旅素描~たびのスケッチ

気まま旅を続けています。見たこと、感じたことを素直にお伝えすることを心掛けています。ぜひ参考にして下さい。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)24・・・伊予路(48番→46番)

 松山の最終章

 

 松山に残る札所は、あと3か寺となりました。目指すは、松山の最南部。市街地から離れて、険しい山が連なる四国山地の麓の里へと向かいます。

 

 

 48番西林寺

 浄土寺を後にして、南の方角に向かいます。景色は次第に農地が増えて、交通量もまばらです。途中から、道は真っ直ぐに延び、辺りは農村の風景へと近づきます。

 次の西林寺(さいりんじ)は、この直線状の県道に沿った左側。寺院と道を隔てた白壁で、その存在が分かります。駐車場は、白壁を越えたすぐ先です。前方には、小さな川がながれていて、その手前を左に曲がったところに駐車場がありました。

 

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※駐車場から仁王門に向かいます。

 

 西林寺

 駐車場の奥には立派な仁王門があり、そこから境内へと進みます。仁王門から続く参道の正面が本堂で、その右隣りに大師堂。2つのお堂が隣り合わせで並びます。

 納経所は、仁王門をくぐった左手にあり、きれいに整備された小さなお庭が印象的なところです。

 

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※本堂と大師堂。

 

 西林寺では、境内に掲げられた寺伝の解説の一節に、次のような伝説が記されていました。

 寺伝よると、弘法大師は、干ばつに悩む村人を助けるために、杖でこの地の地面を突いたところ、水が湧き出たということです。その後、清水に恵まれた土地ということで、西林寺には、清滝山の山号がつけられたとのこと。

 

 讃岐の国と同様に、伊予の国も、昔から干ばつには悩まされていたようです。今もあちこちにため池があり、用水の確保に苦労されている様子です。

 讃岐での、弘法大師による満濃池の改修工事は史実としても有名ですが、水利にまつわるこのような伝説も、あながち、すべてが作り事ではないような気がします。

 

 47番八坂寺

 西林寺から、県道をさらに南に向かって進みます。山が近づき、谷あいに細くつながる集落の中を進んで、細く緩やかな坂道を上ると、厳かな、神社風の山門が見えました。ここが47番八坂寺(やさかじ)です。

 駐車場は、山門の左脇をさらに少し上に向かったところです。車を置いて、山門の正面へと戻ります。

 

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※左、駐車場から八坂寺の境内を望みます。右、正面にかかる橋と仁王門。

 八坂寺

 八坂寺の正面は、少し変わった構えです。数段の石段を上ったところに、唐破風状の屋根で覆われた小さな石橋がかかっています。石橋の欄干は朱色に染められ、その奥に仁王門という具合です。

 仁王門をくぐると、すぐ右手には、庫裏や納経所などの建物がありました。正面前方には石段が続き、その上に本堂です。本堂は、鉄筋コンクリート造りのような建物ですが、屋根は本来の木造の雰囲気です。

 大師堂は、本堂のすぐ左側にありました。  

 

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※本堂。

 衛門三郎

 「巡り旅のスケッチ(四国巡拝)22」の、51番石出寺のところで触れたように、八坂寺は、衛門三郎に由緒がある寺院です。*1
 三郎の出身地である荏原郷は、この八坂寺の寺領だったということで、伝説の、弘法大師との遭遇は、この辺りだったのかも知れません。

 八坂寺は、また、衛門三郎の菩提寺でもあるらしく、その名残が各所に残されているということです。

 

 46番浄瑠璃寺

 浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、八坂寺のすぐ南。車で5分もあれば到着です。道中、集落の中の、少し細くなった道を進んでいくと、境内裏の駐車場に行き着きます。

 駐車場はそれほど広くはありません。夏のこの時期は、参拝者は多い時期ではないために、混み合うことはないはずですが、私たちが訪れた時、駐車場は満杯でした。

 その理由は、弁天池の蓮にありました。丁度この時期、浄瑠璃寺の池の蓮は見頃を迎え、多くの見物人で賑わっていたのです。

 

 私たちは、何とかスペースを見つけて駐車して、裏から境内へと向かうことができました。

 

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※左、本堂。右、大師堂。

 浄瑠璃寺
 駐車場に車を停めて、裏手から境内に入ります。本堂の裏の奥には、先ほどの弁天池があるようですが、先ずは参拝を優先です。

 本堂の背後を回り込むようにして境内に入ると、そこは木々に覆われて、森のようなところです。本堂もその右の大師堂も、歴史を感じる建物で、太陽の光が遮られた木々の合間に厳かに佇みます。

 

 境内には、松山市の天然記念物とされる、イブキビャクシンの大木がありました。見事な幹の足元には、幾つもの石像などが集められ、地元の方の信仰の様子が窺えます。

 

