旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]20・・・六角堂頂法寺

 親鸞聖人

 

 西国三十三所の次の札所は、六角堂頂法寺。これまでの、京都東山の札所を終えて、市街地の中心部に入ります。位置的には、烏丸三条にほど近い三条通りの一筋南、六角通りに境内は佇みます。大通りに面してはいませんが、周囲にはビルが建ち並び、今では、喧騒の中にひっそりと、その姿を隠しています。

 この六角堂、聖徳太子が開いた寺院と伝えられ、古くから、多くの人の信仰を集めていたということです。そして、私たちがよく耳にする、浄土真宗の宗祖である、親鸞聖人ゆかりの寺院でもあるのです。

 範宴(はんねん)と呼ばれていた若き日の親鸞は、比叡山で修業するも、思いに叶う方向を見いだすことはできません。そこで、夢の導きに従って、聖徳太子のお姿を追うことにしたのです。その修行先に選んだのが、聖徳太子開創の六角堂。百日参籠(ひゃくにちさんろう)と呼ばれる修行をするため、それこそ、百日間、比叡山から六角堂まで、徒歩で往復されたと伝わります。

 この百日が間もなく終えようとする時に、これも夢の導きにより、東山吉水(よしみず)の、法然上人の草庵へと向かうことになるのです。これが、範宴浄土真宗の始祖、親鸞へと導く契機になりました。

 後に、後鳥羽上皇の命により、越後へと追放される親鸞ですが、法然上人の意を受け継いで、庶民仏教の真髄を説き続けていくのです。

 

※六角堂頂法寺の境内にある「親鸞堂」。ここで、範宴は夢を見て吉水へと向かわれたのでしょうか。

 

 六角通

 京都では、「丸竹夷(まるたけえびす)・・・」という手毬唄が、市民の日常に根付いています。私自身は、京都に住まいしたことはないのですが、父親や親戚から、よくこの唄を聞かされたものでした。

 この唄の”丸”は、”丸太町通り”、”竹”は、”竹屋町通り”、”夷”は、”夷川通り”、という具合。つまり、京都の東西の通りの名前を、北から順番に組み入れた唄なのです。

 これにより、小さな子どもでも、数多い通りの名前を簡単に覚えてしまうことができるとか。地元の人間ではない私などでも、この手毬唄をそらんずれば、おおよその位置関係が分かります。

 

 因みに、六角通りは、「姉三六角蛸錦(あね・さん・ろっかく・たこ・にしき)」の節のところにあり、三条通りのひとつ南に位置していることが分かります。

 

六角通り。塀の右奥が六角堂。

 

 境内へ

 さて、白壁を配した瓦塀を右に見ながら、六角通りを西に向かうと、六角堂の山門です。黒塗りの厳格な門をくぐり抜け、境内に入ります。

 六角堂の正式名は、六角堂頂法寺。本堂の構造が、六角形であるために、一般には、六角堂と呼ばれています。

 

※六角堂の入口。

 

 本堂

 六角堂の本堂は、山門を通り抜けた正面奥。美しく手入れされた、柳や松の木などが、参拝者を迎えます。

 私たちは、まず、本堂へと足を進めて参拝です。本尊は、如意輪観世音菩薩とのことですが、秘宝とされており、一般には拝見できないものだと思います。薄暗く深遠な、内陣を前にして、掌を合わせます。

 

※六角堂の本堂。

 

 六角堂は、周囲を見ると、確かに六角形の構造です。ビルの上から見下ろすと、その形が良く分かるのですが、地上からだと、全容をうまく納めることはできません。

 下の写真で、わずかながらも、その形がお分かり頂けたら幸いです。

 

※六角堂の本堂。

 

 池坊(いけのぼう)

 本堂の参拝を終え、西方向に足を向けると、そこには、数多くのお地蔵さんが置かれています。赤い前掛け姿で、整然と並ぶ様子を見ると、地域の人々の信仰心が伝わるような気がします。

 このお地蔵さんの右奥には、立派なビルが望めます。このビルこそ、華道で有名な、池坊の建物です。六角堂の境内には、聖徳太子ゆかりの池があるようで、かつて、その池のすぐ傍に住坊が置かれていたために、池坊と呼ばれるようになったとか。お堂の仏前に、美しく飾られた花こそが、華道の原点だったのです。

 

※ずらりと並ぶお地蔵さん。その向こうの建物が池坊のビル。

 

 十六羅漢

 本堂の東に回ると、こちらは、愛くるしいお姿の羅漢像が並んでいます。この羅漢像、十六羅漢と呼ぶようで、四方八方の更に倍数の方角を示していて、あらゆる場所に、羅漢さんがおられることを現わしているようです。

 

十六羅漢

 

 親鸞聖人像

 本堂の東側には、さらに、親鸞聖人の銅像も置かれています。どっしりとしたお姿は、若いころの聖人とは思えない面持ちですが、ここ、六角堂で百日参籠(ひゃくにちさんろう)の修行を行われたということが、傍に置かれた説明板にも書かれています。

 ちなみに、この像は、「このお姿は、比叡山より当時本堂に参籠され、又再び比叡山へお帰りになろうとされているお姿です。」とのこと。

 

親鸞聖人像。

 一言願い地蔵

 親鸞聖人の像の傍には、これも愛らしい、一言願い地蔵がありました。傍に置かれた説明書きの内容を紹介させて頂きます。

 

 「このお地蔵さまは、少し首を傾けられた姿をされていますが、これは悩んでいらっしゃるわけではなくお参りにこられた方の願いを叶えてあげようか、どうしようか、と考えられておられるお姿なのです。願いを聞き届けて頂けるかどうかは、あなたの信心しだいです。欲張らず一つだけ願い事をして下さい。きっと叶えて下さることでしょう」

 

 幾つものお願いをした後に、この説明書きを読んだ私たち。戸惑いながら、もう一度、ただ一つのお願いをすることになりました。

 

※一言願い地蔵。

 

 第二章を終えて

 今回で、「巡り旅のスケッチ[西国三十三所]」の第二章を終わります。奈良公園の入口の、興福寺南円堂から始まった第二章。宇治、伏見、近江へと北上し、京都東山の寺院を辿り、六角堂頂法寺まで、十か寺を巡る旅でした。

 残す札所は十五か寺。来年の春辺りから、最終の第三章に取り組めたらと思います。

 

 次回からは奥州道中

 次回からの旅素描は、「歩き旅のスケッチ[奥州道中]」を描きます。下野の国、宇都宮から、北方向に進路をとって、奥州の玄関口、白河宿へ。陸奥(みちのく)を目指す旅の道は、どこか寂し気な風景が広がります。

 江戸時代に整備された五街道。これまで、四つの街道を踏破した私たち。いよいよ、最後の街道歩きに入ります。