旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

出会い旅のスケッチ9・・・津軽半島(1)

 津軽

 

 久しぶりの「出会い旅」シリーズです。前回は、アメリカ・カリフォルニア州のベイエリアオークランドが輩出した小説家、ジャックロンドンに出会う旅。それから2年、今回は一転して、青森の津軽へと向かいます。津軽と言えば、太宰治を抜きにしては語れません。小説『津軽』のゆかりの地を訪れながら、本州の最果ての地を巡ります。

 

 

 青森空港

 青森への旅が実現したのは、幾つかの条件が重なった結果です。元々、私が大学1年生であった時、津軽と下北を訪れて、深い感銘を受けた土地。いつかまた、行ってみたいと、密かに思いを抱いていたのが、その一つの理由です。そしてまた、久々に、太宰治の『思ひ出』や、『津軽』などの作品を読んだのも、北の地に憧れる契機になりました。

 それにも増して、この旅の実現を決定づけた理由としては、息子からのマイレージの提供です。期限を迎えるマイレージ。この動きづらいご時世で、無駄にしない方法は、高齢者である私たちの活用が、不可欠と言う結論になったのです。

 何とも、自分勝手な言い訳ですが、できるだけ、人ごみを避けた半島巡りは、まだ安全と高をくくって、伊丹から、青森へと飛び立つことになりました。

 夫婦で向かった北の国。青森の空港に降り立ったのは、2021年の秋口のことでした。

 

 

 津軽半島

 青森空港から先の行程は、レンタカーの利用です。空港がある、青森市の南に広がる高原を、北に向かって一気に下り、青森市に近づきます。

 青森市の郊外は、意外にも、整然とした稲作の農地が連なります。青森と言えば、リンゴなどの果実のことを思い浮かべてしまうのですが、津軽の平地は、穀倉地帯とも言えるほど、見事な農地が広がります。

 

 途中、直前に「北海道・北東北の縄文遺跡群」として、世界遺産に登録された史跡の一つ、三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)の傍を通って、国道280号線へと向かいます。

 

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※国道280号線沿線、蓬田辺り。

 村の駅
 国道は、蓬田蟹田よもぎだかにた)バイパスと呼ばれる道で、交通量が少なくて、走りやすい道路です。この道は、津軽半島東海岸近くを通り、陸奥湾伝いを北上します。

 途中、蓬田(よもぎだ)という町の近くには、「村の駅 よもっと」と名付けられた、小さなドライブインがありました。私たちは、そこで、しばしの間の休憩です。

 

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※村の駅、よもっと。

 小説『津軽

 冒頭でも触れた通り、昨年の初夏の頃、久し振りに、太宰治の小説『津軽』に触れました。実は、その直前に、『思ひ出』という作品を読んだことが『津軽』につながることになったのです。

 この2つの作品は、太宰治の若い頃の生活や、津軽への思い入れが、生々しく描かれていて、津軽への旅心をそそる名作です。

 

 今、走っている国道辺りも、太宰治はバスに乗り、蟹田へ、龍飛岬へと向かうのです。『津軽』では、

 

 「津軽半島東海岸は、昔から外ヶ浜と呼ばれて船舶の往来の繁盛だったところである。青森市からバスに乗って、この東海岸を北上すると、後潟、蓬田、蟹田、平舘、一本木、今別、等の町村を通過し、義経伝説で名高い三厩(みんまや)に到着する。」

 

 と、説明をしています。勿論、当時の道は、バイパスより海に近い旧道です。時折、潮の香りも感じながらの、バスの旅だったことでしょう。

 

 蟹田

 太宰治は、友人と会うために、まず、蟹田に入ります。そこで、友人N君と旧交を温め、数人の人たちと交流のひと時を過ごすのです。

 蟹田は、名前の通り、街中を流れる蟹田川の河口辺りで、よく蟹が取れたそう。地名もそのことに由来しているのかも知れません。『津軽』では、大盛りの蟹の話も出てきます。

 私たちは、太宰治の旅を偲んで、蓬田から蟹田の町に向かいます。

 蟹田では、バイパスを右に折れ、町の中に入ります。そこから少し進んだ左手に、JR津軽線蟹田駅が見えました。駅を過ぎ、踏切をこえたところが旧国道。道沿いからは、何となく寂し気な、陸奥湾の風景を見ることができました。

 対岸には、下北半島の姿も望めます。津軽と下北は、陸路では、随分と遠回りになりますが、船で渡れば、それほどでもないのでしょう。今も、フェリーが航行している様子です。

 

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蟹田の海岸。

 

 静かに民家が並ぶ、旧国道を経由して、今度は、今別という町に向かうため、県道に入ります。県道は、今別まで、ショートカットをするような、斜めの道筋を辿ります。

 国道は、真っすぐに北に延び、半島の右上の海岸伝いを回り込むようにして、今別へと向かうのです。

 

 今別から三厩

 蟹田から今別までは、20Kmほど離れています。県道は、海岸から離れた場所を通るため、途中は、山に囲まれた道筋を、蛇行を繰り返して進みます。

 何度か、北海道新幹線の高架下を潜り抜けると、右側に、”奥津軽いまべつ”と表示された、新幹線駅が見えました。

 この土地の方に対しては、大変失礼ではありますが、どうしてこのようなところに、新幹線駅が設けられることになったのか、不思議な気がしてなりません。

 やがて県道は、岬を遠回りしてきた、国道280号線と出会います。私たちは、国道伝いに、今別の町を遠巻きに通り過ぎ、次の町、三厩(みんまや)を目指します。

 

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三厩港の様子。遠方の町が今別。

 義経

 三厩は、そこだけ、少し平地が開けたようなところです。そこそこの数の民家が並び、お店なども見かけます。

 この町は、先程の蟹田とともに、今は外ヶ浜町になるようです。蟹田三厩の間には、今別町があるために、三厩から竜飛岬にかけた地域は、飛び地のような状態です。私たちは、町の途中で国道を左にそれて、山際の道へと向かいます。

 この道を選んだ理由は、他でもなく、義経寺(ぎけいじ)に行くためです。源義経の伝説が残る三厩の地。義経を偲んで、彼の人の名前をいただく寺院の姿を、一目見ておきたいとの思いに駆られた訪問です。

  

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義経寺本堂。