旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

気まま旅のスケッチ[アメリカ]18・・・サンノゼ(3)

 西湾岸の街

 

 サンフランシスコ近郊のベイエリア。湾の西側の地域には幾つかの主要な都市が連なります。その中で有名なのはスタンフォードの街でしょう。この街は、明確な行政区域では無いと思うのですが、人口およそ2万人を擁しています。中でも、スタンフォード大学は超有名で、街自体、大学を中心に運営されているようです。

 続いて、レッドウッドシティです。ベイエリアの西岸を包括しているサンマテオ郡の中心地。名前の通り、かつては、木材の集積地として賑わっていた様子です。

 そして、サンマテオ。サンフランシスコ湾の東西を結ぶ橋が架けられ、その名もサンマテオ・ヘイワード・ブリッジと呼ばれています。このサンマテオ、シリコンバレーの企業に勤める日本人が数多く暮らしておられ、日本食料理店や食材のお店などが集積しています。

 湾の南部のサンノゼからは、カル・トレインと呼ばれる列車が走り、これらの各都市を結んでいます。私たちは、サンノゼから、カル・トレインを利用して、サンフランシスコへと北上し、そこからはバート鉄道に乗り換えて、娘たちの家があるアラメダへと戻ることになりました。

 

 

 サンノゼの街

 私たちは、依然として、サンノゼのダウンタウン近くを歩いています。ダウンタウンのサード・ストリートから西側に見えていた、尖塔のある建物も見られます。

 この辺り、落ち着いた雰囲気のレンガ風の建物も。やはり、人通りはそれほど多くありません。

  

※ダウンタウンの南側の街並。

 

 セントジョセフ大聖堂

 街中を歩いていると、立派な教会が交差点の角のところにありました。尖塔が幾つも配されて、ドームのような屋根も見られます。近づくと、その壮大さに圧倒されるような雰囲気です。

 

※街角にあった教会。

 

 教会の正面に回ってみると、益々その凄さを感じます。柱の上には、スペイン語のような表示も掲げられ、末尾には”S・JOSEPHI”の文字も見えました。

 地図を見ると、この教会、セントジョセフ大聖堂というようです。

 私たちは、厳かな気持ちになって、中の方へと歩みを進めていきました。

 

※セントジョセフ大聖堂の正面。

 

 建物の中に入ると、そこは空気が張り詰めた、壮大な空間が広がります。ドーム状の天井には、幾つもの人物絵が配されて中央は青く輝く紋様です。

 正面の祭壇奥にはステンドグラスがはめ込まれ、幽遠な光が輝きます。

 

※セントジョセフ大聖堂の内部の様子。

 

 大聖堂の一角には、イエス・キリストを抱えたマリア像。その近くには、十字架に張り付けられたキリストの像もありました。

 私たちの宗教は仏教なのですが、思わず、マリア像やキリストの像に向かって手を合わせることに。そんな、純粋な空気感が教会全体を覆っています。

 

※マリア像。

 

 再び街の中

 教会を後にして、再び街の中を歩いていると、ビルに挟まれた空間に、スケートリンクがありました。リンクには、何人かの人の姿があったものの、ここでも閑散としています。

 週末は、多くの家庭は自宅で過ごされるのが通例なのか、どこか寂しいダウンタウンの印象です。

 

※ダウンタウンに置かれたスケートリンク。

 

 サンカルロス通り

 私たちは、ダウンタウンのホテルで1夜を明かし、翌日の朝、郊外のショッピングモールへと向かいます。

 ダウンタウンからモールへは、バスで移動です。ここでもクリッパーカードが有効で、簡単に乗車ができて安心です。

 バスは、ホテル近くのサンカルロス通りから。バス待ちをしていると、路面電車が走ってきます。公共交通機関は結構充実しています。

 

※サンカルロス通りを走る路面電車。

 

 バスの停留所には、このような看板があるのみです。時刻表は無いのですが、今やGooglemapで確認できて、大変便利です。路線経路や目的地など、一目で分かるため、重宝させて頂きました。

 

※バス停留所。

 

 ショッピングモール

 さて、ショッピングモールです。私たちが訪れたのは、ウエストフィールド・バレー・フェアと呼ばれるモールです。大きな建物には、ブランドのお店から一般的なカジュアルなお店まで、様々な店舗が並んでいます。

 モールに入った時は、まだ11時前。人通りは少なくて寂し気な様子でしたが、11時を過ぎた辺りから、急に混み合う状況に。

 

※ショッピングモールの様子。

 

 お昼時、日本のラーメン店では順番待ちの人の列。私たちが訪れた数週間前、娘と孫2人がこのお店を訪れて、1時間待ったということです。

 

※人気のラーメン店、凪(なぎ)。

 

 私たちは、とてもそんな長時間は待てません。近くを見ると、通路販売のおにぎり屋さんが目に留まり、そこでおにぎりを注文です。

 

※通路販売のおにぎり店。

 

 どうです、このおにぎり。ボリュームもあり、海苔はしかりとした食感です。挟まれた具材も美味しくて、お味噌汁は完璧です。私にとって、大満足の昼食となりました。

 

※おにぎりの味は最高でした。

 

 サンタクララ

 ショッピングモールからは、帰路の途に。モールからサンタクララ市のカルトレインの駅までは、再びバスで向かいます。

 サンノゼ市の北隣にあるサンタクララ市は、住宅地が広がります。ただ、この街には、今やIT業界を席巻する、インテルやエヌビデアなどの大企業も構えていて、まさに、シリコンバレーの代表格。

 サンタクララ駅も、スッキリとした装いで、落ち着いた雰囲気のところです。

 

※サンタクララ駅。

 

 駅に着いたカルトレインは、清潔感がある車両です。ここでも、ホームに備え付けられたクリッパーカードの機械にタッチして、乗車をすることに。

 私たちは、ここからサンフランシスコへと北上し、途中でバート鉄道に乗り換えてアラメダへ。1泊2日のベイエリアを一周する旅を終えました。

 

※サンフランシスコ駅行きのカルトレインが入線です。

 

 

気まま旅のスケッチ[アメリカ]17・・・サンノゼ(2)

 サンノゼ

 

 今回、私たちが訪れたサンノゼは、州の中でも第3位となる人口を擁しています。もちろん、人口規模の第1位はLAですが、2番目は意外にも、州の最も南に位置するサンディエゴだということです。そうすると、サンノゼはサンフランシスコより人口の多い街ということに。やはり、サンフランシスコ市は、市域が狭いため、それほど人口は抱えられないのかも知れません。

 さて、サンノゼです。この街は、元々、果樹園などが広がっていたようですが、今やシリコンバレーの中心地。数多くの先端企業が集積しています。こうした企業で働く人の収入は安定し、富裕層が数多く暮らしているということです。

 世界経済を牽引するサンノゼ市。どのような街なのか、興味は尽きません。

 

 