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※イブキビャクシンの大木。

 

 イブキビャクシンの大木を左に見て、本堂の向かい側に進んで行くと、本来の入口です。石段を下りて周囲を見回すと、寺院の壁が境内を取り囲み、趣ある景観です。

 

 弁天池の蓮

 参拝の後は、蓮池の見学です。本堂の裏へと戻り蓮池に向かうと、たくさんの見物客やカメラを構える人の姿が見えました。

 弁天池は、それほど大きな池ではないものの、蓮がびっしりと群生しています。蓮の花は見頃というより、まだ少し早い時期かも知れません。それでも、まばらに咲き誇る白やピンクの花の姿は、可憐という言葉がそのまま当てはまるような光景です。

 

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※弁天池の蓮畑。

 

 これで松山の8か寺は終了です。この後は、一気に四国山地に分け入って、愛媛の厳しい自然の中にある霊場へと向かいます。

 

*1:衛門三郎の伝説については、前出のブログをご覧下さい。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)23・・・伊予路(50番→49番)

 松山の郊外へ

 

 松山は、夏目漱石の”坊っちゃん”で余りにも有名な街ですが、漱石の友人で、この街に生まれた正岡子規も、松山を代表する人のひとりです。

 藩士の子として生を受け、黎明期の明治時代に幼少期を送った後、東京へと向かった正岡子規。文化人として記者として活躍しつつも、若くして病を患い、わずか34歳で他界してしまいます。

 松山の霊場はあと5か寺。49番浄土寺には、子規の句碑も残されていて、故郷を想う俳人の姿が偲ばれます。

 

 50番繁多寺

 石出寺から繁多寺(はんたじ)へは、10分ほどの道のりです。石出寺からは、ほぼ真南の方角で、郊外の住宅地へと向かいます。どこにでもありそうな、新興住宅地の中の道を進んで行くと、山の麓の一角に繁多寺の山門が見えました。

 この辺りは、松山市域に広がる平地の東の端、境内からは松山の街も見渡せます。

 

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※左、駐車場から山門へ。右、山門を抜けたところの境内。

 繁多寺

 駐車場からすぐのところの山門をくぐって境内に入ります。砕石が敷かれた境内は、明るい感じの空間で、左手には庫裏と納経所がありました。

 本堂などのお堂が並ぶ境内は、正面奥の石段を上った、一段高くなったところです。大師堂は本堂の右隣り。山の木々を背にして、厳かに二つのお堂が並びます。

 この境内から振り向くと、左側にはため池が広がります。この辺り、あまり農地は見られませんが、今は住宅地となっている山裾の平地には、かつては水田が広がっていたのでしょう。

 

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※左、本堂。右、大師堂前から本堂などのお堂を見渡します。

 

 49番浄土寺

 繁多寺から浄土寺(じょうどじ)へは、僅か5分ほどの道のりです。市の中心部からさらに離れて、徐々に南下していきます。途中、八幡神社の交差点は少し複雑な5差路の辻。左に見える日尾八幡神社の真っ赤な鳥居が目印で、その鳥居を回り込むように、最も左側の細い路地に入ります。

 この路地を少し進むと、左側に繁多寺が見えました。繁多寺浄土寺は、どちらも松山の平地の東側、山の裾野に境内が佇みます。

 

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※仁王門。

 浄土寺

 浄土寺の駐車場は、仁王門のすぐ前です。車を停めて、立派な金剛力士の像が迎える仁王門に向かいます。

 門をくぐると、正面にはさらに一段高い境内に続く石段が。そして、その奥には本堂の姿が見えました。本堂の前に進むと、それほど広くはない境内に、幾つかのお堂などの建物が並びます。

 大師堂は本堂に向かって右側です。一回り小さな建物ではありますが、本堂と肩を並べるように参拝者を待ち受けます。

 

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※左、本堂とその右が大師堂。右、大師堂前から見た境内。

 

 空也上人ゆかりの地

 浄土寺は、空也上人ゆかりの地。寺院に掲げられた説明によると、西暦960年に、空也上人はこの浄土寺で3年ほど滞在されたということです。その間、自身の木造りの像を彫って残されたと記されています。

 空也上人と言えば、口から”南無阿弥陀仏”の6文字を表す小さな仏様が突き出た木像を思い起します。中学校の社会の教科書にも出てくるこの像の写真は、念仏を唱えることの大切さを説いたとされる空也上人の教えを、視覚的に覚えられる画像です。

 空也上人は、浄土教の祖とされていて、浄土寺というこの寺院の名称は、ここに由来するのでしょう。*1

 

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※左、浄土寺の起源などを記した説明版。右、正岡子規の歌碑とその解説。

 

 子規の句碑

 浄土寺の境内では、ひっそりと置かれた一枚岩の句碑が目に止まりました。その句碑は、正岡子規の俳句を刻んだもの。この浄土寺で詠まれたと思われる次の一句が刻まれたものでした。

