松市の中心部に向かいます。その後、進路を西に向け、坂出市との間に立ちはだかる五色台の山道に入ります。

 五色台は、北は瀬戸内の水際まで張り出している一種の山地。その山地には、幾つかの峰があるようです。中でも、青峰・赤峰・白峰・黒峰・黄峰と称される五色の峰の愛称は、いかにも五色台を象徴するような名称です。

 見晴らしの良い展望所は黒峰にあるようで、主要道路の北側の山中です。一方の根香寺は青峰にあり、展望所とは反対の位置。主要道路から南に入り、鬱蒼と茂る木々の間の道路を進みます。*1

 

 根香寺

 山道を3Kmほど上ったところに根香寺(ねごろじ)は佇みます。駐車場は仁王門のすぐ脇です。車から降り、すぐに境内に入れます。

 仁王門をくぐった正面には、一段低くなった地形の中を、参道がつづきます。左右から木々が覆うこの参道は、本堂に向かって真っ直ぐに延びていて、それこそ厳かな雰囲気です。視線の先の石段を上ると、さらにその先も石段です。傾斜の上に向かって境内がのびていて、その奥が本堂です。

 大師堂は、本堂の手前の右手にあって、この辺り、幾つかのお堂などが配置されています。

  

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※左、仁王門。右、入り口付近の参道。

 この寺の特徴は、本堂をとりまく回廊です。本堂から回廊に下りると、薄暗く伸びる空間に、たくさんの手のひら大の観音像が並べられています。整然と並ぶ、万体観音と呼ばれる無数の像は、寄進とつながりがあるのでしょう。

 信仰厚い方々が寺院に寄進することで、観音像を据え置いて、そのことにより、いつもここで祈りを捧げられているような情景です。

 

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※左、本堂。右、本堂に続く回廊内。

 

 智証大師

 根香寺の縁起は、空海のこの地への訪問にあるとされているようですが、後に智証大師(ちしょうだいし)による伽藍の建立が行われ、寺院としての確立をみて今に至っているということです。

 智証大師は、元の名を円珍といい、最澄天台宗を引き継いだ人。従って、今もこの根香寺天台宗の寺院です。四国八十八か所霊場は、その大半が真言宗の寺院でありながら、そうでないところもあるのです。

 

 円珍空海と同じく讃岐の出身です。しかも空海の親戚にあたり、空海の姪が円珍の母ということです。76番目の札所である、善通寺市金倉寺(こんぞうじ)辺りで生を受けられ、金倉寺円珍ゆかりの寺院です。

 後の「巡り旅のスケッチ」でも、もう少し智証大師について触れてみようと思います。

 

*1:次回紹介する81番白峯寺は、名前の通り白峰にある霊場です。