 ダウンタウン近く

 ダウンタウンをしばらく歩いて、北方向におよそ2キロ離れた場所にあるジャパンタウンに向かいます。

 途中、サード・ストリートから南西方向を眺めると、鐘楼のような塔を抱いた建物が見えました。この建物、最初は教会かとも思いましたが、見るからに立派なビル。おそらく、企業の建物か複合的なビルなのだと思います。

 

※サードストリートから南西方向を望みます。

 

 私たちは、サード・ストリートを北に向かって歩きます。途中には、歴史を感じる立派な建物もありました。

 

※歴史を感じる建物なども見られます。

 

 ジャパンタウンへ

 さらに北に向かって歩いて行くと、「JAPANTOWN ⇒」と記された表示板。次の角を右に折れるとジャパンタウンがあるようです。

 この辺り、道沿いは一般の住宅が並んでいます。落ち着いた雰囲気の街並みです。

 

※JAPANTOWNを示す表示板。

 

 サード・ストリートから右方向に転じると、ジャクソン・ストリートに入ります。その角のところには、”Akiyama Wellness Center”と書かれた看板です。

 もうこの辺りから、日本の香りが漂ってきたように感じます。

 

※ジャクソン・ストリートに入ったところ。

 

 ジャパンタウン

 ジャクソン・ストリートを東に向かって歩いて行くと、歩道際に”NIHONMACHI”と記されたバナーが揚がっています。

 この辺りからジャパンタウンの地域になるようですが、まだ、お店などはほとんどなくて、静かな住宅地が続いています。 

 

※ジャパンタウンの入り口辺り。

 

 さらにしばらく歩いて行くと、Forth St.の表示です。ここから先は、お店がたくさん並んでいます。気のせいか、人の通りも幾分か増えてきたようにも感じます。

 この先が、ジャパンタウンの中心地。どのようなところかと、わくわく感が止まりません。

 

※ジャパンタウンの中心部に入ります。

 

 ジャパンタウンの通りには、次のような説明板が置かれています。これによると、1890年代に日系移民たちはサンタクララバレー(サンノゼを含む地域)で季節労働場所を探し求め、農場で働くようになりました。そしてこの地に、コミュニティーを作るようになったということです。

 

※歩道の隅に置かれた説明板。

 

 ジャクソン・ストリートをさらに東に向かいます。道沿いには、日本食レストランや日本グッズの土産物のお店などが並んでいます。ただ、人通りはそこそこはあるもののそれほど混みあった状況ではありません。

 この日は、前にも触れたように、土曜日です。そして、サンノゼの地元フットボールチームの試合中。多くの市民は、この試合をTVなどで観戦しているのかも知れません。

 

※ジャパンタウンの中心地。

 

 ジャパンタウンの通りには、”NIJIYA”という、日本食材を販売するスーパーマーケットもありました。

 このお店、中に入ると、日本からの輸入品が数多く売られています。お菓子や調味料、食材なども日本のスーパーそのものです。

 売り場内を歩いていると、日本人風のご老人が何人か買い物をされている姿がありました。おそらく、日本移民の方々か、或いはまた2世なのか3世なのか。

 故郷を遠く離れて暮らしておられるその姿を見ていると、20年間この地に暮らす娘たちとは、どこか違って見えました。言葉では、なかなか言い表すことはできないものの、過去の苦労を背負って生きている、そんな空気を感じたものでした。

 

※にじやスーパーマーケット。

 

 歩道際には、またもう一つの説明板。そこには、相撲のイベントや野球チームの姿のほかに、仏教寺院や地域の診療所の写真もありました。

 1930年にはこうして、日系人のコミュニティーが発展していた様子です。

 

※歩道際に置かれた説明板。

 

 ダウンタウンへ

 日本人町を散策後、路面電車でダウンタウンへと戻ります。こちらは、ダウンタウンの中心から、やや南方向の街並みです。低層階の建物が建ち並ぶ、落ち着いた雰囲気のところです。

 

※ダウンタウンの中心部からやや南に下った街並。

 

 相変わらず、人の姿はまばらです。この道路、実は、路面電車の駅を写したものですが、少し説明が必要です。

 実は、道路の向こう側に屋根があり、ベンチが置かれているところ。そこが路面電車の駅なのです。背を向けて坐っている方は電車の待機中。道路の向こう側に線路が敷かれ、10分から15分間隔で路面電車が走っています。

 

※道路の真ん中に置かれた路面電車の駅。

 

 

気まま旅のスケッチ[アメリカ]16・・・サンノゼ(1)

 アムトラック

 

 アメリカの鉄道で最も良く知られているのがアムトラックだと思います。主要都市を結びながら大陸を横断し、東西南北の物流を支えています。ただ、路線はそれほど綿密ではなく、便数も限定的。利用客も多いとは言えません。

 アメリカの西海岸では、シアトルからポートランドを経由して、カリフォルニア州の州都であるサクラメントへ。そして、オークランド、サンノゼからさらに南下して、ロスアンゼルスまでを繋いでいます。このような路線が整備されてはいるものの、一つの列車で結ばれている訳ではありません。おそらく、シアトルからロサンゼルスを目指すとすると、何回か乗り継ぎが必要となるでしょう。

 そんなアムトラック、今回はこの鉄道を利用して、オークランドからサンフランシスコ湾の南に位置するサンノゼへと向かうことになりました。

 

 

 ジャック・ロンドン駅

 オークランドに設けられたアムトラックの駅名は、ジャック・ロンドン駅と呼ばれています。そうです、作家のジャック・ロンドンを記念して作られたジャック・ロンドン・スクエアの一角にこの駅は置かれてます。

 駅舎は、近代的なガラス張り。格好の良い造りです。

 

※オークランドのジャック・ロンドン駅。

 

 駅舎の中は、このような状況です。正面に”Tickets &Baggage Check-in”のカウンターが置かれていて、あとは、待合スペースがあるのみです。

 最初は、どこからホームに入るのか、改札所を探してみましたが、どこにもそのような施設はありません。ふと、外を覗うと、そこにはホームがあるようです。そうです、ホームには、自由に出入りができる状態の鉄道だったのです。

 

※駅舎の中の様子。

 

 プラットホーム

 チケットは、先ほどのチェックインカウンターでも購入できるはずですが、私たちは、オンラインで購入済。おそらく、電車の中でチケットチェックが行われるシステムなのでしょう。

 プラットホームに出てみると、平面的な構造で、少し異様に感じます。進入してきた列車を見ていると、入口からは階段が下りてきて、乗客はそこからホームへと降り立ちます。

 

※ジャック・ロンドン・スクエア駅のプラットホーム。南側を捉えた写真です。

 

 プラットホームの反対側(北側)は、このような状態です。列車待ちの客の姿もありますが、それほど多くはありません。

 

※プラットホームの様子。

 

 アムトラック

 列車を待つことおよそ30分。ほぼ時刻通りに到着です。列車が到着する時、チェックインカウンターに座っておられた駅員がホームまでやってきて、列車の案内です。地声で、「サンノゼ方面に行かれる方はこの列車に乗ってください」と呼びかけます。