 

     霜月の 空也は骨に 生きにける

 

 句碑の脇に掲げられた解説では、明治29年12月3日の雑誌「太陽」に載った冬の句と記されています。

 実際にいつ詠まれたのか、定かではないものの、”霜月”とあるために、11月の句に違いはありません。それが明治29年の作なのか、あるいは、もっと以前の作なのかは分かりません。仮に、明治29年の作だとすると、子規自身、病を患う中での一句だったということです。

 

 この句の解説を調べたところ、「空也の肉体は骨になっても、人々の胸には念仏の教えが今も生きている」ということだと書かれています。

 病が癒えず、あと数年で夭逝することとなる自分の運命をも重ね合わせたかのようなこの一句は、どこか寂しくもあり、また、力強くもあるような不思議な魅力が宿っています。

 

*1:「巡り旅のスケッチ(四国巡拝)8」、78番郷照寺のところで少し触れた時宗の開祖である一遍上人は、空也上人の影響を受けたともされています。西暦1200代の鎌倉期に、一遍上人は、この浄土寺に3日間滞在されたとも言われています。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)22・・・伊予路(51番石出寺と松山)

 道後温泉の街、松山

 

 四国の中で、最も多くの人口を抱える松山市。市の中心部には高層ビルが立ち並び、路面電車が往き交います。愛媛県庁や中心商店街のすぐ北側には、松山城を擁する城山が構えていて、さながら街中の緑のオアシスです。

 城山から東に向かって1Kmほどのところには、有名な道後の温泉町。この温泉は、海外でもよく知られているようで、少し前には、国際色豊かな観光客で賑わっていたものでした。

 四国八十八か所霊場のひとつ、51番石出寺は、道後温泉のすぐ近く。お遍路さんだけでなく、観光客も訪れる街中の大きなお寺です。

 

 

 51番石出寺へ

 太山寺を後にして、南方向の松山市の中心部に向かいます。道路は次第に車線が広がり、交通量も増してくると、辺りの雰囲気が一気に都会の様相に変わります。路面電車の線路が敷かれた道路もあって、運転には特に注意が必要です。

 市の中心部をすり抜けて東に進むと、道後温泉に行き着きます。そこから、僅かに東の位置に石出寺(いしでじ)の境内が広がります。

 道後温泉方面から向かう場合は、左手に石出寺がありますが、駐車場は右側です。*1この辺り、T字路の交差点となっているため、要注意。安全運転が第一です。

 

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※石出寺への入口とT字路の交差点。

 

 石出寺

 石出寺の入口には、弘法大師像や幾つかの石像などが置かれていて、ちょっとした庭園のような雰囲気です。ただ、石像や木々の配置は、他の霊場とは少し趣が異なり、パワースポットのような、一種独特の空気を感じます。

 この庭園を抜けて奥に進むと、木造の屋根が長々と延びる、アーケード然とした参道が現れます。参道の両脇には、以前は、仏具や記念品などを販売するお店が並んでいましたが、今は、そのお店も数えるほどしかありません。門前の賑わいは、次第に失われてきている様子です。

 

 参道を奥へと進み、木造の屋根が途切れた正面に、立派な仁王門が現れます。石出寺は、本堂などは重要文化財ということですが、仁王門のみ、国宝に指定されているということです。

 

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※左、仁王門へと続く参道。右、仁王門。

 

 石出寺の境内は、広々としています。仁王門をくぐって周囲を見ると、その広さを実感します。境内には、幾つものお堂などが立ち並び、どこに本堂があるのか、一瞬戸惑うぐらいです。

 この霊場の本堂は、仁王門の左前方。一段高くなったところにありました。本堂前の石段には、黄金の巨大な金剛杵(こんごうしょ)のモニュメントがあり、その景観は圧巻です。

 金剛杵は、真言密教で使用する法具です。その用法はそれこそ秘密の道具とされていて、私たち一般人には分かりません。この形、幾つかの説があるようですが、いにしえのインドに由来があるということです。

 

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※境内と本堂の様子。黄金のモニュメントが金剛杵です。

 石出寺の由来

 石出寺で手にした寺院を紹介する資料には、一つの物語が掲載されています。

 それによると、その昔、松山市の南部にある荏原(えばら)というところに衛門三郎という人がいて、開墾に精を出していた時、一人の貧相な僧が一晩泊めてほしいと声を掛けました。三郎は、その僧の貧相な姿を見て、邪魔だと追い返したということです。

 ところがその後、三郎の8人の子が相次いで他界し、彼の家は荒廃することになりました。その後、三郎は、かつての僧を探し求め、四国中を巡ること21回。遂に自らも、貧相な姿となって、四国12番札所の焼山寺山中で病に倒れてしまいます。*2

