旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[熊野古道]11・・・熊野三山(後編)

 3大社と2寺

 

 「歩き旅のスケッチ[熊野古道]」の最終回は、熊野三山の最後の聖地、熊野那智大社です。崖地から、糸を引いたような那智の滝を崇める霊地は、壮大な自然への畏敬の念を抱き続けた、先人達の信仰の深さを伝えています。

 そして、熊野那智大社の隣には、観音様の霊場である、西国三十三所の1番札所、青岸渡寺が控えています。熊野那智大社と一体化した寺院の姿は、神仏習合の典型です。

 自然の神と仏の世界。どこにその違いがあるのかは、私などには理解できない事柄ですが、何れにしても、人の力が及ばない、不思議な何かを感じるところなのだと思います。

 「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された世界遺産。その構成資産の枠組みに、熊野三山が位置づけられて、そこに、関連する2つの寺院が加わります。その一つは青岸渡寺で、もう一つが補陀洛山寺。2つの寺院も訪れて、熊野の地の、神聖な霊場を巡る旅を終わります。

 

 

 熊野那智大社

 熊野三山の最後の聖地は、那智の滝で有名な、熊野那智大社です。新宮から勝浦の辺りに南下して、そこから一気に山の中に入ります。

 那智の滝は、紀州の一大観光地。道は良く整備され、山道を快適に進みます。

 やがて、滝に向かう拠点の場所に着きますが、那智大社へは、さらに車で上方に行かなければなりません。土産物店などが並ぶ道を通り過ぎ、那智山観光センターの駐車場に向かいます。

 観光センターの駐車場に車を停めると、少し後戻りした左手が、那智大社への入口です。私たちは、ここから、お店が並ぶ石段を一段一段踏みしめて、三か所目の大社を目指します。

 

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熊野那智大社への導入口。

 

 石段を上り進むと、途中、分かれ道のある踊り場に到達します。その踊り場には、右西国第一番札所と刻まれた石標が。ここを右に向かって行くと、西国三十三所の一番札所、青岸渡寺(せいがんとじ)があるようです。

 私たちは、左方向の石段へ。そこには、鮮やかな朱塗りの鳥居が、熊野那智大社への参詣者を誘います。

 石段を上って鳥居をくぐると、さらに右側に石段が続きます。結構な段数が待ち構える参道は、修行の道でもあるのでしょう。

 

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※左、石段の踊り場。手前右方向が青岸渡寺への道。真っ直ぐが熊野那智大社への階段。右、最後の直線階段。

 

 熊野那智大社

 最後の、直線状の石段を上ったところは、熊野那智大社の境内です。再び朱塗りの鳥居をくぐった先に、見事な本殿が現れて、神聖な境内が広がります。

 

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熊野那智大社本殿と境内。

 

 熊野那智大社は、解説を読むと、那智大滝に対する原始の自然崇拝が成り立ちである、とされています。ほら貝を持ち、独特の白装束で山中を駆け巡る修験道の人たちが、那智大社や滝とともに映像に映る姿は、那智を象徴する光景です。

 熊野那智大社は、このように、修験道の聖地でもあるのです。

 

 青岸渡寺

 本殿に参拝した後、右方向に向かいます。そこには、大楠が勇壮に枝葉を茂らせて、神殿の威風を高めています。

 この楠から左に進むと、その奥に、寺院のような建物が見えました。よく見ると、その建物が、青岸渡寺。観音霊場として多くの人々が参拝する、西国三十三所の1番目の札所です。*1

 石段の踊り場で、道を分けた参道は、境内で再びひとつにつながっていたのです。

 

 冒頭で触れたように、青岸渡寺世界遺産の構成資産のひとつです。観音様を本尊とする、天台宗の寺院ではありますが、熊野那智大社と背を合わせるように佇む姿は、微笑ましくも感じます。

 

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青岸渡寺の本堂。

 

