旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)35・・・土佐路(30番→28番)

 高知市の東部へ

 

 五台山の竹林寺に続く3か所の霊場は、高知市の東に位置します。それぞれが、車で20分ほどの位置にあり、高知市から、南国市、香南市(こうなんし)へと進みます。 

 土佐の国は、太平洋を抱き込むように、東西に翼を伸ばす姿です。その東の先端は、弘法大師ゆかりの地である、室戸の地。土佐の国の巡拝も、いよいよ佳境を迎えます。

 

 

 善楽寺土佐一宮

 次の札所の30番善楽寺(ぜんらくじ)は、高知市の北東部、一宮というところにある寺院です。地名の通り、土佐の国の由緒ある神社がここにあり、善楽寺は、神社と一帯となった敷地の一角に佇みます。

 善楽寺に続く札所は、29番国分寺。一宮や国分寺の名前を聞くと、この辺りがかつては土佐の中心地だったことが分かります。

 

 高知市の市街地から善楽寺へは、整備された県道を通ると、わずか15分ほどで到着です。県道に架けられた、札所の案内標識に従って左に折れると、すぐ目の前に、立派な山門が建っていて、境内へは、その左脇の道をさらに奥へと進みます。

 この山門は、土佐神社の楼門ということですが、どう見ても、寺院の仁王門としか思えません。

 

f:id:soranokaori:20210501110350j:plain

土佐神社の楼門と土佐神社の解説(右下のエンジの看板)。

 

 土佐神社

 土佐一宮は、土佐神社(都佐神社)とも呼ばれていて、由緒ある神社です。楼門前の解説には、「御祭神は”味鋤高彦根(アジスキタカヒコネ)神”(別名は、一言主神(ヒトコトヌシノカミ))、雄略天皇(5世紀後半)時代の創建で、土佐の総鎮守である。」と記されています。

 偶然のことではありますが、最近、司馬遼太郎の「街道を往く(葛城みち)」を読んでいたところ、この土佐神社の逸話を知ることになりました。ここで、その内容を詳しく綴ることはできませんが、ごくごく、あらすじをご紹介すると、次のような内容です。

 

 5世紀に、大和朝廷を治めていた雄略天皇が、葛城の山中で一言主神と出会い、双方がけんかをして、結局、天皇一言主神を土佐に流してしまうというものです。

 

 一言主神が流された土地こそ、この土佐神社の辺りという訳で、雄略天皇のお話は、土佐神社の縁起と接点があるようです。

 「街道をゆく」の中でも、この土佐神社のことは触れられているのですが、神話のような現実の伝承のような、いかにも不思議なお話が、現に神社の存在として今日に伝わっているという、時空を超越した事実の存在に、驚かざるを得ない気持になりました。

 

 善楽寺

 それはさておき、私たちは、楼門を右に見て、真っ直ぐと奥に延びる道を進みます。右手は、参道になりますが、左側には住宅地が連なります。そこそこ奥に進んだところで右折して、土佐神社の敷地に入ります。その後、神社敷地を横切ると、善楽寺の駐車場。境内は、駐車場のすぐ傍です。

 

f:id:soranokaori:20210501110427j:plain

善楽寺の境内。

 

 善楽寺の境内は、スッキリとした印象のところです。木々もきれいに手入れされ、すべてが整然とした感じです。

 駐車場から境内に進むと、右奥が本堂で、その左側が大師堂。さらに左が納経所という順番です。

 

 そもそも、かつては神仏習合の世の中だったということで、仏教と神道は、それほど疎遠の中ではなかったのかも知れません。この善楽寺。楼門とそこから続く参道は、土佐神社との共用のような恰好です。

 土佐一宮の街の中に、二つの霊地が肩を寄り添え佇みます。

 

f:id:soranokaori:20210501110508j:plain
f:id:soranokaori:20210501110551j:plain

※左、本堂。右、大師堂。

 

 国分寺

 次の札所は、29番国分寺善楽寺を出て、高知平野の北の裾を通過する県道を、東へと向かいます。途中、右手の方向に、高知大学医学部の建物を見て、その少し前方から右方向に進んで行くと、南国市国分の地域に入ります。

 国分寺の境内へは、少し細い道を入るのですが、辺りには農地が広がり、すがすがしいところです。

 農地の奥には、小さな集落の塊があり、国分寺はその中の一角です。集落の入口にある駐車場に車を停めて、村の中の幅の狭い道を歩きます。しばらくすると、左手に立派な仁王門が現れて、その先が国分寺の境内です。

 

f:id:soranokaori:20210501110745j:plain

国分寺の仁王門。

 

 国分寺

 国分寺の境内は、広々としたところです。これまで、讃岐、伊予の国分寺を見てきましたが、いずれも敷地は広大です。ただ、今回の、土佐の国の国分寺は、他の二つと比べると、少し小さめかも知れません。

 

f:id:soranokaori:20210501111058j:plain

国分寺の境内。

 

 仁王門を通り抜け、真っ直ぐに奥へと進んだところが本堂で、大師堂は、本堂の左側。二つのお堂を参拝し、納経所へと向かいます。

 

f:id:soranokaori:20210501110923j:plain
f:id:soranokaori:20210501110840j:plain

※左、本堂。右、大師堂。

 

 国分寺の納経所は、仁王門と本堂の中間地点を右に入った奥の方。境内から、さらに山門をくぐって進んだ先に、美しい庭園が見渡せて、その奥にあるお堂の左手にありました。

 このお堂、光明殿と呼ばれていて、それだけでも、相当立派なお堂です。国分寺の格式が推し量れるようなところです。

 

f:id:soranokaori:20210501111017j:plain

※納経所がある境内への山門。正面奥が光明殿。

 

 大日寺

 国分寺を出て、28番大日寺(だいにちじ)へと向かいます。主要道路の県道を東に進み、香南市に入ります。市の中心部で左に折れると、町の中のその先に、香南市役所の建物がありました。

 そこから、小さな川を横切って、さらに北へと向かって行くと、右手には、こんもりとした丘陵が。大日寺は、その丘陵の中にありました。

 細くて急な坂道を上った先が駐車場。そこから、石段を上って境内へと向かいます。

 

f:id:soranokaori:20210501111257j:plain

大日寺の山門。

 

 大日寺

 山門の先の石段を上り進むと、その先は境内です。本堂は、参道の正面奥に整然と佇んで、その左の方向に、大師堂がありました。

 大日寺は、名前の通り、大日如来を本尊とする寺院です。空海が、真言密教の真理を極めたその要点は、宇宙の原理を理解すること。その原理そのものが、大日如来という訳です。

 私には、何のことだかよく分からないことではありますが、大日如来は、真言密教にとっては、切っても切れない存在だということだけは、理解できそうな気がします。

 

f:id:soranokaori:20210501111334j:plain
f:id:soranokaori:20210501111406j:plain

※左、境内正面の本堂。右、大師堂。