 その時、突然弘法大師が現れて、「よくぞ修行し改心した。望みあればかなえよう」と言われたということです。三郎は、「生まれ変われるものならば、今度は人を助けたい。今度こそ、追い返した僧をお泊めしたい」と懇願し、大師から衛門三郎と刻まれた小さな石を授かりました。そして、静かに息を引き取ったのです。

 それから年月が経ち、伊予の豪族に一人の男児が誕生しました。その子は、右手を握ったまま開くことをしなかったので、親は道後の由緒ある寺に祈願したところ、手のひらの中から衛門三郎と刻まれた石が出てきたということです。

 手から出た石。衛門三郎の生まれ変わりと信じられ、この寺は石出寺と呼ばれるようになったというのです。

 

 何とも信じがたい話ではありますが、これが弘法大師信仰の一つの側面にも思えます。当初の貧相な僧は、実は弘法大師そのもので、この種の話は、四国では幾つも伝えられているのです。

 

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※補陀り、石出寺の三重の塔。右、元気石と再生石。

 

 石出寺の力

 石出寺の境内は、真言密教で重要な、曼荼羅の世界を現わしているともいわれます。境内全体が曼荼羅のように配置され、ある種のパワースポットなのだと説明されているのです。

 四国霊場の中では極めて異色なこの寺院。本堂の左手にある、再生石と呼ばれるくぐり石を抜けると、元気が与えられるとのことで、私たちも、その恩恵を受けました。

 このくぐり石。衛門三郎が生まれ変わった言い伝えにも通じていて、まさに再生石ということです。

 

      見あぐれば 塔の高さよ 秋の空

 

 松山が生んだ高名な俳人正岡子規は、石出寺にそびえる三重の塔を見上げて、何を思ったことでしょう。

 

*1:実際には、左手の、石出寺のすぐ脇にも駐車場はありますが、なぜか利用されている方は少ない様子です。料金的な理由かも知れません。

*2:衛門三郎の出身地である松山市荏原には、47番札所の八坂寺があります。そこは、三郎の菩提寺とされているのです。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)21・・・伊予路(53番→52番)

 松山へ

 

 今治市の6か寺を急ぎ足で周った後は、瀬戸内海の海岸伝いに松山市へと向かいます。

 松山と言えば、道後温泉があまりにも有名で、是非とも立ち寄りたいところです。夏目漱石の「坊っちゃん」も愛した共同浴場の温泉は、今も古風な姿を残し、多くの観光客が訪れます。

 四国88か所の霊場を8か寺抱える松山市。瀬戸内海に面する市街地の北部から、四国山地の入口にあたる南部まで、多くの札所が連なります。

 

 

 53番円明寺

 延命寺を後にして、国道196号を一路西に向かいます。今治市は、その先端が半島状に瀬戸内海に突き出ていて、その部分をショートカットするように、山をすり抜けながら国道が走ります。

 やがて、海岸沿いの道に変わると、右手には太陽石油の大きなプラントが見えました。そう言えば、愛媛県では、エネオスコスモ石油などのメジャーなガソリンスタンドもありますが、ところどころに太陽石油のスタンドも。何となく、ローカルな感じのするスタンドで、愛着を感じてしまいます。

 海辺の、のどかな道路を、およそ1時間のドライブです。やがて、新しい街並みが現れて、住宅の中を進んで行くと、円明寺に到着です。

 

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※左、仁王門。右、仁王門をくぐった先の境内と山門。

 

 円明寺

 円明寺(えんみょうじ)は、一つ手前の延命寺と発音が似ています。元々は、延命寺(えんめいじ)が円明寺(えんめいじ)と名付けられていたそうですが、両寺院のつながりは分かりません。おそらく、名称の類似には、深い意味は無いのだと思います。

 

 さて、円明寺の境内は、向かい側の駐車場から道を挟んだところです。道路に面して仁王門が構えていて、その奥には、もう一つの山門が参拝者を迎えます。この山門は、中門とか楼門と呼ばれているようで、境内の中央に位置します。

 本堂は、山門を越えたその奥にあり、スッキリとした屋根が特徴です。一方の大師堂は、仁王門と山門の間の左側。全体として、小じんまりとした境内を、寺院建物が整然と囲みます。

 

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※本堂。

 

 52番太山寺

 円明寺から少し西の方角に、瀬戸内海に面した小さな山地が広がります。この山地の東の麓に太山寺(たいさんじ)は位置します。松山市太山寺町の集落に入ると、進路の向こうに、道をまたいだ山門が目に止まります。この門は、太山寺一の門。その先には、まだ集落が続きます。

 門前の民家が並ぶ狭い道をすり抜けて、さらに奥へと進んで行くと、左手に仁王門が現れます。その脇を通りすぎると、やがて林の中に入ります。そして、右手に駐車場。道はまだ先へと延びていて、もう少し奥に進みたくなりますが、ここから先は徒歩で向かわなければなりません。