 列車に乗ると、中はこのような状況です。案外、きれいな車両で心地よく乗ることができました。また、乗客も少なくてガラガラの状態です。

 

※アムトラックの列車内の様子。

 

 乗車チケットは、オンラインで申し込むと、次のようなe-Ticketが携帯に届きます。車両の中に入って座席を決めると、すぐに係りの人が現れて、チケットのチェックです。

※アムトラックのeチケット。

 

 列車は、それほどスピードは出ませんが、順調に走っています。窓の外は、ベイエリアの東側。丘陵地帯が望めます。

 

※アムトラックの車両からベイエリアの東側の丘陵地を望みます。

 

 窓外は、まるでヨーロッパのような風景が広がります。ベイエリアの地域でも、東側はまだまだ自然が残っています。

 

※車窓からの風景。

 

 サンノゼへ

 列車はやがて、湿地帯のようなところを通ります。窓の外にはサンフランシスコ湾が望めます。それでも、この風景は湾というよりも湖のような景色です。

 この辺り、サンフランシスコ湾の最南端。おそらく水深もそれほど深くはないのでしょう。もう随分と、サンノゼの街に近づいてきた様子です。

 

※湿地帯のようなサンフランシスコ湾が近づきます。

 

 サンノゼ駅

 湾を見ながらしばらく進むと、左手に、サンノゼ空港が現れます。そして、その先がアムトラックのサンノゼ駅。オークランドのジャック・ロンドンの駅からおよそ1時間15分の列車の旅でした。

 

※アムトラックのサンノゼ駅。

 

 ホームに降り立ち、地下の通路を進みます。そして、その先に歴史を感じる駅舎です。この駅舎もカウンターが置かれていますが、あとは待合のスペースがあるだけです。かつては、チケットの販売や、乗客の対応などで忙しかったことでしょう。今は、案内を求める人も少なくて、閑散とした状態です。

 

※サンノゼ駅の駅舎の中。

 

 この駅舎、外から眺めた様子です。レンガ造りの立派なもので、屋根の下には”SOUTHERN・PACIFIC・LINES”と刻まれた表示がありました。

 

※サンノゼ駅の駅舎。

 

 ダウンタウン

 駅からは、バスでダウンタウンへと向かいます。最初、バスの案内がよく分からずに、少し戸惑ってしまいましたが、よく見るとクリッパーカードも利用できるよう。安心して乗車することができました。

 バスの乗車は、ほんの10分ほど。ウエスト・サンタクララ・ストリートにある、ダウンタウンに到着です。

 私たちが訪れた日は土曜日で、しかも、近くにあるスタジアムで地元のフットボールチームの試合中。従って、ダウンタウンは閑散とした状態でした。

 

※サンノゼのダウンタウン。

 

 ダウンタウンを歩いていると、派手な様相の日本食レストラン。”FUJI RESTAURANT”の看板が架けられて、ネオンサインや赤ちょうちん、竹細工の飾りなども置かれています。

 

 私たちは、この先、徒歩でおよそ30分ほど離れている、ジャパンタウンへと向かうことになりました。

 

※ふじレストラン。

 

気まま旅のスケッチ[アメリカ]15・・・ヘイワードとカストロバレー

 日本庭園

 

 どうしてこのようなところに日本庭園があるのかと、不思議に思いながら訪れたヘイワード。ベイエリアの東にあって、私たちが拠点にしているアラメダからは、南東方向およそ20キロのところに位置しています。

 このヘイワード、人口はおよそ16万。市域には住宅地が広がります。その市域の東側、お隣りのカストロバレーと境界を分ける丘陵地の片隅に日本庭園はありました。日本人が訪れることなど滅多にないようなところにあるこの庭園。中に入って、その理由を知ることになりました。

 

 

※船橋市のホームページ。

 

 船橋市の姉妹都市

 実は、ヘイワード市は日本の千葉県船橋市の姉妹都市だったのです。私たちは全く知らずに日本庭園を訪れて、初めてその事実を知ることになりました。

 庭園の中の様子や姉妹都市のいきさつは後ほど触れさせていただくとして、先ずはヘイワードの街を紹介したいと思います。

 

 ヘイワード駅

 私たちは例により、バートの鉄道でヘイワードへと向かいます。バートのヘイワード駅は、私たちの最寄駅、フルートベイル駅から4駅南に位置しています。所用時間はわずかに20分。あっという間に到着です。

 

※バートのヘイワード駅。

 

 ヘイワード市庁舎

 駅を降りると、正面に、小さいながらも立派な建物が目にとまります。その建物までの間には、広場と園路が整備され、園路は建物へと続いています。

 広場の入口を見てみると、”City Hall”と記された緑色の案内表示。なるほど、この立派な建物は、ヘイワード市の庁舎だったのです。

 私たちは、心地よい日差しを浴びて、市庁舎の方へと進みます。

 

※ヘイワード市庁舎。

 

 朝市

 市庁舎を左に見ながら、先の道路を見てみると、何やらテントが建ち並び、イベントが行われている様子です。

 私たちが訪れたのは、丁度土曜日の朝のことでした。おそらく、ファーマーズマーケットの開催日なのでしょう。テントでは、採れたての野菜やフルーツなどが数多く売られています。

 

※ファーマーズマーケットの様子。

 

 見てください。美味しそうなリンゴや柑橘類が並んでいます。

 

※ファーマーズマーケットで販売されていたフルーツ。

 

 ダウンタウン

 ファーマーズマーケットを楽しんだ後、Aストリート伝いに東へと向かいます。道は、緩やかな上り坂。この先の丘陵地へとじわりじわりと上っています。

 途中、交差点のところには、”DOUNTOUN HAYWARD”と表示されたゲートです。それでも、この辺り、それほどお店はありません。

 

※ダウンタウンヘイワード。

 

 アフガニスタン料理

 Aストリートを東に向かってさらに進むと、右手には一軒のレストランがありました。時刻はまだ11時を過ぎたばかりだったのですが、この先、あまりお店はないようです。

 看板を見ていると、アフガニスタンのレストランの様子です。アフガン料理など、これまで食べたことがない私たち。ドアの横には”OPEN”のネオンが光っています。思い切って、扉を開けて中に入ることになりました。

 

※アフガニスタン料理のレストラン。

 

 私たちが注文したのは、ラム肉のケバブです。程よい味付けのラム肉は、それほど固くは無くて、ボリューム感満載です。お米も、かなりの長粒米。それでも焚き加減や味付けもよく、大変美味しく頂きました。

 

※ラム肉のケバブ。

 

 日本庭園へ

 早めの昼食を済ませた後は、日本庭園へと向かいます。途中、Aストリート沿いの道端に、”Japanese Garden”と記された表示板が置かれていたので、安心して先に進むことができました。

 

※”Japanese Garden”が記された表示板。

 

