旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]17・・・今熊野観音寺

 再び京都へ

 

 近江の国の3か寺を終え、再び京都に入ります。次の札所は、第15番、今熊野観音寺京都市の東に連なる峰々の南に位置し、有名な東福寺のすぐ傍に、境内は佇みます。

 東山と呼ばれるこの区域、幾多の寺院が密集し、特に、多くの観光客が訪れます。その中でも、東福寺の周辺は、少し趣が異なるところです。JR東海道本線の南に位置し、主要な観光地とは距離をあけ、ある意味、隠れた場所と言えるでしょう。

 西国三十三所霊場は、この、今熊野観音寺から清水寺へ、そして、六波羅蜜寺へと、東山の霊場を辿ります。

 彼の徳道上人が、8世紀の前半に始められたと伝えられる霊場巡り。これら東山の3か寺は、京都にある数多い寺院の中でも、有数の古刹なのだと思います。

 

 

 東福寺

 東福寺がある一角は、京都市でも、少し隠れた場所にあたります。私自身の感覚では、数多い京都観光スポットと比べると、穴場的、とも言えなくもありません。

 位置的には、JR京都駅の東南東。東山の中心地である、清水寺や八坂神社などからは、随分南にあたります。

 JR奈良線は、京都駅の一つ先が、東福寺駅京都三条方面からは、京阪線も通っています。それでも、何度となく京都を訪れている身でありながら、何故かこの地域には足を運んだことがありません。

 

 今熊野観音寺

 有名な東福寺の境内は、東福寺駅のやや南にありますが、次の札所の今熊野観音寺は、東福寺の駅からは、東側の方角です。車では、九条通りを東進し、鴨川を越えた少し先。昭和の雰囲気が残る商店街の辺りから、右(東)方向の狭い道に進みます。

 上り坂の狭い道を東進し、木々が覆う東山の山麓に近づきます。

 この辺り、幾つかの寺院があって、それぞれに駐車場もあるようですが、道が狭くて、果たして、通行しても良いのかどうか分かりません。結局、泉涌寺(せんにゅうじ)という大きなお寺の駐車場に行き着くことになりました。

 この駐車場、泉涌寺参拝者の専用施設なのかも知れません。それでも、今熊野観音寺の隣接地。少しの間、スペースを拝借させて頂きました。

 

泉涌寺駐車場から少し戻ると、今熊野観音寺の入口です。

 境内への道

 泉涌寺の駐車場に車を置いて、今来た坂道を、少し元へと戻ります。辺りは、木々が覆い、淡い光の木漏れ日が眼前に散らばります。

 しばらくすると、右側に、上の写真の入口です。そこからは、幅の狭い山あいの道を辿ります。

 途中には、立派な門柱や、”鳥居橋”と表示された朱塗りの橋などがありました。境内へと続く道は、どこか、奥ゆかしさを感じます。

 

※境内に向かう道の様子。

 

 境内へ

 山あいの細い道を進んで行くと、やがて、「西国第十五番」「今熊野観音寺」と記された、門柱が現れます。木の塀で囲われた敷地の中に入っていくと、そこが、今熊野観音寺の境内です。

 左には、立派なコンクリート造りの大講堂。参道は、真っ直ぐに石段の方向へと進みます。

 

今熊野観音寺の境内入口。

 

 子まもり大師

 石段を上った先は、それほど広くはないスペースです。そして、その中央に、「子まもり大師」と記された、石造りの弘法大師像がありました。

 何人かの子どもが寄り添う大師像。子どもの健康や学業成就を祈願して、ここに参拝される方も多いとか。

 縁起によると、平安の初期の頃、嵯峨天皇の命により空海弘法大師)がこの寺を開創したと言うことで、ここに像があることも、頷ける話です。

 

※子まもり大師。

 

 空海のこと

 遣唐使として唐に渡り、恵果和尚から真言密教の伝授を受けて、その後継者となった空海は、日本に戻り、槇尾山寺でしばらく身を潜めたことについては、「巡り旅のスケッチ[西国三十三所]5」において、少し触れたところです。

 

soranokaori.hatenablog.com

 

 その空海嵯峨天皇の信頼篤く、槇尾山寺を離れた後に、天皇から、京都北山の神護寺を薦められ、そこに活動拠点を移すのです。

 そんな中、ここ、今熊野観音寺の開基にも尽力されたということは、充分にあり得る話だと思います。

 

 本堂

 そんな空海の活躍ぶりを想像しながら、大師像の背後にある石段を上ります。今熊野観音寺の本堂は、この石段を越えた先。それほど大きくはないものの、由緒ありそうな、二重屋根の本堂が佇みます。

 この古刹の本尊は、十一面観音菩薩空海自身が彫ったとの言い伝えもあるようです。私たちは、本堂で参拝し、御朱印を頂きます。

 

※本堂。

 

 今熊野

 さて、”今熊野”、という言葉を聞くと、どうしても、”熊野”のことが気になります。その理由は、西国三十三所巡礼の発心地が熊野の地にあるからです。紀伊半島南端の、熊野にある那智山青岸渡寺。ここから、西国三十三所の観音霊場巡りが始まります。

 巡礼の起点の名前を頂いた、今熊野観音寺。正式には、新那智山今熊野観音寺と呼ぶようです。”新”と言い、”今”と言い、那智山や熊野など、霊験あらたかな地名への形容は、何かいわれがあるのでしょうか。

 

 縁起によると、空海が、この地で熊野権現のお告げを受けた、とも伝えられてはいるものの、定かではありません。ただ、若くして故郷の讃岐を離れ、奈良に住まいした空海は、熊野に近い山中で修業を重ねたこともあったとか。熊野権現とのつながりも、むげに否定はできません。

 

 本堂を出て境内を見渡すと、本堂脇には大師堂。そして、その奥の山手には、朱塗り鮮やかな医聖塔(多宝塔)が見えました。

 東山の南に位置する今熊野山に抱かれた、空海の古刹の境内が、今も静かに佇みます。

 

※大師堂と医聖塔を望む境内。