旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]22・・・善峯寺

 西山へ

 

 京都市内の札所巡りを終えた後、その後は、一気に郊外へと向かいます。続く札所の善峯寺(よしみねでら)は、京都盆地のさらに西。京都市と隣接する、向日市長岡京市を通り過ぎ、大阪府と隣接する山中に境内を構えています。ただ、善峯寺の所在地は、京都市西京区大原野。元々、大原野村という、独立した自治体だったようですが、昭和34年の合併で、京都市編入されたということです。

 この善峯寺がある辺り、通称、西山と呼ばれています。都の西に連なる山は、日が沈む方角にあり、都人には、黄泉の国とも通じるような、特別な場所だったことでしょう。

 

 

※善峯寺のパンフレットより。

 

 山門へ

 第20番目の札所である、善峯寺へと向かう道は、府道208号線。幅の狭い坂道を、蛇行を繰り返しながら上ります。途中には、古くからの集落もありますが、ちょっとした食堂などもあったような気がします。

 やがて、右方向に立派な駐車場の導入ゲート。ゲートを抜けて、さらに奥へと向かいます。その先には、立派なコンクリートの建物(文殊寺宝館)があり、建物下を潜り抜ける導線です。

 奥へ奥へと進んで行くと、突き当りは最先端の駐車場。境内の至近の位置に車を停めて、観音霊場へと向かいます。

 

※東門への道。

 

 境内へ

 駐車場からすぐ先の、そこそこ急な坂道を上ります。植え込みが丁寧に刈り込みされて、すっきりとした導線を作っています。

 見上げると、「日本一の松」と刻まれた、大きな石柱がありました。そこには、「天然記念物 遊龍」とも書かれています。境内には、”ゆうりゅう”と名付けられた有名な松があるようです。

 

 山門

 東門をくぐった先を、もう少し上って行くと、今度は立派な山門です。楼門の姿を有したこの門は、金剛力士像も祀られていて、重厚な雰囲気を放っています。

 私たちは、ここで入山料500円を支払って、境内へと入ります。

 

※重厚な雰囲気漂う山門。

 山門からは、正面奥に本堂が望めます。真っ直ぐ延びる参道と本堂に延びる石段が、歴史ある境内の構造物と調和して、見事な空間を作っています。

 

※山門から境内を望みます。

 

 本堂

 参道を本堂へと向かって行く途中には、青銅製の立派な灯籠が置かれています。外部の邪気を払うように、真正面に構えています。

 参道は、真っ直ぐ進んで石段へ。右側は、石垣が配されて、その上は白壁が囲っています。

 

※燈籠から本堂へ。

 

 石段を上り進むと、正面が本堂です。柱には、「西国第二十番 観音堂」と書かれています。十一面千手観音菩薩像をお祀りするこの本堂。数多い、善峯寺のお堂の中で、”観音様がおられるところ”であることを、より分かり易く示しているのだと思います。

 因みに、この寺院には、阿弥陀堂や釈迦堂など、仏像の名前を冠した幾つかのお堂があるようです

 私たちは、本堂でお参りし、御朱印を頂きます。

 

※本堂(観音堂

 経堂と多宝塔

 参拝を終えた後、左手の一段上の境内には、多宝塔や小さなお堂が見えました。また、そこに上る石段の手前には、遊龍の松への案内です。よく見ると、石垣の直ぐ上には、左右につながる松の枝。おそらくそれが遊龍の松でしょう。

 私たちは、直接そこへは上らずに、本堂の脇を通って、少し奥から松の方へと向かいます。

 

※多宝塔や遊龍の松が上方に望めます。

 

 阿弥陀堂への坂道

 本堂脇を過ぎた先は、阿弥陀堂へと延びている緩やかな坂道です。12月の初旬であっても、まだ、名残の紅葉も見られます。どこか、裏寂しくもありますが、その分、奥ゆかしさが深まるような光景です。

 この坂道を少し上って、右へと折れる石段を上ります。

 

阿弥陀堂へと向かう坂道。


 経堂など

 石段を上り進むと、すぐ先が経堂です。扉から中を覗くと、少し変わった色彩調の仏像がありました。

 お寺で頂いた資料を見ると、この方は、中国の高僧のよう。このお堂には、この方が関連する重要な教典などが納められているのでしょう。

 

※経堂。

 

 遊龍の松

 経堂や多宝塔の前面は、それほど広い敷地ではありません。それでも、立派な植え込みや、先ほどから触れている遊龍の松などが植えられていて、特別な雰囲気を醸しています。

 

※遊龍の松の見事な枝ぶり。

 もう少し先に進むと、松の様子がはっきりと分かります。波打つような松の葉の塊が、長々と続いています。

 資料には、現在全長37mと書かれています。国指定の天然記念物のこの松は、安政4年、花山前右大臣厚公により”遊龍(ゆうりゅう)”と名付けられたと言うことです。

 

※遊龍の松。

 善峯寺のこと

 最後に、善峯寺のことについて、少しだけ触れておきたいと思います。

 この寺は、西国観音霊場の第20番目の札所であり、各地から多くの人が訪れます。元々、平安中期に開かれたようですが、鎌倉期や室町期に隆盛を極めた様子です。

 その後、応仁の乱により、大半の坊が焼失したとのことであり、以後、荒廃の期間などもあったのだと思います。

 この寺が、現在の姿に復興したのは、江戸時代。徳川5代将軍綱吉の母、桂昌院によるものです。庶民から将軍の母となった桂昌院。「桂昌院出生の由緒により」この寺に祀られている薬師如来は、「『出世薬師如来』と云われる」との説明書きが、寺の資料に書かれています。

 

 天気が良ければ、境内から、長岡京の街並みなどが見下ろせるのかも知れません。今回は、あいにくの曇天で、遠方の景観を観ることができません。また、いつの日か、訪れてみたいと思います。