旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

西国三十三所

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]24・・・総持寺

大阪府へ 西国三十三所の札所巡りは、京都府から大阪府に移ります。和歌山県から始まった巡礼は、第4番目の施福寺(せふくじ)と第5番の葛井寺(ふじいでら)で大阪府の地を踏みました。その後は、奈良、京都の南部を経て滋賀県へ。そしてもう一度京都に戻…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]23・・・穴太寺

亀岡市 第21番穴太寺は、亀岡市に所在する唯一の札所です。この亀岡市、京の都の北西部に位置しています。有名な、嵐山に流れている桂川の上流にあり、渓谷を流れ下る保津川下りの起点となるところです。戦国時代に名を馳せた明智光秀は、この地に丹波亀山…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]22・・・善峯寺

西山へ 京都市内の札所巡りを終えた後、その後は、一気に郊外へと向かいます。続く札所の善峯寺(よしみねでら)は、京都盆地のさらに西。京都市と隣接する、向日市や長岡京市を通り過ぎ、大阪府と隣接する山中に境内を構えています。ただ、善峯寺の所在地は…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]21・・・革堂行願寺

西国三十三所の最終章 今回から、「巡り旅のスケッチ[西国三十三所]」の最終章(第3章)に入ります。紀伊半島熊野の地から始まった、観音霊場を巡る旅。およそ1年前*1に綴り始めた第1章では、1番札所の青岸渡寺から8番札所の長谷寺までを描くことになり…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]20・・・六角堂頂法寺

親鸞聖人 西国三十三所の次の札所は、六角堂頂法寺。これまでの、京都東山の札所を終えて、市街地の中心部に入ります。位置的には、烏丸三条にほど近い三条通りの一筋南、六角通りに境内は佇みます。大通りに面してはいませんが、周囲にはビルが建ち並び、今…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]19・・・六波羅蜜寺

六波羅 "六波羅(ろくはら)"という言葉を聞くと、まず頭に浮かぶのが、歴史で習った”六波羅探題(ろくはらたんだい)”と呼ばれる組織です。鎌倉時代の重要な役所だったと思うのですが、学んだのは遥か昔こと。恥ずかしながら、言葉だけしか頭に残っていない…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]18・・・清水寺

東山 京の都は、京都盆地を埋めるように広がります。この都の西側を流れ下る、桂川。そして、反対の東の境に立ちはだかるのが、東山三十六峰と呼ばれる山並みです。 東山三十六峰。実際に幾つの峰が存在するのか、はっきりとは分かりません。それでも、調べ…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]17・・・今熊野観音寺

再び京都へ 近江の国の3か寺を終え、再び京都に入ります。次の札所は、第15番、今熊野観音寺。京都市の東に連なる峰々の南に位置し、有名な東福寺のすぐ傍に、境内は佇みます。 東山と呼ばれるこの区域、幾多の寺院が密集し、特に、多くの観光客が訪れま…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]16・・・三井寺

大津京 滋賀県の県庁所在地である大津市には、かつて都がありました。平安京より1世紀以上も前のこと、大化の改新で権力を強大にした天智天皇が、この地に政治の中枢を置くことにしたのです。時あたかも、大陸と朝鮮半島が不穏になった時代です。大和の国を…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]15・・・石山寺

瀬田川 瀬田川は、琵琶湖から流れ出る、唯一の河川です。古くから、歴史の舞台として、或いはまた、水都を代表する景勝地のひとつとして、よく知られた川でした。 この川は、近江と宇治とを隔てている深い山の谷間を削り、京都盆地の南へと下ります。その先…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]14・・・岩間寺

近江へ 京都伏見を後にして、西国三十三所巡りは、近江の国に入ります。近江には、都合6か所の霊場がありますが、前半は、湖南地域の3か所です。 京の都に隣接し、東西を結ぶ主要な街道が通過する近江の国は、古くから、戦略上の要として、数々の歴史の舞…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]13・・・醍醐寺

伏見と山科 宇治に続く霊場は、京都伏見の醍醐寺です。伏見と言えば、伏見稲荷や伏見桃山城があるところ。ところが、醍醐寺は、そこからは、少し離れた場所にあるのです。 宇治市の最北端の六地蔵。そこから平地は、V字状に2方向に分かれます。左に向かうと…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]12・・・三室戸寺