 那智の滝

 青岸渡寺の境内を横切ると、その突き当りが展望所のようになっていて、那智の滝を正面に捉えることができました。

 

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青岸渡寺の境内から見た那智の滝

 

 観光で那智の滝を訪れる場合には、大社に向かう坂道の手前にある、飛龍神社から入るのが一般的。その場合は、流下する滝を見上げる位置になり、それなりに絶景です。

 それでも、那智大社青岸渡寺から眺められる滝の姿も素晴らしく、是非とも訪れて頂きたいところです。

 

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青岸渡寺境内から見た、朱塗りの三重塔と那智の滝

 

 補陀洛山寺(ふだらくさんじ)

 熊野那智大社を後にして、海に向かって坂道を下ります。海岸近くに拓けた町は、勝浦町の浜ノ宮。JR紀勢線那智駅や道の駅などがあり、観光の中継地のようなところです。

 那智の山から県道を伝って一本道。最後に、那智勝浦新宮道路の高架橋を潜り抜け、その先で左に折れると、すぐそこに、補陀洛山寺はありました。

 

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※補陀洛山寺の本堂。

 

 補陀落渡海

 上の写真の石標にもあるように、この寺も、世界遺産の構成資産のひとつです。”補陀洛渡海発祥の地”とも刻まれている通り、その昔、南方の補陀落浄土(この場合は”落”の字を充てるようです。)を目指す人たちが、船を出帆させたところです。

 補陀落浄土を信じるかどうかは別として、実際に、命をかけてその浄土を目指すとは、想像もできない世界です。信仰の極みと言う他、当てはまる言葉はありません。

 普通では、あり得ない行為とは言うものの、まことしやかに実行された補陀落渡海。私自身の理解からは、余りにもかけ離れていて、どうしても、実感することはできません。

 

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※境内にあった、復元された渡海船。

 私が補陀洛山寺の存在を知ったのは、たまたま、補陀落渡海を扱った、内田康夫のミステリー、「熊野古道殺人事件」を読んだ時。率直に、考えられないお話で、ミステリーの作り話に違いないと思い込んだものでした。

 それでも、何となく調べたところ、実際に、補陀落渡海が行われたことを知るようになったのです。

 

 遠い昔の話であるとは言うものの、いかにも残酷な香りを感じます。その、渡海の人々を送り出した補陀洛山寺。今も世界遺産として、熊野の海近くの場所に、境内を構えているのです。

 

 境内の片隅に置かれていた、渡海船を眺めていた時、住職さんから声を掛けていただいて、本堂へと案内頂くことができました。千手観音様を本尊とする補陀洛山寺。観音信仰は、多くの人の心の世界を、安寧の地へと誘ってくれているのでしょう。

 

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那智参詣曼荼羅

 

 本堂でお参りし、振り返ってみたところ、そっこには、立派な絵図がありました。許しを得て、写真に納めることができたのですが、この絵図はレプリカとはいうものの、那智地域の霊場の参詣の様子が描かれていて、大変貴重なもののように感じます。

 上部には、那智の滝熊野那智大社が描かれて、一番下は、補陀洛山寺。鳥居の先には、海に船が浮かべられ、補陀落の地を目指す様子が描かれているのです。

 

 

 熊野古道の旅の終わり

 補陀落の浄土を目指す人々の思いを偲び、今回の、熊野古道を辿る旅を終わります。中辺路の滝尻王子を起点として、歩き旅と、車での移動を繰り返した、熊野古道と3大社2寺を巡る旅。信仰の聖地として、多くの人の心を惹きつけてきた熊野の自然は、今もなお、不思議な魅力を放っています。

 次回からは、一気に北へと足を向け、津軽、下北の旅を紹介します。

 

*1:いずれ、「巡り旅のスケッチ」の第2弾として、西国三十三所をお届けする予定です。現時点で、私たちは、25か所ほどの寺院を巡っている途中であり、今年の夏には、巡り終えることになるでしょう。