 Aストリートをさらに進んで、その先で左折すると、住宅地の中に入ります。その中を地図を頼りに歩いて行くと、日本庭園に行き着きます。

 この庭園、シニア・センターに併設されていて、平日はお年寄りの散策コースとなっているのかも知れません。

 庭園の入口は、和風の門が設けられ、自由に中に入れます。奥を見ると、見事な樹形の木々が植わって、まさに日本庭園そのものです。

 

※日本庭園の入口。

 

 友好の碑

 庭園の中に入って、辺りを見回すと、松やツツジなどの植栽が所せましと植わっています。本来の日本の庭園は、もう少し木の間隔が広くとられていると思うのですが、ここでは、密集状態です。

 それでも、植栽の樹形などはまさに日本の庭園そのもので、親近感を覚えます。

 

 園路を先へと進んで行くと、木々の間に日本語が刻まれた石の碑がありました。その石碑、「友好の碑」との表記があって、「ヘイワード市・船橋市姉妹都市提携7周年にあたり両市の友好の絆としてここに記念碑を建立する」と書かれています。

 

※友好の碑。

 

 なるほど、それでここに日本庭園があったのかと、初めてその理由を知ることになりました。

 ところで、どうして船橋市と姉妹都市提携が結ばれることになったのか。不思議に思って、船橋市のホームページを調べたところ、次のような説明書きがありました。

 

 「大都市(サンフランシスコ)のベッドタウンとして、人口が増加したことや、湾岸都市であることなど、都市の形態や地理的条件が非常に類似していること」

 

 そう言う理由だったのかと納得する反面、何かこじつけのようにも感じます。おそらくは、どなたか両市にゆかりのある方が、間を取り持って、友好提携に持ち込まれたのだと思います。

 

※日本庭園の池の風景。

 

 いずれにしても、船橋市とヘイワード市が姉妹都市だったということは、私にとって驚きでした。

 そんな背景を頭において、庭園内を巡ります。

 

※池には四阿の設けられています。

 

 カストロバレー

 日本庭園の散策を楽しんだ後、Aストリートをもう少し東に向かうと、今度は下り道に変わります。それほど勾配はきつくはなくて、だらだらとした坂道です。

 おそらく、もうこの辺りはヘイワードの隣街、カストロバーレーになるのでしょう。坂道の傾斜のところは住宅が張り付いて、新しい街が広がります。

 

※カストロバレーの街。

 

 緩やかな坂道を下って行くと、フリーウエイの高架橋との立体交差に行き着きます。その交差している橋げたには、”CASTRO VALLEY”の表示です。

 この橋げた辺りにバートの駅があるはずですが、見渡しても、それらしい建物はありません。私たちは、高架下を潜り抜け、向こう側に回ります。

 

※フリーウエイの高架橋。

 

 カストロバレー駅

 フリーウエイの反対側の左手には、バスの乗降場所や駐車場。おそらく駅はその辺りなのでしょう。フリーウエイ伝いに少し北に向かって行くと、下のような地下の駅舎がありました。

 

※カストロバレー駅の入口。

 

 地下の駅舎に入った先は、バートの改札場。例により、クリッパーカードをかざして中へと進みます。そして、階段を上って行くと、そこはバートのホームです。

 このホーム、ご覧ください、左右にはフリーウエイが走っています。フリーウエイの上りと下りに挟まれた、鉄道のホームという状況です。

 

 因みに、ヘイワード駅を通る路線とカストロバレー駅を通る路線は、その北にある”Bay Fair駅”で2方向に分かれているため、互いには一つの路線で結ばれてはいないのです。つまり、Y状に分かれた路線で、私たちは、一方の路線からもう一つの路線まで、歩いて向かったということです。

 

 ヘイワードとカストロバレー、2つの隣り街の散策を楽しんだ1日でした。

 

※フリーウエイに挟まれたバートの駅。

 

 

 

 

気まま旅のスケッチ[アメリカ]14・・・コルマとデイリーシティ

 『アメリカ素描』

 

 司馬遼太郎氏の作品に、『アメリカ素描』というエッセイがあり、その中にサンフランシスコ近郊にある日本人墓地のことが書かれています。その墓地に眠っている日本人。中でも、幕末に咸臨丸で渡米した、3人の乗組員のことについて触れられているのです。

 咸臨丸と言えば勝海舟。幕府の軍艦的存在で、海舟はその指揮官としてサンフランシスコの地を踏むことになりました。この辺りの事についてはよく知られている史実であり、彼自身、明治維新後も渡米の経験を糧として、様々なところで活躍を果たすのです。

 ところが、この船の乗組員のことについては当然のことながら、歴史で学ぶことはありません。過酷な環境の中、船底で働いていた人たちは、感染症を患って命を落としてしまいます。見知らぬ土地で他界した3人の乗組員。サンフランシスコ近郊の墓地の中に眠っています。

 司馬遼太郎氏は、このような陰の人物にも思いを致し、この地を訪れます。私たちも、氏の影を追い、今回の訪米機会に日本人墓地を訪れることになりました。

 

 

※デイリーシティーとコルマ。

 

 

 コルマ(Colma)へ

 コルマは、サンフランシスコの南に位置する小さな町。人口はおよそ1,500人と言われています。私たちは例により、バートと呼ばれる鉄道を利用して、コルマの街に向かいます。

 バートのコルマ駅は、サンフランシスコの中心地、パウエル駅からおよそ20分南に向かったところです。サンフランシスコ国際空港からは、3駅北に位置しています。駅の様子は次の写真に示す通り、コンクリート造りの殺風景な建物です。

 

※バートのコルマ駅。

 

 Fストリート

 コルマの駅からは、大通りを越えた後、Fストリートという坂道に入ります。かなりの急坂で、舗装もインターロッキング。温暖なこの辺りでも、滑り止め対策は必要なのでしょう。

 

※Fストリートの坂道。

 

 イタリア墓地

 Fストリートを上って行くと、途中に、”ITARIAN CEMETERY”と表示されたゲートです。ゲートの奥には広大な墓地。この辺り、道の左右がイタリア墓地となっていて、かなりの広さを誇っています。

 相当数の墓石を思うと、かつて、イタリアからの移民の人々が数多く暮らしておられた様子が窺えます。

 

※イタリア墓地。

 

 墓地群

 Fストリートを上り切ると、ヒルサイド・ブルーバード通りです。丘の上を縦断しているこの道路、辺りは、墓地群が広がります。

 

※ヒルサイド・ブルーバード通り。

 

 日本人墓地へ

 私たちは、ヒルサイド・ブルーバード通りを左に折れて、そのすぐ先にある日本人墓地へと向かいます。

 途中、左手にはお花屋さん。私は、『アメリカ素描』の中の一節を思い出し、思わず写真を撮りました。

 

 「同行のA君が、花屋をみつけてきて、咸臨丸の三人の水夫の墓の前にそなえた。」

 

 おそらく、その花屋こそ、このお花屋さんだと思います。たかがお花屋さんではありますが、何故か感慨に浸ることになりました。

 

※日本人墓地近くの花屋。

 

