旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]1・・・33霊場と青岸渡寺

 西国三十三所

 

 今回から、およそ10回は、「巡り旅のスケッチ[西国三十三所]」のシリーズを、お届けしたいと思います。

 この「巡り旅」に関しては、過去に、四国八十八か所の巡拝の旅について綴ったのが最初です。その時は、空海の足跡を追いながら、また、弘法大師信仰の、人々の思いを重ねながら、四国にある、八十八の霊場を紹介してきたところです。

 今回は、関西の広い範囲に点在する、観音霊場を巡る旅。変幻される、観音様の姿を追って、三十三の由緒ある古刹を巡ります。

 

※13番石山寺

 

 三十三か所の寺院

 西国三十三か所の霊場は、近畿一円に、無秩序に散らばっているように思えます。ところが、1番目の札所から33番の札所まで、順番にその位置を追ってみると、何となく、一筆書きができるような、道の流れをつくっています。

 梵語(ぼんご=サンスクリット語)の文字にも見えるその道筋は、何かを暗示しているようにも思えます。

 

※「西国三十三所会」公式サイトの地図をお借りし、矢印を施しました。

 

 上の地図にあるように、紀州熊野の青岸渡寺から始まって、紀ノ川へ。泉州と河内を辿り、大和の国に入ります。大和では、南から北へと上り、宇治、そして京都の南を巡ります。その後、近江の南部をかすめた後は、再び京都です。東山から中京(なかぎょう)へ、そして、亀岡、摂津を辿りながら、播磨の国に入ります。

 その先は、一気に北へと進路をとって京都の北部、丹後の国へ。そこからは、若狭を経由して、近江の北から湖に浮かぶ竹生島。南下の先は近江八幡の港です。近江東部を巡った後は、不破の関から美濃の国。そして、最後の札所、谷汲山華厳寺へと続くのです。

 

 この一連の道の流れは壮大で、その延長は、1,000キロとも言われています。

 私たちは、札所の順序にこだわらず、少しずつ、車での巡り旅を積み重ね、33の霊場を訪れているところです。

 今の時点で、32か寺を巡り終え、残すところはあとひとつ。30番、琵琶湖に浮かぶ竹生島宝厳寺を残すのみとなりました。近いうちに訪れて、「巡り旅」を完結したいと思います。

 

 熊野の地へ

 西国三十三所の1番札所は、紀州熊野の青岸渡寺紀伊半島の南部に位置する、熊野の国の霊場です。

 熊野と言えば、熊野三山が鎮座する、熊野信仰の聖地です。古くから、多くの人が熊野古道を辿り歩いて、この地を目指したということです。

 

※深い山並みが続く熊野の地。

 

 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの大社。この、熊野三山は、神武東遷神話とともに、最果ての地の聖地として、人々の心を捉え続けてきたのです。

 神聖な熊野詣の終着点。この地が、西国観音霊場巡りの起点であるという事実。両者には、何らかのつながりがあるのでしょう。

 このあたりのことについては、今回のシリーズで、折おりに、触れていきたいと思います。

 

※左、熊野本宮大社。右、熊野速玉大社。

 熊野那智大社

 この、熊野三山の一つの大社、熊野那智大社の境内と、寄り添うように佇む古刹が、1番札所の青岸渡寺。ここからも、西国三十三所の巡拝は、熊野信仰と関係深いことが分かります。

 

熊野那智大社

 

 青岸渡寺

 西国三十三所の1番札所、青岸渡寺は、和歌山県那智勝浦町に位置しています。有名な、那智の滝へと向かう道を辿りながら、奥深い熊野の山に入ります。

 つづら折れの坂道は、やがて、那智の滝、あるいは、飛瀧神社の入口に。ただ、那智大社青岸渡寺は、まだもう少し先の方。急勾配の坂道を、あと数百メートル上ります。

 やがて、坂の正面に、那智山観光センターの建物です。私たちは、その裏手に回り、無料駐車場に入ります。

 

 参道

 駐車場に車を置いて、少し戻ると、参道の入口がありました。青岸渡寺熊野那智大社、共通の参道が参拝者を迎えます。

 

※参道の入口。

 参道は、急勾配の石段です。左には、土産物のお店が並び、那智黒などの名産品が売られています。

 

※参道の様子。

 参道の途中には、由緒がありそうな、木造の建物も。立てかけられた案内板には、「実方院跡」(じっぽういんあと)と書かれています。

 ここは、熊野詣を行った、上皇法皇の御宿所跡だということで、熊野詣を象徴する、貴重な史跡なのでしょう。

 

※実方院跡。

 

 参道は、途中で、右と左の2方向に分かれます。右に進めば青岸渡寺、左に向かえば、熊野那智大社です。私たちは、石標を確認し、右方向に向かいます。

 

※参道の分岐点に立てられた石標。

 

 参道は、さらに上へと続きます。何段の石段を上ってきたのでしょう。見上げると、青岸渡寺の玄関口、仁王門が見えました。

 

※仁王門に向かう参道。

 

 青岸渡寺

 仁王門を通り抜け、参道の石段を上っていくと、その先に、青岸渡寺の本堂が、徐々にその姿を現します。

 

※本堂に向かう石段。

 

 石段を上りきった正面が、四国三十三所最初の札所、青岸渡寺の本堂です。悠久の年月を重ねたような建物は、厳かで、重厚感を放っています。

 私たちは、ここで参拝し、御朱印をいただきます。

 

青岸渡寺の本堂。

 

 青岸渡寺は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された、世界遺産の構成資産、「熊野三山」の、ひとつの遺跡の位置づけです。

 この「熊野三山」は、先に記した3つの大社と2つの寺院などで構成され、多くの人が訪れます。

 

青岸渡寺の本堂。左端に赤く見えるのが熊野那智大社

 

 青岸渡寺の境内

 青岸渡寺の境内は、山の斜面に立地するため、それほど広くはありません。少し拓けたところには大木が生い茂り、斜面には、幾つかのお堂などが見られます。

 

※境内の様子。

 

 境内の前方には、那智の滝が見下ろせる、絶景のポイントも。そこには、「補陀落や 岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく滝つせ」と刻まれた、御詠歌の石碑もありました。

 平安時代、花山法皇が中興したと伝えられる、西国三十三所の巡礼は、霊場ごとに、御詠歌も残り伝わっているのです。

那智の滝を見下ろす場所に、御詠歌の石碑が置かれています。

 

 「補陀落や」で始まる御詠歌は、観音様の世界である、補陀落浄土を意識しているのだと思います。まさに、西国三十三所の巡礼は、観音様に巡り合う、巡礼の旅なのです。

 ちなみに、青岸渡寺の本尊は、如意輪観音菩薩です。

 

 補陀落のこと

 余談ではありますが、ここ、那智の辺りは、補陀落渡海の言い伝えでも有名なところです。このことにつては、「歩き旅のスケッチ[熊野古道]」のシリーズで少し触れていますので、参考にして頂ければと思います。

 

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