旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]17・・・大神神社へ

二上山 古代大和の王権と深くかかわる桧原神社の境内からは、その真西の方向に二上山(ふたかみやま、または、にじょうざん)が望めます。右側のひと際高い雄岳の横に、慎ましく寄り添う雌岳の姿が、どことなく愛しさを感じさせる容姿です。 古くから、日が…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]16・・・桧原神社へ

箸墓古墳(はしはかこふん) 私たちが今歩く山の辺の道の道筋は、奈良の盆地の東隅、笠置山地の裾野に連なる山際を通っています。この道は、やや高台にあり、時折、平地を見下ろしながら、南へと向かいます。纏向(まきむく)の辺りでは、三輪山が左手(東)…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]15・・・纏向の地へ

桜井市 関西の方にとっては、桜井市という都市の名前は、おそらくご存知だと思います。ただ、それ程の強い印象はなく、奈良盆地の南に位置する小さな街、程度の認識なのかも知れません。 この桜井市、実は、古代大和の王権の中心地だったところです。市内に…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]14・・・景行天皇陵へ

大和の王権 古代の歴史を連綿と描き続けた作家の黒岩重吾氏は、『白鳥の王子 ヤマトタケル』の長編で、主人公の倭男具那(やまとのおぐな=倭建・やまとたける、或いは日本武尊)が伝え聞いた大和王権のことについて、次のように綴っています。 「男具那の父…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]13・・・崇神天皇陵へ

柳本 山の辺の道の南コースは、この先の柳本辺りが中間点。そこには、大和王権の初代の王、崇神(すじん)天皇の陵(みささぎ)が残っています。付近には、数々の立派な古墳が築かれていて、古代の権力の重要な土地だったことが分かります。 この辺り、すぐ…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]12・・・環濠集落

ハイキングコース この先、山の辺の道の道筋は、絶好のハイキングコース区間を迎えます。東の笠置山地から西の大和盆地へ下る、緩やかな丘陵地。広々とした坂の途中を横切るように道の流れは続きます。 清々しい空気が流れ、果樹園や農地が広がる空間は、心…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]11・・・夜都伎神社へ

山道 古代の道は、この先、丘陵地の山道へと変わります。それほど深い山ではないものの、辺りは木々が生い茂り、民家もほとんどないところ。どうして、このような地形のところを通ることになったのか、不思議と言う他ありません。 古代には、丘の麓は、ぬか…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]10・・・石上神宮から内山永久寺跡へ

南コース 石上神宮(いそのかみじんぐう)の参詣を終えた後、山の辺の道は、南コースに入ります。これまでの北コースでも、幾つもの寺社や古代史跡に立ち寄りながら歩き進めてきましたが、この先の南コースは、さらに趣が深まります。これまでから触れてきた…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]9・・・石上神宮へ

天理市 山の辺の道は、この先、天理市の東の隅を縦断します。道沿いは、市街地からは少し離れた場所ですが、天理教の大きな施設があちこちに見られます。この天理市は、おそらく、天理教の城下町。ひとつの宗教が地域を席巻するという、信じられない世界です…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]8・・・天理市へ

白川ダム 古代の道は、弘仁寺を出た先で、近代的な道筋に変わります。しばらくは、舗装された幹線道路を歩きつつ、工場や整備された公園などを眺めながらの行程です。そして、その先にあったのが、白川ダムと呼ばれるところ。山際の広大な敷地のところに、満…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]7・・・弘仁寺へ

奈良市の南縁 奈良公園を起点として、大和盆地の東の際を、蛇行しながら南に向かう山の辺の道。この道は、天理市を経由して桜井市の大和川まで続いています。途中、奈良市山町の円照寺を訪れた後、天理市にほど近い弘仁寺へと向かうのですが、この辺りは、ま…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]6・・・円照寺から弘仁寺へ

帯解(おびとけ) 大和盆地の東に連なる山の裾野を辿る道。この道は、概ね、丘陵地帯を縫うように続いています。ある場所は、森のような木々が覆う山道を、またある場所は、広々とした見晴らしの良い丘の斜面を通ります。 円照寺を過ぎた後、次の目標地点は…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]5・・・円照寺へ

崇道天皇 山の辺の道の道沿いには、幾つもの神社や寺院が境内を構えています。また、数多くの歴史の跡や遺跡なども残っていて、悠久の時の流れが感じられる道筋です。 道は、白毫寺を過ぎた後、八阪神社を左に見ながら、その先で円照寺へと向かうのですが、…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]4・・・鹿野園辺り

古道の魅力 古代の道が、本当にどのようなルートを辿っていたのか、おそらく今では、よく分からないのだと思います。特に、山の辺の道の北コース、奈良公園から数キロは、整備された公園内と、住宅が連なる中を縫うように進んでいます。むしろ、本来の道筋が…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]3・・・白毫寺と大和盆地

大和盆地 奈良県の北部に広がる大和盆地は、平城京の北の端から明日香の辺りまで、20キロほど続いています。東西は、概ね、5~10キロで、概して、長方形の形です。この土地が、どうして、古代日本の中心地となったのか、興味が尽きることはありません。…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]2・・・奈良公園から