 日本人墓地

 お花屋さんを過ぎた後、すぐ左手に、日本語が刻まれた墓標が見えました。この一角は、まだ墓石の数はそれほど多くありません。ただ、その右奥には、幾つものお墓が見えました。

 

※お花屋さんを通り過ぎ、日本語が書かれた墓標の前を通ります。

 

 もう少しだけ先に進むと、”Japanese Cemetery”の表示板が置かれた門柱です。そして、その門柱には「日本人共同墓地」の銘板が貼られています。

 私たちは、門柱の間を通り抜け、日本人墓地の中に入ります。

 

※日本人共同墓地の入口。

 

 門の間を通り過ぎると、正面に「招魂碑」と記された石碑が置かれ、左右にはそこそこ大きな石塔が聳えています。そして、正面奥と右手には何基もの墓石です。左を見ると、掲示板とコンクリート造りの寺院風の建物も見られます。

 実は、この場所は、10年ほど昔にも訪れているのですが、その当時と比較して、それほど変わっていないように思えます。懐かしい思いと同時に、当時覚えた感慨を再び味わうことになりました。

 

※日本人墓地の全容。

 

 寺院風の建物は、このような感じです。当日は、入口が閉じられていたために、中の様子を覗うことはできません。ただおそらくは、法要などが行われるスペースなのだと思います。

 

※寺院風の建物。

 

 石塔など

 正面から奥に向かって進んでいくと、左手には次のような石塔などが置かれています。

 南無阿弥陀仏と刻まれた大きな塔。その下には、法名も彫られているため、おそらく、どなたかのお墓なのでしょう。それとも、左右の茶色の石碑には、たくさんの方の名前と年代が刻まれていますので、共同のお墓なのかも知れません。

 

※大きな石塔。

 

 スタージ博士記念碑

 大きな石塔の右手には、十字架が抱かれた一風変わった石碑です。この石碑、『アメリカ素描』の中では、次のように書かれています。

 

 「『同胞の父、ストウヂ博士記念碑』と、日本文字で刻まれ、さらに日本文字で『コリント前書』の十三章のことばも刻まれている。『愛は長久までも絶ゆることなし』・・・おそらくスタージ博士という人は、排日時代、ゴミのように扱われた日系人のために庇護してくれた人なのであろう。」

 

※スタージ博士記念碑。

 

 咸臨丸乗組員の墓

 さて私たちは、咸臨丸の乗組員のお墓を探します。以前訪れた時、確かに確認したと思うのですが、10年の月日が経って記憶が定かでありません。

 墓地の中を一巡りして、ついにそのお墓を探すことができました。

 そのお墓、入口を入った正面の招魂碑の塔の右奥です。白っぽい3基の墓石が整然と並んでいます。

 

 「この墓地にいる死者たちのなかでいちばん先輩は、1860年、幕府の遣米使節をのせてこの港に入った咸臨丸の水夫たちである。みな、苗字はない。」

 「咸臨丸が日本に帰航したあとも、病人たちはこの市の海軍病院に残っていた。最初に火焚きの峯吉が死んだ。37歳、長崎の人である。他の二基にくらべて、かれの墓碑が一段とりっぱな上に、その墓碑銘には『日本皇帝の命によってこれを建てた』と書かれている。皇帝とは将軍のことである。建立者はS・W・ブルックスというひとで、サンフランシスコ在住の貿易商だった。かれは、極東の神秘的な弱小国に無限の愛情をもっていた。」

 

 

※咸臨丸乗組員たちのお墓。

 

 「他の二基は香川県の塩飽(しあく)列島佐柳島の富蔵(22歳)と、おなじく青木浦の源之助(25歳)のものである。」

 

 3基のお墓の前に立ち、正面の峯吉と、向かって右隣りの源之助、そして、左に置かれた富蔵の在りし日の姿を思い浮かべて、手を合わせることになりました。

 司馬遼太郎氏の『アメリカ素描』は、アメリカのドル至上主義の考え方を基本とする排日の考え方などについて、分かり易く説明されているのですが、ここでは、それに触れるいとまはありません。

 ぜひとも、一度ご拝読いただければと思います。

 

 デイリーシティ

 コルマからアラメダに帰る途中に、コルマの北隣、サンフランシスコの南の街、デイリーシティを通ります。

 この街は、私の娘が20年ほど前に暮らしていたところです。どこかコロニアル(メキシコの街のような姿)の雰囲気を感じさせるこの街を眺めながら、懐かしい思い出にふけることになりました。

 

※デイリーシティの街。

 

※メキシコ風の建物が並ぶデイリーシティ。

 

気まま旅のスケッチ[アメリカ]13・・・バークレーとエメリービル

 UCバークレイ

 

 州内10か所にキャンパスを有するカリフォルニア大学は、教育・研究の水準が際立つ大学として有名です。その中でも、最も歴史が古く旗艦校とされているのが、バークレイ校というところ。このUCバークレイ、サンフランシスコの対岸のオークランドの北側に位置しています。キャンパスは、丘の斜面の広大な敷地に広がって、まるで、森の中の大学です。

 私たちは、アラメダに滞在中、バートに乗ってバークレイを訪れました。学生の街バークレイ。それなのに、近くの街にはホームレスや薬物で侵された人の姿も見かけます。アカデミックな街の傍にも、アメリカの病的な社会の一面を見ることになりました。

 

※UCバークレイの位置(赤楕円)。

 

 バートの駅

 バークレイのバートの駅、ダウンタウン・バークレイは地下にあり、そこから階段で地上へと上って行くと下の写真の場所に出てきます。

 近代的な構造の透明の屋根に覆われた出口ではありますが、辺りには、ホームレスの姿も見られ、何となく危険を感じるようなところです。

 

※バートのバークレイ駅から地上に出たところ。

 

 駅近くの街

 ダウンタウン・バークレイの駅近くの街の様子は、次のような光景です。周辺はビル街で、そこそこの高層ビルも目立ちます。お店も数多く、レストランや洋服店など、様々な業種の店舗が並んでいます。

 

※バークレイの駅前。

 

 この高層ビル、バンク・オブ・アメリカの表記があって、下層部分は銀行なのでしょう。ただ、ビル全体が銀行かどうかは分かりません。このような新しい立派な建物もあちこちで見られます。

 

※バンク・オブ・アメリカが入る高層ビル。

 

 駅からしばらく東に向かって歩いて行くと、”UNIVERSITY OF CALIFORNIA”と表記されたプレートが現れました。この先が、UCバークレイのキャンパスです。

 

※UCバークレイのキャンパス入口付近。

 

 プレートの置かれた場所の左手から、キャンパスへと入ります。アメリカの大学は、概して、正門などはありません。街の中から、いつの間にかキャンパスに踏み入れているといった感じです。

 敷地の中に入って行くと、このような立派な校舎が右方向に。辺りには、いかにもアカデミックな雰囲気の建物が並んでいます。

 

※UCバークレイの校舎。

 

