旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[北国街道]21・・・千曲川へ

 千曲川

 

 千曲川は、長野県を流れ下る河川です。やがて、この川は、長野県の飯山市から新潟県津南町に入ります。そして、信濃川と名前を変えて、十日町市長岡市へと流れをつないで、新潟市日本海注ぐことになるのです。

 千曲川信濃川、2つの名前を合わせ持つこの川の総延長は367キロあって、日本では一番長い河川であると言われています。

 北国街道の道筋は、小諸市辺りからこの川の流れに沿って北西へと向かいます。そして、更埴市で川を越え、北寄りに進路をとって川中島へと向かうことになるのです。一方の千曲川は、更埴市から方向を変え北東へと流れます。この、地理的な相違から、街道は、この後、千曲川に近づくことはありません。

 現在の更埴市から川中島へと渡っていた、千曲川の川越しである矢代の渡し。この渡しを最後にして、北国街道の道筋は、千曲川に別れを告げることになるのです。

 

 

 矢代の枡形

 矢代の宿場を通る街道は、クランク状に折れ曲がる、枡形に入ります。須須岐水神社の正面で右折して、そのすぐ先の角を左折です。

 左折する角にあったのは、横町の交差点。その交差点辺りの一角だけに、古くからの木造家屋が残っています。交差点手前にあった老舗の酒屋とともに、この一角は、微かながらも街道の面影を残しています。

 

※横町の交差点。街道は、ここを左折し北方面に向かいます。

 

 高見町交差点

 矢代の宿場町は、新しい住宅が建ち並ぶ道筋です。この辺りの沿線には、往時の名残りはありません。

 しばらくすると、高見町の交差点を迎えます。その交差点のところには、「雨宮渡2.6km」と記された案内表示。おそらく、距離といい、方向と言い、北国街道の渡しではないのだと思います。

 街道は、この交差点を通り過ぎ、真っ直ぐに北に向かって進みます。

 

※高見町交差点。

 

 新しい住宅が続く街道を進んで行くと、街道から左に折れる細い路地が現れます。その路地の入口付近にあったのが、「北国街道矢代宿」と表示された説明板。

 そこには、次のように書かれています。

 

 「矢代宿(ママ)は、北国街道と松代街道の分岐点で、こ地点から松代街道が始まります。この街道の両側には本陣と脇本陣があり、加賀藩の殿様の大名行列佐渡からの金銀の輸送にも使用され、多くの人や荷物でにぎわいました。このように屋代(ママ)は昔から栄えた歴史と伝統を誇る町です。」

 

 なるほど、と言うことは、先の”雨宮渡”は、もしかして、松代街道がどこかの川の川越しを行うための渡しだったのかも知れません。

 

※矢代宿の説明板。

 

 屋代交差点

 街道は、真っ直ぐに北へと進み、やがて、屋代の交差点に入ります。この辺りはもう、矢代の宿場町は通り過ぎているのでしょう。道は、この先で、国道18号線に合流し、ほんの少し、国道に沿って歩きます。

 

※屋代の交差点。街道はここを右方向へと進みます。

 

 更埴インターチェンジ

 国道に合流した街道の様子をご覧いただければと思います。この先に見える高架の橋は、北陸新幹線の軌道です。そして、その軌道と重なるようにして、更埴インターチェンジが設けられているのです。

 

※国道に入った街道。

 

 街道は、少しの間、国道伝いに進みます。そして、その先で、更埴インターチェンジの脇の道に入ります。

 インターチェンジを利用する自動車は、この脇道には入らずに、もう一つ先にあるランプの道を使うことになるようです。

 

※国道から離れて脇道に入る街道。

 

 インターチェンジの脇道は、どこか雑然とした感じのところです。途中、新幹線の高架の軌道と沿うようにして進みます。

 道沿いには、道路建設の事業所らしい建物もありました。

 

インターチェンジ下をすり抜ける街道。

 

 千曲川

 街道は、インターチェンジの高架道路を上に見て、脇道を進みます。やがて、建設会社の敷地の間の向こうには、空間が開けた状態に。そして、そこには、千曲川の流れがあるのでしょう。

 小諸あたりから、この川の右岸伝いに進んできた街道は、いよいよここで川を越えることになるのです。

 

インターチェンジの脇道の最後、千曲川の流れの直前のところです。

 

 街道は、ついに、千曲川を迎えます。この川の中流か上流域の場所ですが、随分と川幅があり、さすがに大河川という感じです。

 川の向こうは低い山並みが続いていますが、さらに奥にも標高の高い山々が控えているのだと思います。その山々の先にあるのが白馬など北アルプスの山脈です。

 手前の低い山並みの左手は、有名な姥捨て山があるところ。千曲川は、幾つもの山並みを見つめるように流れています。

 

千曲川に出た街道。

 

 矢代の渡し

 街道は、千曲川の流れに当たり、その辺りから川越しでこの川を渡っていたのでしょう。

 対岸にあった「矢代の渡し跡」の説明板には、渡し船による往来だったことが書かれています。

 

 今、川の渡しはありません。私たちは、千曲川右岸の土手を数百メートル東に向かい、国道18号線に架けられた篠ノ井橋を渡らなければなりません。

 距離的には、大変なロスをする区間ではありますが、それも仕方がありません。千曲川の堤外に植えられた果樹を見ながら、国道へと向かいます。

 

※渡しが無いために、国道の橋まで東へと向かいます。