 

 駐車場から本堂がある境内までは、およそ300mの道のりです。途中には、右手に立派な本坊があり、納経は帰りにそこで頂きます。その先は、かなり急な坂道で、道沿いには数軒の民家のような建物も見られます。これらの建物は、かつてはお遍路さんたちが投宿する施設であったとのこと。今では、その役目は終わり、ひっそりと林の中に佇みます。

 境内までの急坂を登りきったら、ようやく石段下に到着です。そこには少し広い空間があって、斜面を背にした大日如来の石像やお地蔵さんなどが配置され、参拝者を静かに迎えます。

 

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太山寺の境内入口。

 太山寺

 上の写真には写っていませんが、写真の右側には、境内へと続く石段が延びています。かなり急な石段で、その先に、立派な山門がそびえます。

 駐車場からの険しい道のりの後に控える石段は、私たちのような、車で訪れる参拝者には結構応える難関です。歩き遍路の方からすると、日々の修行の一時に過ぎず、山岳の道とは比較にならないたやすさなのだと思います。

 

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※左、本堂へと続く石段。右、境内から見た石段上の山門。

 

 山門をくぐると、正面に立派な本堂が見えました。大屋根の両翼が、少しそり上った勇壮な構えの本堂は、格式の高さが伝わります。この本堂は、鎌倉期の建物のようで、下の写真にある白い看板にも記されているように、国宝に指定されているということです。

 太山寺の境内は、山の中腹のようなところにあって、周囲は木々が取り巻きます。往時は、たいそう規模の大きな寺院であった様子で、その名残を感じます。

 

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※国宝の本堂。

 太山寺の大師堂は、山門の左手です。本堂がある境内からは、さらに少しだけ石段を上がらなければなりません。

 本堂と大師堂を参拝して、もと来た道を引き返し、駐車場近くにある本坊で納経を頂きます。この本坊、入り口も建物もたいそう立派な造りです。きっと、多くの信者の方が支えておられることでしょう。

 

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 ※左、写真の左の建物が大師堂。右、大師堂と反対側の境内の様子。


 帰り道も、再び仁王門の脇をすり抜けて、一の門へと続く道を辿ります。門前に連なる民家に挟まれたこの道沿いは、かつては、門前の賑やかな町だったのかも知れません。

 私たちは、太山寺を後にして、松山の中心地へと向かいました。

 

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)20・・・伊予路(56番→54番)

 今治の市街地

 

 今治市にある6か所の霊場のうち、残る3か所は市の中心部に位置します。特に、55番南光坊は、今治駅や市役所にもほど近く、隣接する大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)とともに、市民の憩いの場のようなところです。

 今治市と言えば、今治城やタオルなどが有名ですが、今回は次の松山に向かうため、札所の巡拝に専念します。

 

 

 56番泰山寺

 泰山寺(たいざんじ)は、今治市の中心部からやや西の、まだ農地も残る住宅地の傍に位置します。

 直前の栄福寺からは、車で10分ほどの距離。街中の主要道路を北西方向に進み、一路目的地を目指します。途中から住宅地の中の道を縫うように進んで行くと、再び、片側1車線の主要道路に行き着いて、そのすぐ脇に、整備された泰山寺の専用駐車場がありました。

 泰山寺は、駐車場から道路を渡り、70mほど奥に進んだところです。車でも入っていけそうな道ですが、その先は極端に道幅が狭くなっていて、往生すること間違いなし。必ず道沿いの駐車場に入られることを薦めます。

 

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泰山寺への入口。石段を上がった、左側が本堂です。

 泰山寺

 駐車場から細い道を進んで行くと、美しく積み上げられた石垣と白壁に囲まれた泰山寺の境内が近づきます。

 そういえば、この霊場も仁王門はありません。石段の上部に標石があり、その向こう側に、左右に少し細長い境内が広がります。

 本堂は、入口の左側。正面は、納経所や宿坊などがある建物です。大師堂は、宿坊の向かい側。境内の配置で言うと、右方向で、集落を背にした位置にありました。

 

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※左、本堂前から見た境内。奥の右手に大師堂があります。右、大師堂。

 泰山寺は、集落や農地からは一段高い丘のような位置にあり、境内からは、付近の景色が見渡せます。

 大師堂の右方向には、金剛杖をかざした弘法大師像が、凛とした姿で巡拝者を見守ります。またその右側には、不老松と呼ばれる松がありました。かなりの年月を経た古木の切り株は、大師の御手植ということです。今では、さらにその右側に、形の良い若木が育ち、不老松の世代を引き継いでいる様子です。

 