 図書館

 丘陵地の坂に広がる校舎群。坂道や階段を上って行くと、図書館がありました。こちらも、歴史がありそうな重厚な建物です。

 

※図書館。

 

 セーザータワー

 図書館の脇を通って、その裏手の方に回って行くと、セーザータワーと呼ばれている、鐘楼が目の前に。このタワー、カンパニール(Campanile)とも言われていて、UCバークレイの象徴です。

 三角の尖塔や時計台の姿を見ると、いかにもヨーロッパの香りを感じます。

 

※セーザータワー。

 

 私たちは、セーザータワーの正面から、真っ直ぐ下る坂道に入ります。坂を少し下って振り返った風景が下の写真になりますが、正面に聳え立つセーザータワーは、存在感抜群です。

 

※セーザータワーを正面に見る学内道路。

 

 セーザータワーを背後にして、大学の入口方向を写した一枚です。こうして見ると、丘の斜面に築かれた大学のキャンパスの様子が分かります。

 坂道の向こうにはサンフランシスコ湾も望めます。よく見ると、吊り橋もご覧いただけると思うのですが、その橋こそ、有名なゴールデンゲート・ブリッジです。

 

※丘の傾斜に設けられたキャンパス。

 

 バークレイの街

 もう一度、バークレイの街中をご覧いただければと思います。次の写真は、バートの駅の近くです。よく見ると、右側のビルの1階入り口付近に荷物が置かれているのが分かります。荷物の左手には、微かに人の姿も写っています。

 ここは、ホームレスが居座っている場所なのです。超一流の大学がある街の一角にも、このようなホームレスの姿を見かけます。

 特に、キャンパスの南側は、アメリカでも犯罪率が最も高いエメリービルに接しているため、このような人たちが数多くいるのだと思います。アメリカの闇の部分があちこちに存在します。

 

※バークレイの街角。

 

 メイン通り

 次は、バークレイのメイン通りです。ユニバーシティー・アベニューと呼ばれているこの道路、東に向かうと、UCバークレイのキャンパスに当たります。

 さすがにこの道は、街並みが整えられて、スマートな表情をしています。道角には、”くら”と表示された、日本料理店もありました。

 

※ユニバーシティー・アベニュー。

 

 エメリービル

 さて、場所は変わって、先ほど少し触れたエメリービルに移動です。北側はバークレー、東と南はオークランドに囲まれているこの街は、全米で最も危険なところとして有名です。

 人口は僅かに1万人。湾岸は企業のオフィスが並んでいますが、中央部には工場や倉庫などが広がります。東側には僅かに住宅が張り付いて、その先はオークランドの少し荒れた住宅地という具合。

 

※エメリービルの中心地。

 

 私たちは、比較的安全な湾岸近くの商店街を訪れて、遅めの昼食を取りました。

 この商店街がある一角は、街並みは整備され落ち着いた雰囲気です。ここにいると、とても危険な街だとは思えません。

 私たちは商店街の端にあった鍋専用のお店に入り、しゃぶしゃぶを頂きました。

 

※エメリービル。

 

 湾岸近くのこの街は、日本のユニクロも進出しています。明るい雰囲気の街づくりが進められているのでしょう。

 ここでは、危険な場所には近づかず、美味しくてボリューム満点のしゃぶしゃぶでお腹を満たすことになりました。

 

※しゃぶしゃぶ。

 

気まま旅のスケッチ[アメリカ]12・・・オークランド(3)

 光と影

 

 先のブログで触れた通り、オークランドは犯罪の発生率で全米No.2と言われています。ある意味危険な都市の象徴で、数年前に訪れた時、主要道路の道端や大きな空き地全面に、バラック造りの小屋やテントが立ち並び、ホームレスの人々がたむろしていたのを覚えています。また、ウエストオークランドと言う街は、住宅地も荒れていて、見るからに危険を感じたものでした。

 ところが、今回は少し様子が違います。確かに、あちこちでホームレスの人たちを見ることはありますが、全体的に減少しているように思います。娘が言うには、オークランド市当局がそうした人々を強制移動させているそうで、街中から姿を消しつつあるようです。

 一方で、億万長者が増え続けているアメリカ社会。その正反対には、ホームレスを始めとした貧困層も数多く生まれてきているのです。光と影、アメリカ社会は正にその典型とも言えるような国なのだと思います。

 

 

 チャイナタウン近く

 チャイナタウンから、来たとき降りたバートの駅、レイクメリット駅に向かいます。

 この辺り、まだ比較的安全な場所ですが、バスの待合所はこの通り。落書きだらけの状態で、付近はゴミが散乱しています。 

 

✳︎チャイナタウン近くのオークランドの街。

 

 車窓から見た風景

 私たちは、この日は、バートとバスを利用して娘の家へ。久しぶりのオークランドの散策を楽しみました。

 

 さて、そのオークランド、影が際立つ風景をご覧頂きたいと思います。

 次の写真は、サンフランシスコ湾の南にあるサンノゼに向かう途中で、アムトラック鉄道の車窓から撮した一枚です。空き地には手造りのテントが建てられて、ホームレスの人たちが暮らしています。

 

✳︎アムトラック沿いの風景。

 

 もう一枚、今度は、サンフランシスコを中心に近郊の各都市とを結んでいる、鉄道のバートから撮した写真です。場所は、ウエストオークランド。こちらも空き地には、ホームレスのテントがありました。

 ただこの辺り、以前には街中全体に荒れた雰囲気が漂っていましたが、今回は比較的落ち着いていたように思います。

 

✳︎ウエストオークランドの街。

 

 オークランドの一角

 次は、アラメダにほど近いオークランド市の風景です。この街のすぐそばに、娘達がよく通うベトナムのフォーの美味しい店があり、これまでも何回となく通っています。

 ただ、こちらは以前からあまり変化はありません。道沿いはホームレスの人たちのテントなどがあちこちに並んでいます。落書きも半端ではなく、荒れた街の状態をご覧頂けると思います。

 

✳︎オークランドの街の一角。

 

 先ほどと同じ道筋です。歩道にはテントが並び、ゴミや資材が散乱しています。道路も汚れ放題で、手のつけようが無い状況です。

 

✳︎ホームレスのテントが並ぶ歩道。

 

 フルートベイル

 次は、私たちの最寄りの駅、フルートベイルの駅前です。

 ラテン風の香りが漂い、見た目には好感が持てるような場所ですが、この街には、白人の姿はありません。娘達に言わせると、結構危険な街だそう。

 中南米系の人たちが中心で、黒人もちらほら見かけます。見るからに、低所得層の人々が暮らす街。そんな空気が漂います。

 

※フルートベイルの駅前。

 

 ジャック・ロンドンスクエア

 一方で、美しく整備されたジャック・ロンドンスクエア。名前の通り、アメリカの小説家、ジャック・ロンドンの名前に由来する公園風のところです。

 この一角は、オークランドの市街地近く、サンフランシスコ湾の湾岸沿いに位置しています。この施設、一見平和な場所であり、高級レストランやフェリーの発着所なども置かれています。

