旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)16・・・伊予路(64番→63番)

 西条市

 

 瀬戸内海の中央部は、二つの本四架橋に挟まれて、海が広がるところです。四国の地形は、この区間が南にくびれたような形状で、そのくびれた海岸沿いに、西から、四国中央、新居浜、西条の各市が並びます。

 前回紹介した、65番三角寺四国中央市にある唯一の札所です。そして、次に向かうのが、西条市。ここには、5か寺が集中します。

 

 64番前神寺

 三角寺を出た後は、松山自動車道を利用して、一気に西条市方面に向かいます。国道11号も、自動車専用道路とほぼ並行して走ってはいるものの、効率を考えたら、俄然高速が有利です。いよ西条インターチェンジで高速を降りれば、すぐに国道11号につながります。

 次の札所の前神寺(まえがみじ)から、61番香園寺(こうおんじ)までの4か寺は、国道11号の沿線付近に位置していて、テンポよく回れるところです

 

 前神寺への目印は、国道脇左手に見える石鎚神社の大鳥居。ここをくぐって、さらに左折した奥に前神寺の駐車場がありました。

 

 前神寺

 駐車場から100メートルほど、小さな石像を眺めながら林の中の小道を進むと、左手にコンクリート造りの立派な庫裏が見えました。

 本堂は、そこから右手奥。まさに、四国山地の山裾の際に境内が続いているようです。木々が覆う参道を進んで行くと、一段高くなったところが少し開けて、正面に本堂が見えました。

 本堂の屋根は、唐破風と千鳥破風が縦に並んだ形をなして、荘厳です。また、お堂の左右には、鳥が翼を広げたように、美しい屋根を配した回廊がありました。一見、神社の拝殿のようにも見える本堂の建築様式は、前神寺という、”神”が付いた寺院の名とつながりがあるのかどうか、興味深いところです。

 

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※本堂。手前右手の鳥居が、石鉄権現とつながっているようです。

 前神寺の大師堂は、本堂を引き返し、庫裏がある入口のすぐ傍です。

 この寺は、西日本の最高峰といわれる、石鎚山の山頂にある「石鉄(鎚?)権現」との関係もあるようです。”前神”という名称も、ここから由来しているのかも知れません。

 

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※左、正面奥が本堂。右、大師堂。

 

 63番吉祥寺へ

 前神寺を出て、再び国道11号に戻ります。2Kmほど車を進めると、吉祥寺(きちじょうじ)を示す標識が現れます。吉祥寺は、標識どおり右折して、すぐのところにあるために、迷うことはありません。ただ、専用駐車場が少し離れているために、JA西条氷見支店を目指す方がよりスムーズに駐車場に入れます。

 駐車場からは、JA前を通り過ぎ、左に折れて、清らかな水が流れる水路に沿った細い道路を進みます。白壁と水路の景色が奥ゆかしくて、心が落ち着くところです。

 

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※吉祥寺の山門。象の石像は珍しいのではないでしょうか。

 吉祥寺

 白壁が途切れたところが吉祥寺の入口です。水路に架かる石橋の向こうには、左右に置かれた一対の小さな象の石像がありました。石像の間をすり抜けるとその向こうが山門です。

 山門をくぐると、小じんまりとした境内に入ります。砕石が敷かれた境内の、正面のやや左手奥が本堂で、その左側に大師堂が続きます。

 

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※本堂と、左にわずかに見える大師堂。

 

 吉祥天像

 本堂と大師堂での参拝を終え、納経所に向かう途中に、弘法大師像と並ぶ吉祥天(きっしょうてん、または、きちじょうてん)の石像がありました。

 吉祥寺の名称と符合する吉祥天。寺院の名とつながりがあるのでしょう。

 そういえば、この古刹の本尊は、四国八十八か所霊場で唯一の毘沙門天ということです。吉祥天は毘沙門天の妃とも言われていて、これらは、古代インドの思想が起源とされる神仏です。

 四国巡拝を続けていると、時々、毘沙門天の像や名前が目に止まります。詳しくは分かりませんが、弘法大師にとっては、毘沙門天への思いは格別なのかも知れません。

 

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※境内の弘法大師像と吉祥天像。

 密教の起源

 そもそも密教の起源は、古代インドにあるようです。かつて、中央アジアで勢力を増したアーリア人がインドに入り、その中で、様々な魔術や呪術を使って思索の世界を極める人たちが現れます。その人々は、聖者などと崇められ、崇拝の対象へと進化することに。

 そして、思索の方向は、抽象的・形而上的に発展し、宇宙の真理を追究する方向へと昇華していきます。

 仏教自体も、このような流れの中で派生してくるようですが、密教とは、思考対象が異なります。

 司馬遼太郎の『空海の風景』では、このあたりの相違を、ごく短文で表現された箇所があり、興味深い一文です。

 

 「現生を否定する釈迦の仏教に対し、現生という実在もその諸現象も宇宙の真理のあらわれである、ということを考えた密教の創造者は、宇宙の真理との交信法としての魔術に関心をもった点が、釈迦といちじるしく異なっている。」

 

 このような密教へのアプローチを続けた空海にとって、インドという地は、憧れの国だったことでしょう。彼の地で生み出された神仏を目にするとき、あるいは、自らがインドの地に存在するような高揚感を覚えたのかも知れません。

 吉祥寺の本尊や、吉祥天の石像を思い出すとき、空海のそんな気持ちも、ふと考えてしまいます。