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弘法大師像と不老松。

 55番南光坊

 次の札所は、南光坊(なんこうぼう)。泰山寺を出て、北東の今治市の中心部へと向かいます。JR予讃線の高架下をくぐってしばらくすると、正面は今治の商店街。アーケードがある賑やかそうなところです。その交差点を左折した先の左手が市役所で、さらに奥に向かうと、今治駅という具合です。

 南光坊は、市役所から、200mほどの位置。大通りの左側に、境内は広がります。

 

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南光坊の入口。

 

 南光坊

 南光坊は、境内の中に駐車場がありますが、正面の仁王門からは車で入ることはできません。仁王門の手前か、その先の細い道を左折して、脇の方から境内に入ります。

 南光坊は、隣接する大山祇神社と関係が深く、立派な仁王門のすぐ先には、大きな鳥居がそびえています。大通りに面したところの、神仏2つのシンボルは、ある意味圧巻とも言える光景です。

 

 仁王門を入ると、その先の右側が大師堂、そして、正面奥が本堂です。大師堂がある境内と本堂がある境内の間には、アスファルトの道路が通っていて、少し不思議な感じです。

 そういえば、南光坊という名称。「坊」がつく霊場は、四国八十八か所で、ここだけです。調べてみると、「坊」とは、”大きなお寺に帰属する小さなお寺”らしいのですが、この南光坊は、規模的に他の霊場と遜色はありません。歴史の変遷を経て、この名が残っているのでしょう。

 

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※左、右奥の仁王門から手前に入り、写真左が大師堂。右、本堂。

 

 ついでながら、四国霊場の札所の中で、「院」がつく寺院も僅かながら存在します。正式には、68番神恵院(じんねいん)だけのようですが、「院」の場合は、例えば79番天王寺が、別名で高照院(こうしょういん)と呼ばれるように、もしかして、他にもこのような例はあるのかも知れません。

 ちなみに、「○○山△△院▢▢寺」という寺院は幾つか存在するようです。

 

 54番延命寺

 次は、今治市最後の札所、延命寺(えんめいじ)です。今治の中心地から、今度は北寄りに西方向に向かいます。位置的には、56番泰山寺とは僅かに1Kmほどの距離ですが、間に55番を挟むため、迂回しての道筋となりました。

 南光坊から延命寺へは、街中の県道を利用して向かう方法と、他に、やや北寄の”いこいの丘”を通る方法の2通りの行き方があるようです。前回、この、”いこいの丘”の道を通った時には、当時話題になっていた、岡山理科大学今治キャンパス(いわゆる、加計学園)の建物群が目に止まり、一種異様な雰囲気を感じたものでした。

 今回は、私たちは県道の利用です。市の西部の住宅地を進んだ後、県道から右手にそれて、緩やかな丘のような地形に向かいます。途中、ため池の脇をすり抜けると、その奥に仁王門がありました。駐車場は仁王門の右脇を通り抜けたところです。

 

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※駐車場から仁王門方向を見た様子。

 

 延命寺

 駐車場から境内へは、もう一つ山門をくぐります。山門の先は、真っ直ぐに参道が延びていて、正面の奥、一段高いところに本堂がありました。

 

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※山門。

 

 大師堂は、本堂の手前、山門を背にすると、左側。大師堂も、本堂と同様に一段高いところです。

 延命寺は、それほど広い境内ではありません。背後に小高い山が迫っていて、建物は、生い茂る木々に抱かれるように佇みます。

 

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※左、本堂。右、大師堂。

 

 慌ただしく、今治の6か寺の参拝を終えました。次は愛媛県の中心地、松山市へと向かいます。

 

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)19・・・伊予路(59番→57番)

 今治

  

 西条市の北隣りは、今治市。本四架橋の尾道今治ルート(通称、しまなみ海道)で本州と結ばれた、四国の一つの玄関口です。

 この今治市にも、四国八十八か所霊場は6か所あって、西条市とともに、多くの札所が集まる地域です。

 

 

 59番国分寺

 奥深い山中の横峰寺を出た後は、もと来た道を引き返し、国道11号に戻ります。その後は、国道196号を北に向かって今治市方面へ。

 これまでは、この国道、それなりに時間がかかっていましたが、今回は、自動車専用道路が開通していて、”いよ小松IC”から”今治湯ノ浦IC”まで、あっという間のドライブでした。

 国分寺は、インターチェンジを下りてそれほど時間はかかりません。駐車場は県道からすぐのところで、周囲にはまだ農地も見られます。この辺りは、今治市の南部にあたり、のどかな景色のところです。

 

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国分寺境内への入口。

 

 国分寺

 今治市国分寺は、伊予の国の国分寺。この辺り、その昔には国府が置かれ、この地方の中心地だったことでしょう。

 国分寺の正面は、左右に置かれた常夜灯が特徴で、その奥に、少し広めの階段が真っ直ぐに延びていて、巡拝者を境内へと導きます。

 階段を上がって、さらに一段高いところに境内は広がります。80番札所で紹介した讃岐の国分寺は、そこそこ広い境内でしたが、この、伊予の国の国分寺は、それほど広くは感じません。