 ただ、この写真では分かりませんが、備えられたベンチには、ところどころにホームレスの姿も見かけます。この場所の近くにはそうした人たちが集まる場所もあるのです。

 

※ジャックロンドンスクエアの一角。

 

 こちらが、ジャック・ロンドンです。サンフランシスコで誕生し、少年の頃、ここオークランドで貧しい暮らしを送っていたこの人は、極寒のカナダ北部やアラスカでゴールドラッシュに加わります。その後、身体をこわしてアメリカへ。そして、北の地に住むオオカミを題材とした小説を発表します。

 この、ジャック・ロンドンを記念した公園風の一角は、今は、富裕層の人々と貧困層の人々が、施設をすみ分けるようにして、利用されている状態です。

 

ジャック・ロンドンの像。

 

 美しく整備された公園の一角をもう一枚ご覧いただければと思います。この美しい場所のすぐ近くには、高級レストランが何軒か並んでいますが、反対の湾沿いのベンチには、ホームレスの姿も見かけます。

 何とも不思議な光景が広がっているところです。

 

※美しく整備されたジャック・ロンドンスクエアの一角。

 

 ラーメン店

 最後に、一軒のラーメン店を紹介させて頂きます。

 ジャック・ロンドンスクエアから、2キロほど南に向かった湾岸にあったのが、ラーメン駅(ラーメン・ステーション)と言うところ。娘に案内されて、久しぶりに日本のラーメンを頂きました。

 

✳︎ラーメン駅のお店。

 

 出てきたラーメンは、このように、日本のスタイルそのままです。何年か前までは、アメリカで味わうラーメンはどこか雰囲気が異なっていましたが、今や本場の味そのものです。

 ラーメンの世界にも、本物志向の風潮が徹底されてきた様子です。 

 

※日本の味と変わらないラーメン。

 

 ラーメン店の裏側には、サンフランシスコ湾が広がります。向かいの島はアラメダ島。

 風光明媚な景色を眺めつつ、光と影が同居するアメリカ社会の複雑さに思いを致す事となりました。

 

※拉麺駅の裏口から、サンフランシスコ湾を望みます。

 

 

気まま旅のスケッチ[アメリカ]11・・・オークランド(2)

 チャイナタウン

 

 チャイナタウンと言えば、サンフランシスコが有名ですが、カリフォルニアには至る所にそのような街が存在します。ここ、オークランドも例外ではではありません。

 縦横に、2〜3ブロックを占めているこの街に踏み込むと、まるで中国に来たような感覚を覚えます。道端で耳にする会話たるや、ほとんどが中国語。当然のことながら、並ぶお店は中国人が運営し、道行く人もほとんどが中国人という状況です。

 私たちは、これまでも何度かここを訪れて昼食を楽しんだものでした。今回も、この街で中華料理の昼食を頂きます。

 

 

 ダウンタウン近く

 レイクメリットを後にして、ダウンタウンの方向に進みます。

 道の向こうには、時計台のような建物も見られます。おそらく、その辺りがダウンタウンになるのでしょう。

 

オークランドダウンタウンの方向へ。

 

 道行く途中には、歴史がありそうな見事な建物がありました。よく見ると、車寄せの屋根のところに、HOTEL OAKLANDと書かれています。おそらく、オークランドで由緒あるホテルなのだと思います。

 

ホテルオークランド。

 

 チャイナタウンへ

 この先、しばらく歩いたところを左折して南西の方向に数ブロック進んで行くと、10th STと表示された標識がありました。併せて漢字で十街とも書かれています。

 この角を右に折れた辺りから、チャイナタウンが始まります。

 

※10th ST。

 

 チャイナタウン

 ここからは、オークランドのチャイナタウンの紹介です。

 チャイナタウンに入っていくと、やはり、漢字の表記が目立ちます。道沿いは各種のお店がずらりと並び、道端にはたくさんの車が停まっています。

 野菜や果物を売るお店が多く、次いで、鶏肉の丸焼きや雑貨などの販売店が目立つように思います。

 

※チャイナタウンの入り口。

 

 車が行き交う主要な道に面したところも、様々な店舗や事務所などが並んでいます。

 歩道にはたくさんの人の姿も見えますが、その多くは買い物目的ではないようです。

 レストランを探しているのか、単なる散策なのか。はたまた、どこかの事務所に移動する途中なのか。よく分からない状況ですが、とにかく混雑しています。

 

※チャイナタウンの一角。

 

 こちらもチャイナタウンを撮した写真の一コマです。結構な通りに面してはいるものの、歩道を歩くと、まるで中国にいるような感覚に浸れます。

 ただ、街はそれほど綺麗ではありません。ゴミはあちこちで見られます。中にはホームレスのような人影も。

 中国の下町とアメリカの影の部分が重なった、不思議な光景を体験できるようなところです。

 

※こちらもチャイナタウンの一角です。

 

 昼食

 さて、私たちは昼食を取るためにレストランを探します。

 ここを訪れた日は、昨年の年末です。12月28日ともなれば、アメリカではホリデーシーズンの真っ只中。特に、レストランはそのほとんどが休店の状態した。

 そんな中、よい場所に一軒のお店を見つけることができました。

 

※チャイナタウンの中華料理店。

 

 お店の中は、それほど広くはありません。座席はほぼ満席で、中国語が飛び交っている状況です。

 私たちは、片隅の小さな席に案内されて、何とか昼食を頂くことができました。

 麺類と炒飯を注文しましたが、何れも相当なボリュームです。食べ切れないほど大盛りの炒飯は、日本の2人分はあるでしょう。

 

※私たちが注文した昼食。

 

 お店の中はこの様な状況です。ほとんどが中国人で、喋りまくりの状態でした。

 

※チャイナタウンの中華料理店内。

 

 帰り際、店の横には大きな肉の塊が目に止まり、思わずシャッターを押しました。

 これは確かに豚の丸焼きです。何と大胆な商品の展示でしょうか。こんなところからも、祖国を離れ、海外で力強く生きていく中国人のマインドを垣間見たような気がします。

 

※豚の丸焼きの商品展示。

 

 

気まま旅のスケッチ[アメリカ]9・・・アラメダ(8)

 ベイエリアの気候

 

 サンフランシスコを中心とするベイエリア。ここでは、年中、過ごしやすい気候が続きます。確かに、夏には猛暑の時もあり、冬場には風が強く吹き付ける日もありますが、概して安定しています。晴天が続く毎日は、日本では味わえない安心感や、気持ちの余裕をもたらしてくれるのです。

 屋内の空調も、一般の家庭では、暖房設備があるだけで、夏場の冷房のある家はほぼ無いと言ってもいいでしょう。しかも、冬場でも、暖房は朝夕のみ。昼間は暖かく、空調をつける必要がありません。こんな気候のベイエリア。避暑地や避寒地として最高のところです。

 

✳︎サンフランシスコの年間の気温の推移。

 

 