奈良公園 奈良公園は、平城京の東のはずれに位置しています。有名な東大寺を中心に、幾つかの寺院や神社が境内を構えていて、歴史あるお堂や社(やしろ)が点在します。おそらくは、これらの寺社が築かれたのは、8世紀のいずれかの頃でしょう。平城京に都が…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]1・・・古代の道

山の辺の道 「歩き旅のスケッチ」は、今回から、山の辺の道(やまのべのみち)を描きます。この道は、奈良盆地の東隅、笠置山地の麓を通る古代からの道筋です。 昨年の春3月、東大寺二月堂のお水取りの行事に合わせ、奈良市から天理市への北のコースを歩い…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]23・・・最終回(白河宿と白河城下)

最終回 「歩き旅のスケッチ[奥州道中]」は、今回が最終回。ようやく、陸奥(みちのく)への玄関口、白河の宿場町に辿り着くことができました。 この街道は、宇都宮の中心地近くにある、日光道中との分岐点(追分)が出発点。その先は、宇都宮の市街地を通過…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]22・・・白河宿へ

終着点 奥州道中の終着点は、白河の宿場を過ぎて阿武隈川を渡った先の、女石追分(おないしおいわけ)のところだと言われています。ただ私たちは、前日に大田原の宿場を発った後、ここ白河まで、2日間で40数キロの道のりを歩き続けてきたために、体力の限…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]21・・・白坂宿から白河宿へ

白河市 栃木県との県境にある東北最初の自治体は、福島県の白河市。陸奥(みちのく)への入口として、古くから重要な場所でした。古代から中世には、白河の関所が設けられ、厳しく、往来が取り締まられていたところです。江戸時代には、五街道のひとつである…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]20・・・白坂宿へ

白河の関 奥州に入った街道は、この先、白坂の宿場を通り白河へ。奥深い、東北の玄関口に向かいます。江戸時代に整備された五街道。奥州へと向かう道は、白河の宿場町の外れ辺りで終点を迎えます。 その後は、仙台道や松前道など、様々な地方の街道が、奥州…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]19・・・国境と境の明神

二所之関 街道は、いよいよ、陸奥(みちのく)の地に入ります。下野と奥州との境界は、東西に小高く連なる尾根の上。坂道を上った先の、峠あたりに境界線が通っています。 この峠には、下野側と奥州側に、それぞれ、由緒ある神社が佇みます。玉津島明神と住…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]18・・・国境へ

国境の町 下野の国を北進してきた街道は、国境の町、那須町を進みます。この町の西の地域は、那須高原で有名ですが、反対の東側は、幾重にも重なる山々が、厚い壁をつくっています。そして、この壁の中心が、下野と常陸の国、陸奥の国の境界にある八溝山(や…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]17・・・芦野宿

奥の細道 越堀(こえぼり)の宿場町辺りから街道を西にそれ、高久へと足を向けた芭蕉と曾良は、那須温泉を訪れて、温泉神社に参詣します。そして、神社近くにある、殺生石(せっしょうせき、謡曲の舞台にもなっています)を訪ねることになるのです。*1 湯を…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]16・・・芦野宿へ

芦野温泉の宿 下野(しもつけ)の国の大田原と、陸奥(みちのく)の白河との、ほぼ中間にあたるところが芦野宿。そして、この宿場町の直前に、この日の宿となる、芦野温泉ホテルが位置しています。 このホテルがある場所は、街道沿いではないものの、それほ…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]15・・・越堀宿から芦野宿へ

芦野温泉 大田原から先の街道は、那須に広がる丘陵地帯を進みます。そのために、人家もまばらで、公共の交通機関もありません。宿泊施設も限られていて、この先は、芦野の宿場近くにある、芦野温泉で宿をとるのが最適の方法です。 今どきの歩き旅の難点は、…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]14・・・鍋掛宿と越堀宿

2つの宿場 大田原の次の宿場は、那須に広がる丘陵地を進んだ先の鍋掛宿(なべかけじゅく)。そして、そのすぐ隣には、越堀宿(こえぼりじゅく)が控えています。鍋掛宿と越堀宿。この2つの宿場町は、那珂川の流れを挟んで向かい合わせに並んでいます。 お…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]13・・・鍋掛宿へ

那須の道 大田原を後にした街道は、下野の北の地域を進みます。この辺り、那須という名で有名な土地ですが、私たちには未知の場所。新鮮な気分を感じて台地の道を歩きます。 この那須の地は、鉄道や高速道路が通っている西側が、特に、よく知られた地域です…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]12・・・大田原宿と黒羽

芭蕉と黒羽(くろばね) 奥の細道の旅を続ける芭蕉と曾良は、日光から東に向かい、最短距離*1で黒羽を目指します。この、黒羽というところ、奥州道中沿線の大田原の宿場から、およそ10キロ東に位置し、那珂川の流れを見下ろす場所に、城下町を築いています…

歩き旅のスケッチ[奥州道中]11・・・佐久山宿から大田原宿へ

大田原 街道は、大田原市の佐久山から、市街地へと向かいます。この都市は、栃木県の北部に位置し、その北は、那須町と那須塩原市に接しています。市の中心部には鉄道の駅は無く*1、最寄りの駅は、隣接する、那須塩原市の西那須野駅になるようです。 鉄道か…