旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]16・・・三井寺

 大津京

 

 滋賀県の県庁所在地である大津市には、かつて都がありました。平安京より1世紀以上も前のこと、大化の改新で権力を強大にした天智天皇が、この地に政治の中枢を置くことにしたのです。時あたかも、大陸と朝鮮半島が不穏になった時代です。大和の国を、大陸の脅威から守ることができるのか。様々な事態を想定し、都を置くべき適地として選ばれたのが大津の地だったのです。

 大津京は、今の三井寺近江神宮の東側にありました。西は、比叡の急峻な連山が、屏風のように立ちはだかって、東には、琵琶湖が満々と水を湛えています。比叡の西は京都の盆地。幾本もの水の流れが侵入者を防ぎます。南にも、生駒山金剛山など、険しい峰が壁となり、大陸からの攻撃は容易ではありません。このように、自然の要塞地として、大津の地は、天智天皇の思いに叶うところだったのだと思います。

 ただ、大津京は、それほど長くは続きません。天智天皇亡き後の、壬申の乱により、弟の大海人皇子天武天皇)が復権すると、都は、飛鳥の地に戻ることになるのです。

 僅か数年で、役割を終えた大津京。その痕跡は、ほとんど残されてはいませんが、次の札所の三井寺は、その由来も含めて、かすかに都の名残りを伝えています。

 

 

 浜大津から

 琵琶湖湖上交通の拠点である浜大津。そこから、少し北に向かうと、琵琶湖疎水が流れています。琵琶湖の水を京都に導くこの疎水、利水上の重要な施設です。

 三井寺へは、疎水を過ぎたすぐ先で、左手の方向へ。僅かな幅の平地を横切り、木々が覆う長等山(ながらやま)の麓へと進みます。

 ほどなく、三井寺の駐車場。広々とした駐車場に車を停めて、境内へと向かいます。

 

三井寺の駐車場。

 仁王門

 三井寺の入口にあたる仁王門は、駐車場から、少し左の方向にありました。小じんまりとはしているものの、緻密な意匠が施され、檜皮葺の屋根も見事です。

 仁王門を通った先が、参拝の受付です。入山料600円を支払って、境内に入ります。

 

 

 

三井寺の仁王門。

 園城寺(おんじょうじ)

 三井寺は、正式には、長等山園城寺と呼ばれています。受付で頂いた資料には、この寺の縁起について、次のように書かれています。

 

 「天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武天皇より『園城(おんじょう)』の勅額を賜り、『長等山園城寺』と称したのにはじまります。俗に『三井寺』と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、『御井(みい)の寺』と呼ばれていたものを、後に智証大師が、当寺の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来します。」

 

 そもそも、天智天皇天武天皇は、舒明天皇斉明天皇皇極天皇*1)の子どもです。この2人は、おそらく、飛鳥で誕生したはずで、どうして大津から産湯が運ばれたのか不思議です。 

 ただ、このお話は、大津京の名残りを伝えるエピソードとして、重要な意味を持つのだと思います。

 

 私たちは、釈迦堂前を通り過ぎ、一段上の境内にある、金堂へと向かいます。

 

※石段を上って金堂へ。

 金堂

 石段を上り詰めると、金堂の側面です。そこから、正面に回り込み、まずはここで参拝です。

 金堂は、三井寺の本堂として、中心的な建物です。歴史もあり荘厳で、神秘的な雰囲気さえ感じます。

 

三井寺金堂。

 

 三井の晩鐘(みいのばんしょう)

 金堂前の片隅には、三井寺の鐘楼がありました。こちらは、質素な佇まいではありますが、中に吊られた梵鐘は、有名な三井の晩鐘と呼ばれるもの。近江八景のひとつとして、その音色の名声は、各地に響き渡っているようです。

 

※鐘楼と三井の晩鐘。

 智証大師御廟

 三井寺の金堂前から、西国三十三所の札所である、観音堂へと向かいます。境内は、山裾の一体に広がって、その規模は相当なもの。観音堂へと向かう道にも、幾つものお堂などが並んでいます。

 途中には、「智証大師御廟」と記された、歴史ある寺院の一角もありました。そこには、大師堂や、三重の塔などが配されて、まるで、独立した寺院のようにも感じます。

 

※智証大師御廟の門前。

 

 元々は、大友与多王(先述)が建立したとされる三井寺は、平安初期に、智証大師が中興されたと伝わります。

 弘法大師と同郷で、親戚関係にあたる智証大師は、真言宗には進まずに、天台宗の重鎮として、名を馳せることになったのです。

 

※智証大師御廟内にあるお堂など。

 

 観音堂へと向かう途中の、境内の様子を、もう少しご覧いただければと思います。

 

※石灯籠が並ぶ境内。

 

 観音堂

 境内の南端近くに辿り着くと、小高い丘の麓のところに、「西国十四番札所 三井寺観音堂」と刻まれた、石碑がありました。

 石碑の脇には石段です。私たちは、ここを上って、観音堂に向かいます。

 

観音堂の入口。

 

 三井寺観音堂は、まるで、独立した寺院のようにも感じます。広大な境内の、南端の小高い丘に、そのお堂は佇みます。

 勇壮な二層の屋根を配したお堂は、本堂とも遜色のない大きさです。私たちは、如意輪観音菩薩を本尊とする霊場に参拝し、御朱印を頂きます。

 

※西国第14番札所の観音堂

 

 眺望

 札所での参拝を終え、境内を横切ると、琵琶湖が望める展望所がありました。青く広がる空と水面に、溶け込むような陸地の影は、琵琶湖の雄大さと穏やかな故国の空気が、感じ取れるような光景です。

 

観音堂のある境内からの眺望。

 

 西国三十三所霊場は、近江湖南の3か寺を終え、再び京都に戻ります。次の札所は、東山の南に位置する、今熊野観音寺。この先は、京の都の数か寺を巡ります。

 

*1:舒明天皇の後、第35代天皇になりました。その後、弟の孝徳天皇を挟み、第37代斉明天皇として再び皇位につきました。