 

 境内の正面奥には、立派な本堂があり、その右側手前が大師堂という配置です。大師堂のすぐ傍には、台座のない、等身大の弘法大師の石像がありました。”握手修行大師”とされるこの石像、いわれはよく分からないものの、握手をすると願いがかなえられると書かれています。

 

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※左、本堂と、その右が大師堂。右、”握手修行大師”の石像。

 

 58番仙遊寺

 国分寺から、少し北西方向に向かって進むと、小高い山並の麓を縫うような道に入ります。こ辺りの山の一つが作礼山(されいさん)。仙遊寺(せんゆうじ)は、この山の頂上近くに位置します。

 途中、ため池の付近には、仙遊寺を示す標識がありました。ここからは、左手方向に延びる山道に進みます。最初はそれほど急な勾配ではないものの、道は次第に急坂に変わります。

 そこそこ坂を上ったところの、ヘアピンカーブの左手には、立派に構える仁王門がありました。正規には、ここからの参拝となるのでしょうが、駐車場はまだ上です。

 

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仙遊寺の仁王門。

 

 仁王門を通り過ぎ、もう一息上ったところには、少し不思議なスペースが。そして、左手には、急な坂道が山の上へと続きます。このスペースは、車の方向を反転させる空間で、安全性が考えられた設計です。

 そこから、さらに坂を上がると、その先は行き止まり。そこは、仙遊寺の駐車場となっていて、本堂の裏手にあたります。

 

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※左、駐車場から境内への入口。左が本堂の裏側。右、本堂正面。

 仙遊寺

 本堂の脇をすり抜けて、境内に入ります。まずは、本堂の正面に回って参拝し、境内奥の右手にある、大師堂へと向かいます。境内に生い茂る大木は、太い根を土の上に出しながら自らを懸命に支えている様子です。

 仙遊寺の境内は、また、見晴らしの良い位置にあり、今治の市街地と、瀬戸内の絶景が見渡せます。この景色を眺めていると、心が安らぐ気分です。

 

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※境内からの景色。

 

 57番栄福寺

 仙遊寺から栄福寺までは、わずか5分程度で到着します。位置的には、仙遊寺に向かう山道に入るところにあった、ため池の向こう側。農地と集落が混在する細い道をすり抜て、林の方に進んで行くと、栄福寺の駐車場に到着です。

 駐車場のすぐ奥には、比較的新しい宿坊のような建物*1が見えました。その建物の方向から境内に向かうこともできますが、私たちは、一旦道路に戻り、正規の入口へと迂回です。

 

 栄福寺

 永福寺の入口には、立派な標石が建っていて、その奥の左手に、弘法大師像がありました。境内は、その奥をU字状に、左に折れ曲がった方向に続きます。本堂は、そこから石段を真っ直ぐに上った突き当り。小じんまりとはしていても、歴史を感じる建物です。

 

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※左、栄福寺入口。右、本堂と境内。

 

 本堂を正面に見て、一段下がった右側が大師堂。境内は、丘の斜面のようなところに築かれていて、それほど広くはありません。

 

 参拝後、境内下の納経所に向かう時、石段を下りたすぐ横の掲示板が目に止まり、そこに貼られたポスターにくぎ付けです。

 ポスターや、新聞の切り抜きコピーを見ていると、どうも、この寺院の住職さんは、とても活動的な方のようで、「ボクは坊さん」という本を書いたり、講演活動などを行ったりしておられる様子です。私は観たことはありませんが、本の名前と同じ表題の映画も5年ほど前に公開されているようです。

 ここで見たポスターは、まさしくこの映画のポスターで、結構名の知れた俳優たちが顔をそろえておられます。

 

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※納経所前の掲示板。

 

 次の札所は、56番泰山寺今治市の中心部へと車を走らせます。

 

*1:調べてみると、宿坊ではなく、寺院の事務所の建物のようです。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)18・・・伊予路(60番横峰寺)

 山岳の霊場

 

 これまでも、険しい山の中にある霊場を幾つか訪れてきましたが、次の横峰寺は、車で向かうのにも困難な、急峻な深い山にある古刹です。

 車での遍路の場合、大抵は、道路も舗装され、あるいはロープウエイなどを利用して、山の頂へも辿り着くことが可能です。それでも、横峰寺をはじめとした幾つかの霊場は、今でも険しい崖道や、鬱蒼とした森の中を進んで行かなければなりません。

 

 

 60番横峰寺

 これまでの4か寺は、西条市の国道11号線の沿線近くに点在し、効率よく巡拝を進めることができました。次に向かうところは、西条市最後の霊場横峰寺(よこみねじ)。国道から、一気に四国山地に駆け上り、険しい山中に分け入ります。

