旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]15・・・石山寺

 瀬田川

 

 瀬田川は、琵琶湖から流れ出る、唯一の河川です。古くから、歴史の舞台として、或いはまた、水都を代表する景勝地のひとつとして、よく知られた川でした。

 この川は、近江と宇治とを隔てている深い山の谷間を削り、京都盆地の南へと下ります。その先は、淀の下流、山崎あたりで、北からの桂川、南からの木津川と合流し、淀川という、一大河川を形成することになるのです。

 瀬田川は、また、琵琶湖の治水にとって、重要な河川です。かつては、水量の調整が困難で、琵琶湖沿岸一帯は、洪水にさらされたこともあったとか。今では、石山寺下流の位置に、南郷の洗堰(なんごうのあらいぜき)が設けられ、琵琶湖の水位が常に管理されるようになりました。

 このように、瀬田川は、様々な表情を持ちながら、今も、多くの人々と関わり続けているのです。

 

 

 瀬田川の畔

 西国三十三所の次の札所は、第13番目の石山寺。琵琶湖から流れ注ぐ瀬田川を少し下った右岸の畔に、境内は広がります。

 京の都からもほど近く、往時の都人は、半日程度の行程(女性でも1日あれば可能だったでしょう)で、石山寺まで辿り着くことができました。

 都から、蹴上(けあげ)を経て山科へ。その先は、逢坂の関を下って大津宿。そして、膳所(ぜぜ)粟津(あわづ)を過ぎた後、瀬田の唐橋西詰で瀬田川と出会います。そこからは、瀬田川を左に見ながら、流れに合わせて下って行くと、ほどなく、石山寺に到着です。

 距離にして、わずか4里ほどの位置にあるこの古刹。平安の時代にも、気軽に参詣できる、人気のスポットだったのかも知れません。

 

石山寺の入口にあたる東大門。

 駐車場

 石山寺の周辺は、飲食店を中心に何軒かのお店が並んでいます。そのために、参拝者用の駐車場が、少し分かりにくい状態です。

 大津方面から向かう場合は、一旦、寺の正面を通り過ぎ、その先を右折すると、観光駐車場に入れます。他にも、民間の駐車場はあるのでしょうが、ここが一番便利だと思います。

 

 境内へ

 駐車場から、境内へと向かう道にも、何軒かのお店が並んでいます。”お休み処”、とでも言えるような、木造の平屋のお店も軒を連ねて、門前の賑わいをつくっています。

 そうしたお店を通り過ぎると、目の前が、石山寺の正門です。東大門と名付けられたこの門は、勇壮な仁王像と、「石山寺」の大提灯が印象的。端麗な建前でありながら、厳格さもあり、歴史の重みを感じます。

 

※東大門の仁王像と大提灯。

 

 東大門をくぐった先は、真っ直ぐに延びる参道です。白壁の長塀と、連なる木々が、参拝者を境内奥へと誘います。

 しばらく進むと、参拝者の受付です。入山料は、確か300円。木立の中を、さらに先へと進みます。

 

※東大門をくぐった先の参道。

 

 受付を通った後の、参道の突き当り近くには、朱塗りが鮮やかな、手水舎がありました。この辺り、木々が陽光を遮って、穏やかな光を届けています。道端の水路には、澄んだ水が湧きあがり、辺りには心地よい空気が流れています。

 

※手水舎がある境内。

 

 多宝塔

 手水舎を通り過ぎると、右側は勾配のある石段です。参拝者は、ここを上って境内の中心地へと向かいます。

 石段を上った先は、少し開けた空間です。正面には、岩と木々で造られた、庭園のような傾斜があって、その上に、愛くるしい多宝塔が見られます。

 

※多宝塔が望める境内。

 

 本堂

 多宝塔を正面に見て、左手奥が本堂です。山の斜面を背後に置いた本堂は、床高く設置された構造で、再び、石段を上り詰め、参拝に向かいます。

 この本堂、お寺で頂いた資料によると、滋賀県最古の木造建築だということです。内陣は平安中期の建設で、外陣は淀殿の補修によるものだそう。

 淀殿が関わったということは、彼の、秀吉殿も足を向けられたということか。何れにしても、様々な歴史を背負い、今日を迎えているのでしょう。

 

石山寺本堂。

 

 私たちは、本堂へと足を踏み入れ、荘厳な内陣に向け参拝です。因みに、石山寺の本尊は、如意輪観音菩薩だということです。

 

※本堂の入口。

 

 紫式部

 石山寺は、何と言っても、紫式部と切り離すことはできません。平安の時代には、数々の女性貴族の方々が、都からこの石山寺を訪れたということです。

 紫式部も、石山寺を訪れて、『源氏物語』の着想を得たと言われています。お寺で頂いた資料には、「堂内”源氏の間”は紫式部が『源氏物語』を書いたところと傳え」られているとのことで、平安のロマンを感じます。

 本堂の参拝を終えた後、出口の先には、「源氏の間」と呼ばれている、小さな部屋がありました。紫の内幕が施された内部には、紫式部が筆を持つ姿です。床の間や美しい布の帳(とばり)も、往時の様子を伝えています。

 

  めぐり逢ひて 見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かげ

 

 百人一首に選ばれた紫式部のこの歌が、流れてきそうな空間です。

 

※本堂にある源氏の間。

 

 多宝塔

 本堂を後にして、私たちは、もう一段上方の境内へと向かいます。石山寺の境内は、瀬田川にせり出すような、小高い山一帯に広がります。全体が、庭園のような美しさを醸し出し、参拝と散策が同時に味わえる寺院です。

 小高い位置の境内には、先ほども目にとめた、多宝塔。そして、辺りには、幾つものお堂がありました。

 

※多宝塔。

 

 芭蕉

 多宝塔のすぐ右奥には、質素な佇まいの建物です。近づくと、「芭蕉庵」と書かれています。

 そう言えば、石山のすぐ隣り、膳所にある義仲寺は、芭蕉とは関わり深いところです*1芭蕉は、晩年には、よくこの辺りにまで、足を運んでいたのかも知れません。

 境内には、次の一句が記された、芭蕉の句碑も残っています。

 

  あけぼのは まだむらさきに ほととぎす

 

 

芭蕉庵と芭蕉の句碑。

 

 境内を一周して、私たちは、次の札所の三井寺へと向かいます。

*1:芭蕉のお墓は、この義仲寺内に置かれています。