旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]21・・・革堂行願寺

 西国三十三所の最終章

 

 今回から、「巡り旅のスケッチ[西国三十三所]」の最終章(第3章)に入ります。紀伊半島熊野の地から始まった、観音霊場を巡る旅。およそ1年前*1に綴り始めた第1章では、1番札所の青岸渡寺から8番札所の長谷寺までを描くことになりました。そして昨秋*2の第2章では、9番目の興福寺南円堂から18番六角堂頂法寺までを紹介してきたところです。

 今回は、この旅の最終章。続く19番札所から最終の33番谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)まで、およそ20回のシリーズで描いていきたいと思います。

 

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 人々を救うため、33のお姿に変化すると伝えられる観音様。元々は、「巡り旅のスケッチ[西国三十三所]10」の中で綴ったように、奈良時代初期の頃、大和の地、長谷寺の徳道上人が発起された巡礼です。様々な変遷を経て、後に、花山法皇が復興され、今日に伝わったと言われています。

 このブログでは、近畿地方一円に分散している霊場を、夫婦2人で少しずつ巡り歩いた足跡をお伝えしていきたいと思います。

 

 

 京都の霊場

 京都府には、33の札所の内、その3分の1にも及ぶ11か寺が存在します。ただし、北は丹後の国から南は宇治までと、広範囲に分散している状況です。この中で、京の都と言える場所では、5か寺ほどがその境内を構えています。

 まず、第15番今熊野観音寺。この寺は、有名な東福寺のすぐ傍に身を隠すよう佇みます。続く札所は、第16番清水寺。余りにも有名な、東山の古刹です。そして、平家などで有名な第17番六波羅蜜寺。さらに、親鸞聖人が百日参籠の修行を果たした、第18番六角堂頂法寺と続きます。

 残る1つが、今回描く革堂行願寺(こうどうぎょうがんじ)という寺院です。この寺院、他の4か寺と比べると、認知度は随分低いように感じます。私自身も、今回の霊場巡りで初めて知ることになりました。

 京都御所のすぐ近く、寺町通りに境内を置く、京の都の最後の霊場に向かいます。

 

 

 寺町竹屋町通

 第19番目の札所である、革堂行願寺。この霊場は、京都御所のすぐ近く、南北の寺町通りに、西からの竹屋町通りが突き当たったすぐ先に境内を構えています。

 辺りは、京都ならではの落ち着いた街並みで、寺町通りの僅かな間口に、山門が置かれています。

 

※GooglMapsより。

 

 まだ、それほど古くは感じない山門前に近づくと、境内が窺えます。見てみると、中はそれほど広くは感じません。街中のわずかな場所に、境内があるようです。

 門から先は、赤毛氈(もうせん)が敷かれていて、少し高貴な雰囲気が漂います。私たちは、門を潜って鮮やかな毛氈の道を進みます。

 

※革堂行願寺の山門。

 

 フジバカマ

 本堂は、毛氈上を真っ直ぐ進んだ突き当たり。参道の左右には、可憐に花を咲かせたフジバカマの鉢植えが並んでいます。

 私たちがこの寺院を訪れたのは、10月の14日。毎年この頃に、藤袴祭が催行されているということです。

 赤毛氈とフジバカマ、そして、正面は革堂行願寺の本堂です。滅多に見られない空間が、目の前に開けています。

 

※見事な空間の中を本堂へと向かいます。

 

 本堂

 私たちは、本堂へと足を進めて、早速、観音霊場の参拝です。十一面観世音菩薩をお祀りしているこの本堂、それほど大きなお堂ではありません。それでも、歴史を感じる建物からは、荘厳さを感じます。

 

※本堂。

 ”革堂”のこと

 革堂(こうどう)行願寺という寺院名。冠の”革堂”は、どのような意味があるのでしょう。『西国三十三所をめぐる本』((株)京阪神エルマガジン社)の資料を見ると、寺を開いた行円和尚は、狩り好きの人だったとか。この方が、鹿の殺生への後悔から、鹿革をまとうことになり、やがて、革聖(かわひじり)と呼ばれるようになったそう。この、革聖が建立したお堂ゆえ、”革堂”の冠が付けられたというのです。

 

 寿老神(じゅろうじん)堂

 私たちは、本堂の参拝を終え御朱印を頂きます。

 帰路の途で、本堂を背にした右方向には、もう一つの参道がありました。わずかな敷地の境内ですが、幾つかのお堂などが所狭しと並んでいます。

 よく見ると、奥の方には、「寿老神堂」と記された表示板が置かれています。その案内に導かれ、境内奥へと進みます。

 

※本堂を背にして右奥に続く参道。

 寿老神堂は、七福神の柱のひとつ、寿老神をお祀りしたお堂です。長寿を授ける神様にも手を合わせ、御利益を念じたものでした。

 

※寿老神堂。

 七福神

 寿老神堂の右手奥には、まだ新しい七福神の石像もありました。後に知ったことですが、京都には、「都七福神まいり」と呼ばれている、神様巡りがあるようです。都内の七つの寺社に、それぞれの神様を祀るお堂があって、そこを巡ってご利益を得るというのです。

 革堂行願寺では、寿老神。西国三十三所とともに、七福神の巡礼の地でもあったのです。

 

七福神の石像。

 帰路

 境内での参拝を終え、帰路の途へ。途中には、お地蔵様が祀られた、小さなお堂などもありました。

 

※お地蔵様などが祀られたお堂。

 

*1:2023年3月31日~5月1日

*2:2023年9月29日~10月30日