 

 61番香園寺を出て、国道11号を64番前神寺方面に戻ります。63番吉祥寺を過ぎたあたりの交差点で、横峰寺への標識を確認し、その交差点を右折です。その後は、次第に勾配が増す坂道に。

 道は、ほどなく山の中に吸い込まれ、蛇行しながら次第に標高を高めます。やがて、少し空が開けたかと思うと、T字路が現れて、正面に人工湖と思われるダム状の湖が見えました。

 T字路を右折して間もなく、湖に沿って道なりに延びる県道と、その右脇を、上方に向っていく坂道に分かれます。目的地は、坂道の方向で、ここからさらに険しい山の中に入ります。

 分岐から少し上がったところには、昭和の雰囲気が漂う、バス待合所のような建物がありました。未舗装の駐車場には、マイクロバスがたくさん停まり、どうも、横峰寺への車の乗り換え所のようなところです。

 ここから先は、大型バスではとても走ることができない道になるために、団体のお遍路さんたちは、ここで小さな車に乗り換えることになるのだと思います。

 

 その先は、心細くなるような、木々が覆う山道ですが、勇気を出しての運転です。

 山中の薄暗い細道を、奥へ上へと進んで行くと、やがて谷あいに、料金所が現れました。この料金所、林道管理のための協力金のような位置づけで通行料の徴収です。車1台、1,850円の料金は、高いのか安いのか。霊場へ向かう身としては、ありがたく通行させて頂きました。

 

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※左、料金所。ここで料金を支払います。右、横峰寺の駐車場。土産物店が1軒ありました。 

 

 料金所からその先は、幾分舗装状況は良くなったような気もします。それでも、屈曲を繰り返す山道は延々と続きます。

 

 やがて、山の頂上のような場所に出ると、そこは横峰寺の駐車場。結構な広さがあって、見晴らし台にもなるような、空間が開けたところです。天気がよければ、緑濃い山並みを望むことができるのでしょう。もしかして、四国最高峰の石鎚山もすぐそこに望めるのかも知れません。

 ここまで、山道をおよそ30分。なかなかハードなドライブでした。

 

 横峰寺

 駐車場から横峰寺の境内へは、逆に山道を少し下ります。10分程度の道筋ですが、運転ばかりの身体には、ほどよい散策の機会です。

 

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※左、駐車場から境内への道。右、境内の入口。

 

 山の小道を歩き進むと、やがて境内に到着です。横峰寺の境内は、山の斜面に築かれていて、狭い敷地に、お堂などの建物が上手く配置されています。

 境内入口の左手上が大師堂。その前から延びる細いスペースが参道で、大師堂と向かい合う位置に本堂がありました。大師堂と本堂をつなぐ参道の左斜面は、シャクナゲの群生地。反対の右手下には、客殿や美しいお庭がありました。

 

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※左、写真には写っていませんが、左手前が大師堂。右奥に見えるのが本堂です。右、本堂側から正面奥の大師堂を望みます。左の屋根は客殿です。

 

 美しい庭

 四国霊場を巡っていると、たまに、美しいお庭を拝見することがありますが、横峰寺のお庭は、特に素晴らしく感じます。その理由は、圧倒的なシャクナゲの植え込みと、様々な種類の、花のなる木が境内を覆っているからです。

 今回の訪問は、季節的に花が少ない時期ということで、少し残念な気分です。前回訪れた時は5月頃。シャクナゲの淡いピンクの花が咲き誇っていた時でした。

 

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※左、今回の横峰寺客殿とお庭。右、前回の訪問時の様子。

 

 本堂と大師堂の参拝後は、客殿の隣にある納経所で御朱印をいただきます。本来の参拝は、険しい山道を歩いて上り、納経所の左手方向にある仁王門から境内に入るのですが、私たちは、裏手からの参拝となりました。

 

 遍路ころがし

 この横峰寺、麓から歩いて登れば、どれほどの時間がかかるのでしょう。歩き遍路では、時折、”遍路ころがし”という言葉が使われます。これは、お遍路さんたちを転がり落とすような急な坂道が続き、あるいは、歩く心を折れさすような厳しい道のりが待ち構える難所という意味のようで、まさに修行の道程です。

 ”遍路ころがし”で最も知られている霊場は、徳島の12番焼山寺(しょうざんじ)。さらには、20番の鶴林寺や21番太龍寺、45岩屋寺なども、本当に険しい道筋です。

 このような、幾つかある難所にも劣らない程の難所の一つが、この横峰寺ということです。私たちは、車での参拝で、その本当の厳しさは分からないまでも、石鎚山の至近距離まで歩かなければならない遍路道の過酷さを、何となく想像できるような気がします。