甲州道中と呼ばれる街道は、信州の上諏訪宿と江戸日本橋とを結ぶ道。途中、甲斐の国の中心地、甲府の城下を経由して、深い山あいの道を辿ります。相模の国に入っても、大方は山の中。武蔵の国との境には、街道きっての難所と言われる、小仏峠が控えています。峠道を下った後は、高尾から八王子、府中などを経由して江戸城へ。一筋の道の流れは、様々な表情を見せながら、今も、歴史ある2つの地点を繋いでいます。
私たちの、甲州道中歩き旅。いよいよ、江戸城から日本橋へと向かいます。今回は、「歩き旅のスケッチ[甲州道中]」シリーズの最終回。旅の足跡を振り返り、終着点を迎えます。
東京駅
街道は、大手町を右折して、東京駅へと向かいます。正面には、有名な、赤レンガの駅舎が見えて、その背後には、近代的な高層ビルが並んでいます。
洋風で優雅な姿の東京駅。貴賓にあふれてはいるものの、近づくにつれ、荘厳ささえ感じます。
※東京駅丸に内北口に迫る街道。
八重洲口
丸の内北口からは、駅構内の通路を通って、八重洲口へと向かいます。
当然のことながら、往時は鉄道などはありません。今通る駅の通路は、鉄道で分断された街道の、おおよその道筋を辿っているのだと思います。
人が往き交う構内通路。足早に突き切って、八重洲口の北側へ。街道は、大きなビルの歩道辿り、すぐ北の、国道20号線につながります。
※左、丸の内北口から八重洲口へと向かう通路。右、八重洲口の日本橋口を出たところ。
呉服橋と日本橋交差点
国道に入った街道は、南東に進路をとって、呉服橋交差点の方向へ。そして、その先は、日本橋の交差点。
終着点は、もう目前のところです。
※呉服橋交差点。
呉服橋から日本橋の交差点に近づくと、人の姿は、急激に増してきたように感じます。この辺り、地下鉄の日本橋駅があるところ。地下交通の、要衝なのだと思います。
街道は、日本橋の交差点で、右方向からやってきた、東海道と合流します。そして、交差点を左折すると、正面先が江戸日本橋。雑踏の中、いよいよ、旅の終わりを迎えます。
※日本橋交差点。ここで、右後ろからくる東海道と合流し、左方向へ。
江戸日本橋
東海道と合流した街道は、正面に、確かに日本橋の姿を捉えます。後は、真っ直ぐ進むのみ。
これまでの、2回にわたる街道歩きと同様に、なぜか、日本橋に近づくと、名残り惜しい気持ちになって、歩行速度が緩まります。
私たちは、これまでの、旅の足跡を味わうように、少しずつ、残されたわずかな区間を進みます。
※江戸日本橋に近づく街道。
甲州道中歩き旅
思い返せば、甲州道中歩き旅の出発点、信州の下諏訪宿を発ったのは、一昨年*1の春3月のことでした。満々と水を湛える、諏訪湖の湖面を見下ろしながら、江戸へと向かった街道歩き。少しずつ歩き刻んで、およそ、1年と2か月の時をかけ、踏破することができました。
街道は、信州から甲州へ、そして、相模の国を経由して武蔵の国へとつながります。延長は、およそ208Kmの行程です。この間にある宿場町は、一般に、44か所とされてはいるものの、合宿*2と呼ばれる宿場も多く、確かなことは分かりません。
道中は、武蔵の国に入るまで、概ね、山あいの道ですが、険しい道は、笹子峠と小仏峠の2か所のみ。その他は、緩やかな上り下りはありますが、歩きやすい道筋です。
信州の道
信州の街道は、諏訪大社の下社秋宮が鎮座する下諏訪宿を発った後、諏訪湖の東を南下して、茅野市へと向かいます。やがて、山が迫る、狭い谷に入るのですが、道自体は、それほど険しくはありません。山の隙間の谷間の道を、縫うようにすり抜けます。
この間は、幹線道路だけでなく、旧道もある程度残っています。道端の石仏や石塔は、往時の様子を伝えてくれる、貴重な歴史の名残りです。
3か所ある宿場町は、往時の面影が残るところは少ないものの、所々で、歴史ある建物などが見られます。わずかに残る、街道の風景を味わいながら、信州から甲州に入ります。
※富士見町にある御射山神戸(みさやまごうど)の一里塚。
甲州の道
甲州の街道は、富士川の上流の、釜無川に沿った道。甲斐駒ヶ岳の秀峰や富士山の頂を仰ぎながら、甲斐の国の中心地、甲府の城下へと向かいます。
その先は、石和温泉や勝沼のブドウ畑を通り過ぎ、再び、谷間の道に入ります。笹子峠は、道中第2の難所の道。峠を越えると、笹子川(後に桂川、相模川と名前が変わります)の流れとともに、大月へと向かいます。名勝の猿橋を越え、鳥沢へ。そして、犬目の宿場に向かう道は、奥深い山の中。山里に静かに佇む宿場町や街道の風情を味わいながら、甲州の最後の宿場町、上野原を迎えます。
※山梨県甲斐市志田の町を通る街道。南アルプス北岳(左)と甲斐駒ヶ岳(右)が見事です。
相州の道
相州の街道は、右下に、時折、相模湖を見下ろしながら東進します。甲州道中の行程では、最も短い相州ですが、上り下りが激しくて、容易な道ではありません。とりわけ、相州最後の宿場町、小原宿を過ぎた後、小仏峠に向かう道は、街道きっての難所です。今も残る、小仏宿の本陣と、宿場町の風情を味って、有名な、小仏峠の難所道に挑みます。
※小仏峠。
武州の道
武蔵の国の街道は、概ね、幹線道路に沿いながら、都心へと近づきます。時折、旧道もありますが、街並みは整備され、街道の面影はありません。
八王子の隣にある日野宿は、新選組のゆかりの地。その先の府中の街は、幾つかの歴史ある史跡も残っています。調布市の布田五ケ宿も、新選組の局長の近藤勇の出身地。幕末の歴史の香りを感じながら、新宿へ、江戸城へと向かいます。
これまで辿った道中の、それぞれの情景を思い描いて、江戸日本橋に到着です。この場所は、中山道と東海道の街道歩きの終着点でもあるところ。もう見慣れた風景ですが、街道を歩きとおした感慨は、今回も変わることはありません。
首都高速が覆い尽くす、五街道の起点の橋は、今後、空が開く計画があることを聞きました。いつの日か、その光景が見られるならば、その時には、ぜひもう一度、この地に立ってみたいと思います。
信州と江戸とをつなぐ街道は、中山道や東海道と比べると、少し知名度は落ちますが、それでも、しっかりと、その道筋は残っています。雄大な自然の景観と、歴史ある風景を味いながらの甲州道中歩き旅。ようやく、完結することができました。
※日本橋南詰。
★次回から、10回程度は、少し趣向を変えて「巡り旅のスケッチ[西国三十三所]」を紹介したいと思います。その後、再び、歩き旅シリーズに戻ります。次の歩き旅シリーズは、「歩き旅のスケッチ[日光道中]」。今回は、江戸日本橋を出発し、街道の終着点、日光の神橋(しんきょう)を目指します。徳川家康が祀られた、東照宮へとつながる道の歩き旅。奥の細道の旅へと向かった松尾芭蕉の足跡と、重なる部分もある道は、一入の思いを込めた道中となりました。