宇治 西国三十三所の霊場は、奈良の都を後にして、京都盆地の南方の、宇治の地へと向かいます。宇治と言えば、平等院鳳凰堂を連想される方も多いでしょう。十円玉に刻まれた優雅なお堂は、この国を代表する、貴重な文化遺産です。 宇治はまた、宇治川の流れ…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]11・・・興福寺南円堂

西国三十三所(第二章) 今回から、10回のシリーズで、再び「巡り旅のスケッチ」を綴ります。紀州熊野の青岸渡寺から始まった、西国観音霊場を巡る旅。紀伊半島の西側を、紀ノ川から泉州へ、そして、河内、飛鳥と辿った後に、三輪山の奥に姿を隠す長谷寺へ…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]10・・・長谷寺と法起院(後編)

巡礼の起源 初瀬の町には、西国観音巡礼のゆかりの寺院が佇みます。法起院(ほうきいん)という名の小さなお寺、長谷寺の門前町が鍵型に折れる辺りに、ひっそりとその境内を隠しています。この法起院、長谷寺の開基である、徳道上人という方が、晩年に隠棲さ…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]9・・・長谷寺と法起院(前編)

西国巡礼の原点 長谷寺は、大和川が谷を削った山の斜面に、境内を構えます。今は、桜井市の東の外れ、古代の国(倭国=やまとのくに)の中心地、三輪の町から、少し東に入ったところです。初瀬(”はつせ”、あるいは、”はせ”)とも呼ばれるこの地域、信仰の山…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]8・・・岡寺

飛鳥の古刹 西国三十三所の次の札所は7番目、飛鳥にある、岡寺です。仏教が、日本の国に伝わったのは、6世紀の半ば頃。それからおよそ100年後、当時の日本の中心地、遠つ飛鳥*1の丘の上に、この寺院は建ちました。 日本における仏教の、原点でもある飛…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]7・・・南法華寺(壷阪寺)

飛鳥の奥地 6番から9番目の霊場は、大和の国を巡ります。まずは、6番札所の壺阪寺(つぼさかでら)。正式には、壺阪山南法華寺(つぼさかやまみなみほっけじ)と呼ぶようですが、通称名の壺阪寺こそ、よく知られた名前です。 6世紀後半から、およそ1世…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]6・・・葛井寺

河内の国へ 西国三十三所の次の寺院は、5番札所の葛井寺(ふじいでら)。和泉の国から河内の国へ、北に向かって進みます。 葛井寺のある場所は、藤井寺市の街の中。近鉄の藤井寺駅の近くです。住宅がひしめくところに姿を隠す霊場は、かつては、農地が広が…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]5・・・施福寺(後編)

空海と施福寺 4番札所の施福寺は、空海ゆかりの寺院です。前回にも少し触れた通り、遣唐使として長安に赴いた空海は、真言密教の正統な後継者として認められ、わずか2年で帰国の途に着きました。帰国後は、太宰府辺りでしばらく過ごし、その後、ここ施福寺…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]4・・・施福寺(前編)

山を越え 粉河寺(こかわでら)に続く札所は、和泉の国の施福寺(せふくじ)です。紀伊の国の北端の、険しい山々を北に進んで、なお平地には程遠い、槇尾山(まきのおさん)の山の中。かつて、遣唐使から帰国した空海が、京の都に赴くまでに、およそ2年の年…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]3・・・粉河寺

紀ノ川へ 紀三井寺の次の札所は、紀ノ川の中流にある粉河寺(こかわでら)。谷あいではあるものの、平地が残る粉河の町の、すぐ北の辺りに境内が佇みます。背後には、なだらかな丘が続いて、その先は、泉州との国を分ける、急峻な山脈です。 一方で、東に延…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]2・・・紀三井寺

北へ 西国三十三所の2番札所は、和歌山市の紀三井寺。熊野の地の青岸渡寺から、一気に北に向かいます。 かつては、都から熊野詣に訪れて、その目的を成就した後、帰りの道が巡礼の旅だったのかも知れません。那智山の熊野那智大社での参詣後、隣接する青岸…

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]1・・・33霊場と青岸渡寺

西国三十三所 今回から、およそ10回は、「巡り旅のスケッチ[西国三十三所]」のシリーズを、お届けしたいと思います。 この「巡り旅」に関しては、過去に、四国八十八か所の巡拝の旅について綴ったのが最初です。その時は、空海の足跡を追いながら、また、…