旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[北国街道]27・・・善光寺宿と善光寺

 善光寺の起源

 

 善光寺の成り立ちは、遠く飛鳥時代まで遡らなければなりません。縁起によると、ご本尊の一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)は、インドから百済の国へと渡った後で、仏教伝来に伴って我が国に伝わったとされている、日本最古の仏像だということです。

 当時、仏教は、全く新しい宗教であったため、受容すべきかどうかという激しい対立がありました。百済系の氏族であった蘇我氏などは、仏教を受け入れて、自身の権力形成に利用しようとしたようですが、方や、古来から天皇家に仕えていた物部氏は廃仏派であったと言われています。

 この、物部氏の手によって、最古の仏像は、難波の海に捨てられてしまいます。ところが、後に、信濃国の従者となった本田善光という人が、その仏像を見つけ出し、信濃国へと持ち帰り祀ることとなりました。これが、善光寺の始まりとされていて、その後、皇極天皇の時代(642~645年)になって、長野の今の地に寺院を建立し、本田善光の名前をとって、善光寺と名付けられたと伝わります。

 今も、多くの参拝者が訪れる善光寺。街道は、門前町を真っ直ぐ北へと向かいます。

 

 

 門前道路

 街道は、長野駅西口付近で、旧道の細い道に入ります。そして、そのすぐ先で、末広町の交差点。この交差点は、南北に延びている善光寺の門前道路と、東西に短く繋げる長野駅西口の正面道路が交わっているところです。

 交差点を右に向かえば、すぐ正面が長野駅。交差点を左に進むと、国道19号線に当たります。

 

末広町交差点。

 私たちは、末広町の交差点を横断し、真っ直ぐ北に向かいます。道沿いはビルが建ち並び、お店やオフィスが密集しているところです。

 やがて、新田町の交差点を横切ると、道路の舗装は一変します。車道には、石畳風の舗装が敷かれ、歩道との境界もバリアフリー仕様です。

 道の先を見てみると、正面奥に善光寺の山門が望めます。緩やかに上る坂道を、少しずつ善光寺を目指して進みます。

 

※石畳風の舗装が施された門前道。

 北野文芸座

 しばらくすると、左手に、凝った意匠の建物がありました。地図を見ると、北野文芸座の建物だということです。

 善光寺の門前にあるこうした意匠の建物は、何となく奥ゆかしさを感じるもので、門前町の雰囲気がより強く漂っているようなところです。

 

北野文芸座前。

 

 門前へ

 やがて道沿いから、ビルの姿は後退し、変わって、江戸風の白壁と瓦屋根の建物が目立つ地域に入ります。

 これらの建物は、飲食店や土産物のお店などが中心で、シーズンには多くの観光客が訪れるのだと思います。

 

※江戸風の建物が連なる門前通り。

 

 大門交差点

 道は次第に勾配を増し、大門の交差点を通り過ぎると、さらに趣ある街の姿に変わります。

 大門の交差点には、道の両側に常夜燈が置かれていて、この先は特別な場所であることを暗示しているようにも思えます。おそらく以前には、この辺りには、大門という善光寺の山門があったのでしょう。ここから先が、善光寺の参道だったのかも知れません。

 

※大門の交差点。

 

 善光寺宿

 大門を過ぎた先の道沿いは、もう、善光寺の宿場町だったのかも知れません。今は、幾つものお店が並び、多くの観光客が訪れる賑わいの街の様相です。

 街道は、この先の交差点を右方向に曲がります。真っ直ぐ進むと、すぐ目の前に、善光寺の仁王門。仁王門へと向かう道こそ、本来の参道になるのかも知れません。

 

※街道は、この交差点を右方向に進みます。正面には仁王門が見渡せます。

 

 仁王門を正面に見て、右方向に進んで行くと、下のような街並みに変わります。道沿いは、旅館などもありますが、どちらかと言えば雑然とした、裏道の光景です。

 この道筋も、善光寺の宿場町の一角だったのだと思います。今は、その面影を見ることはできません。

 

善光寺正面参道から右方向に進んだ街道沿い。

 

 善光寺

 せっかく、善光寺の傍までやってきた私たち。参拝を逃す手はありません。しばし街道筋から離れはしますが、善光寺へと足を延ばすことになりました。

 

 まずは、仁王門。左右には、善光寺傘下の寺院が並ぶ中、参道を真っ直ぐ北に進みます。

 

善光寺仁王門前の様子。

 

 門前町

 仁王門を通り過ぎると、賑やかな門前町が続きます。参道伝いは、幾つものお店が並んでいます。土産物店を始めとして、”おやき”や軽食のお店などが目立つような道筋です。

 そして、参道の先に見えるのが、善光寺の山門です。勇壮な楼門風の山門は、善光寺の格式を誇ってでもいるような、見事な姿を呈しています。

 

善光寺門前町と山門。

 

 山門

 山門に近づくと、お店は後退し、砂利が敷かれた境内が現れます。右手には、立派な六地蔵の姿も見られ、厳かさを感じる空気が流れています。

 正面の山門は圧倒的で、凄みさえ感じるような姿です。

 

※山門に近づいた参道。

 

 本堂

 勇壮な山門を通り過ぎると、目の前には本堂です。入母屋の大屋根とその下部にある唐破風の二重屋根が見事です。

 この本堂、近くに置かれた説明板を見てみると、「皇極元年(642年)の創建以来十数回の大火に逢って」いるとのことで、「現在の建物は宝永四年(1707年)の再建」だということです。

 国宝にも指定されている本堂は、重厚であるとともに、絢爛豪華に輝いているようにも感じます。

 

 私たちは、厳かな本堂へと足を延ばし、そこで参拝させて頂きました。

 

善光寺本堂。