旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧

歩き旅のスケッチ[北国街道]28・・・新町宿へ

長野電鉄 長野市には、地下を走る鉄道が存在します。この鉄道は、長野電鉄の運営で、長野駅から善光寺の東を通り、信濃吉田へと向かいます。鉄道は、その途中の本郷駅の辺りから地上に顔を出しますが、その先も、地上線をたどりつつ、須坂市や中野市を通過し…

歩き旅のスケッチ[北国街道]27・・・善光寺宿と善光寺

善光寺の起源 善光寺の成り立ちは、遠く飛鳥時代まで遡らなければなりません。縁起によると、ご本尊の一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)は、インドから百済の国へと渡った後で、仏教伝来に伴って我が国に伝わったとされている、日本最古…

歩き旅のスケッチ[北国街道]26・・・善光寺宿へ

長野市 街道はこの先で、長野市の中心部に入ります。長野市は、有名な善光寺の門前町として発展し、古くから多くの人が参詣に訪れているところです。「牛にひかれて善光寺まいり」と言われるように、昔から、庶民による信仰は深いものがありました。 この善…

歩き旅のスケッチ[北国街道]25・・・丹波嶋宿と川越し

犀川 犀川(さいがわ)は、上高地に端を発する梓川や木曽路から流れ下る奈良井川を上流に持つ河川です。この川は、松本市辺りから犀川へと名前を変えて、長野市までの深い山中を縫うようにして流れています。長野市に流れ着いたその後は、千曲川に合流し、さ…

歩き旅のスケッチ[北国街道]24・・・丹波島宿へ

松代 篠ノ井と川中島の東に位置する松代(まつしろ)の町。この町は、北国街道は通ってはいませんが、矢代の宿場町から分岐した松代街道で、北国街道と結ばれていたということです。 松代は、元は、松代藩の城下町だったところです。江戸時代の当初には、真…

歩き旅のスケッチ[北国街道]23・・・川中島へ

川中島 この先、街道は、川中島と呼ばれる地域を通ります。あの、上杉謙信と武田信玄が戦った古戦場がある場所です。 私は昔、川中島の戦いがあったところは、千曲川の中洲であって、だからこそ川中島と呼ばれている、と思い込んでいましたが、実はそうでは…

歩き旅のスケッチ[北国街道]22・・・篠ノ井宿へ

旧篠ノ井市 街道は、千曲川を渡った先で長野市に入ります。長野市の最初の街は、篠ノ井というところ。この街は、かつては、篠ノ井市という独立した自治体でした。資料を見ると、この自治体は、1959年に市政が敷かれ、1966年には長野市になりました。この間わ…

歩き旅のスケッチ[北国街道]21・・・千曲川へ

千曲川 千曲川は、長野県を流れ下る河川です。やがて、この川は、長野県の飯山市から新潟県の津南町に入ります。そして、信濃川と名前を変えて、十日町市、長岡市へと流れをつないで、新潟市で日本海に注ぐことになるのです。 千曲川と信濃川、2つの名前を…

歩き旅のスケッチ[北国街道]20・・・矢代宿へ

旧更埴市 旧更埴市(こうしょくし)の事については、ほとんど知識がありません。それでも、信州の松本市から長野市に向かう途中で、高速道路のインターチェンジにその名前があった記憶がありました。更埴市という変わった地名。そのいわれは何なのでしょう。…