 アラメダの天気

 私たちが暮らしていた、娘の家があるアラメダ市。今年の年明け、1月5日から数日間の空模様を見てみましょう。

 正月1日から、珍しく雨が降ったり止んだりの不安定なお天気でしたが、一転して、6日からは晴天の日が続きます。

 気温は、雨が降っても、最高は15℃前後。それでも、陽が照らない分少し肌寒く感じます。逆に晴天の日は、最高気温は変わりませんが、日本の春のような陽気です。

 

✳︎アラメダの天気。

 アラメダに咲く花

 このように、気候的には過ごしやすいベイエリア。日本の冬を思うと、想像出来ない暖かさが続きます。

 おそらくこのような気候のために、市内では所々で、咲いている花を見かけます。花が咲き誇るといった状態ではないものの、年中咲く花は、心も穏やかにしてくれるような気がします。

 

※散策途中、道端でみつけた可憐な花。

 

 道端にはこのような、赤と白の小さな花をたくさんつけた草花もありました。

 

✳︎赤と白の配合が美しい小さな花。

 

 木々も花を咲かせています。南国風の赤い花、鮮やかな赤色が特徴的で、空の青さによく映えて見事なコントラストを呈しています。

 

✳︎南国を思わせる木に咲く花。

 

 歩道の傍に咲いていたのは、何ともしとやかな白い花。日本では中々見られない姿です。

 

✳︎道端に咲く白い花。

 

 道端には、このような真っ赤な草花もありました。街中の道端には、どこでも植え込みのスペースがあり、花や木々が植っています。

 

✳︎道端にあった草花。

 

 空間地を整備した公園のようなところには、黄色い花の群も広がります。アラメダでは、どこにでもこのようなスペースがあり、管理された植栽が植わっています。

 

※空間地に群れる黄色い花。

 

 一方で、住宅の敷地にも必ず植栽の一角が設けられ、様々な植物が植っています。

 紫色の花を咲かせるこの樹木、白い基調の住宅によくマッチしています。

 

✳︎住宅地に植る紫色の花をつける樹木。

 

 別の住宅地にあったのは、薄紫の小さな花をたわわに咲かせる低木です。日本ではあまり見かけない、様々な花を咲かせる低木も見応えは満載です。

 

※たわわに花を咲かせる低木。

 

 次は、肉厚の葉を持つ植物がピンクの花を咲かせているところです。

 それこそ、この季節、花はまばらな状態ですが、春になれば一面がピンク色に染まるのかも知れません。

 

✳︎ピンクの花を咲かせる肉厚の葉を持った植物。

 

 こちらは木に咲く黄色の花。枝一面に見事な花を咲かせています。

 

✳︎たわわに花を咲かせる木。

 

 街中の小さな公園には、濃いオレンジの南国風の花がありました。背丈の低い葉の中から、首を伸ばすようにして、鮮やかな赤色を誇示しています。

 

✳︎南国風の赤い花。

 

 概して温暖な気候のベイエリア。冬の季節ではありますが、散歩をしていると様々な花に出会えます。

 鳥の声、小動物の動きとともに、あちらこちらで見かける花は、心を和やかにしてくれます。ベイエリアの気候に感謝をしながら、毎日の散策を楽しみます。

 

気まま旅のスケッチ[アメリカ]8・・・アラメダ(7)

 アラメダの自然

 

 ベイファーム島の動物や鳥たちのことについては、数回前に触れました。今回は、アラメダ島の自然などを中心に紹介していきたいと思います。

 アラメダ島の変遷は、前回お伝えした通り、元々大陸と繋がっていたために、オークランドに面したところはそれほど自然を感じる場所はありません。一方で、西側のサンフランシスコ湾岸は、豊かな自然に溢れています。特に、サウスショアと呼ばれる辺りには砂浜が広がって、砂に適した植物が数多く見られます。そして、なんと言っても湿地です。砂浜から南に向かって進んで行くと、ベイファーム島とを繋ぐ橋に行き着きますが、橋の近くの湾岸沿いは湿地が連なります。その湿地には、鳥たちの聖域になっていて、多くの水鳥たちが集っているのです。

 

 

 アラメダ島の学校

 アラメダ島の自然に触れる前に、学校を少しだけ紹介させて頂きます。

 先ずは、アラメダ高校です。私の2番目の孫娘が通うこの高校。生徒の数は、1学年500人〜600人いるそうです。こちらの高校は、義務教育の4年間。従って、全校生徒数は、ゆうに2,000人を超えてしまいます。

 こんなに大きな規模の高校は、日本では滅多に見られません。見て下さい、何と立派な校舎でしょう。

 

✳︎アラメダ高校の校舎。

 

 次は、中学校。こちらも、孫娘が通っていた中学で、名前はリンカーン中学校。先ほどの高校と比べると、随分規模は小さいように思えます。

 

✳︎リンカーン中学校。

 

 この学校、広々とした芝生の広場が隣接されていて、生徒たちのリクリェーションやスポーツなどに活用されているようです。

 ただ、私がこの前を通った時は、まだ冬休みの真っ只中。生徒達になり変わり、カナディアングースや白色の鳥たちがたむろしている状態でした。きっと、大量の糞が芝生の上に落とされていることでしょう。

 

✳︎リンカーン中学校の芝生広場。

 

 サウスショア

 それではここから、アラメダ島の自然について紹介させて頂きます。

 この島の豊かな自然は、サウスショアと呼ばれている、西側の湾岸沿いに広がります。そこは、ショアと言うだけあって、砂浜の状態です。幅はおよそ50mほどでしょう。そして、その長さは2キロにも及びます。

 この砂浜に、砂に適した様々な植物が植っています。

 

✳︎サウスショアの砂浜。

 

 こちらは、サウスショアから北西方向を見たところ。遠くには、サンフランシスコの摩天楼が望めます。

 そして、手前側には、砂浜の植物が数多く見られます。

 

✳︎サウスショアから北西方向を望みます。

 

 今度は反対側、南西の方向はこのような状態です。湾の右に見える島こそ、私たちが滞在しているベイファーム島という位置関係。

 サウスショアも、南に下ると、次第に砂浜は細ります。

 

✳︎サウスショアの南側。

 鳥の聖域

 砂浜が無くなると、今度は湿地帯が広がります。満潮時には、その場所はほとんど水に沈むのですが、干潮時には、対岸のベイファーム島に迫るぐらいの勢いで干上がります。

 この湿地帯、鳥たちの楽園です。湾岸沿いを歩いていると、バードサンクチュアリと記された、鳥たちの絵が描かれた案内板がありました。

 

✳︎バードサンクチュアリの案内板。

 

 湿地帯の一部の場所をご覧頂ければと思います。

 このように、湿地帯にはたくさんの鳥たちが集まって、ドロの中から獲物を探り当て、捕食しているのです。

 

✳︎湿地帯に集まる鳥たち。

 

 このように、アラメダ島の西湾岸には豊かな自然が残っています。

 開発が進んできたアメリカも、反面では、あるがままの自然を残す取り組みも、並行して行われているのです。