宇治
西国三十三所の霊場は、奈良の都を後にして、京都盆地の南方の、宇治の地へと向かいます。宇治と言えば、平等院鳳凰堂を連想される方も多いでしょう。十円玉に刻まれた優雅なお堂は、この国を代表する、貴重な文化遺産です。
宇治はまた、宇治川の流れとも、切り離すことはできません。数々の歴史を刻んだこの川は、近江の国の琵琶湖から、とうとうとした流れをつくり、宇治の地を下ります。
宇治川越え
次の札所は、第10番の三室戸寺(みむろどじ)。宇治の街の東に連なる山裾に、その境内を構えます。
奈良方面から向かう場合は、JR宇治駅を左に認めたすぐ先で、宇治川を渡ります。その先は、京阪線の宇治駅を左手に見過ごして、右折です。
道は、緩やかな上り坂。住宅が軒を連ねる、狭い道を進みます。しばらくすると、三室戸寺専用の駐車場が左手に。ここからは、徒歩で境内へと向かいます。
※三室戸寺の駐車場(左)とインターロッキングが配された導入路。
莵道(とどう)
三室戸寺がある一帯は、宇治市莵道と呼ばれています。莵道とは、ウサギの道からきたのでしょうか。野山を駆けるウサギの姿が思い浮かぶような地名です。
この莵道(とどう)という地名、ウサギの”う”に、道を”じ”(あるいは、路から”じ”へ)と発音すれば、莵道=”うじ”と読むことができるのです。
実際に、聖徳太子の妃となった、莵道貝蛸皇女は、”うじのかいだこひめ”と呼ばれています。
三室戸寺がある莵道の地域は、もしかして、宇治の地の原点なのかも知れません。
導入路
さて、私たちは、美しく整えられた、境内につながる道を歩きます。両側の、見事な生け垣の向こうには、緑の森が広がります。
※境内に向かう導入路。
生け垣の道を進んでいくと、「西国十番 三室戸寺」と刻まれた、立派な門柱がありました。そして、その先は、参拝者の受付です。参拝料500円を支払って、境内に入ります。
※三室戸寺の入口。
山門へ
入口を進んで行くと、左手の斜面には、ツツジなどの植え込みが続きます。右側は、一段低い谷状で、そこにも、たくさんの低木などが見られます。まるで、庭園のように整備された境内は、”花の寺”と称されるゆえんです。
美しい、緑の道を進んだ先に、今度は、質素ではありますが、趣のある朱塗りの山門がありました。
山門をくぐった後も、花木が続く心地よい参道が続きます。
※山門とそれに続く参道。
参道とあじさい園
緩やかな坂道の参道を進んだ先で、右方向の石段を上ります。そして、左に進路を変えたところが、最後の正面の石段です。
この石の階段から、振り返って見下ろすと、緑の庭園が見渡せます。この庭園が、あじさい園と呼ばれるところ。6月には、花々で覆い尽くされることでしょう。
私たちが訪れたのは、師走に入った頃でした。もちろん、花は見られませんし、下の写真にあるように、石段の下半分が工事中。庭園には入れず仕舞いとなりました。
※正面の石段から、あじさい園を見下ろします。
境内
正面の石段を上り詰めると、本堂や幾つかのお堂が並ぶ境内に入ります。樹木などの植え込みは美しく手入れされ、すっきりとした空間が広がります。
境内に入ったところの右手には、「宇賀神(うがじん)」と表示された石像がありました。この石像、蛇のようにとぐろを巻いた不思議な姿の神様です。この寺院に置かれた理由は分かりませんが、少し奇妙にも思えてしまいます。
※三室戸寺の本堂と境内。
蓮の鉢
境内を横切って、本堂へと向かいます。途中、右手奥には、阿弥陀堂や三重の塔など、奥ゆかしいお堂の姿が見えました。
参道には、蓮の鉢が、所狭しと置かれています。茎のみが、鉢の水からのぞく様子は、どこか裏寂しい情景です。
※阿弥陀堂や三重の塔など。参道脇には蓮の鉢が連なります。
本堂
三室戸寺の本堂は、ウサギと牛の石像に、守られるように佇みます。本堂を覆う屋根の容姿は、スッキリとした構えの中にも、雅やかさが漂っているようです。
私たちは、本堂で手を合わせ、納経所に向かいます。
※ウサギと牛の石像に守られるようにして佇む本堂。
石像
本堂の参拝後、石像に近づくと、何やら、御利益が得られるとの説明書。ウサギの方は、石像の穴の中の卵石を立てられたら足腰健全、牛は、口の中の玉を触れば勝ち運が得られるとか。
せっかくの参拝です。幾つもの御利益を仰ぎつつ、御朱印をいただいて、帰路の途につきました。
ちなみに、三室戸寺のご本尊は、千手観音菩薩です。貴重な仏像ということで、本堂の厨子に安置されているようです。


※ウサギと牛の石像。
芭蕉の句碑
納経所を離れた直後、少し気になる一角がありました。坪庭のような植え込みに、ひとつの石碑が置かれていて、傍には、芭蕉の句を記した表示です。
山吹や 宇治の焙炉(ほいろ)の 匂う時
元禄4年春の句ということであり、芭蕉晩年の頃の一句なのでしょう。
※芭蕉の句碑
最後に、よく知られた百人一首の歌について、少しだけ触れておきたいと思います。
わが庵は都の辰巳しかぞ住む
世をうぢ山と人はいふなり
喜撰法師の作であるこの一首。三室戸寺の東の奥の山中で、密かに暮らす法師の様子が綴られているということです。
宇治、と聞くと、なぜかこの一首が、最初に思い浮かぶのですが、京の都の南東にある、喜撰法師の住まいこそ、この観音霊場の山の奥にあったのです。
※三室戸寺の庭園。
ここで、角川ソフィア文庫発刊の、『百人一首(全)』(谷知子編)に綴られた、喜撰法師の”庵”についての一文を、紹介したいと思います。
「喜撰は、宇治の御室戸の奥に住んでいたらしい。鴨長明は、『無名抄』に「御室戸の奥に二十余町ばかり山中へ入りて、宇治山の喜撰が住みかける跡あり」と記し、歌人必見の場所だと言っている。」
喜撰法師を偲びつつ、私たちは、宇治の地を後にして京都伏見へと向かいます。