旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[熊野古道]10・・・熊野三山(前編)

 熊野の3大社

 

 古くから、熊野の地を目指した人々は、熊野本宮大社に参詣するのが、最大の目的でした。深くて険しい山道を越え、熊野の清流が注ぎ下る水際に、目指す聖地はありました。(大斎原(おおゆのはら)と呼ばれ、今も熊野川のほとりにその敷地が残っています。)ところが、明治の大水害で、その聖地は破壊され、遷宮を余儀なくされたというのです。今ある熊野本宮大社は、熊野古道の最後の斜面を切り拓いたような場所にあり、川からは少し離れた、高台のところです。

 かつて、人々は長旅の末、ようやく辿り着いた熊野本宮大社の神前で祈りを捧げ、その後は、新宮の熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)に向かうのです。熊野には、さらに、もうひとつ、那智の滝で有名な、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)が控えています。

 3つの社を巡る熊野詣。熊野三山と称される聖なる地域の巡礼です。

 

 

 熊野三山

 熊野には、冒頭で記したように、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの大社が存在します。それぞれが、個別の成り立ちを有しているとは言うものの、熊野信仰そのものは、3か所が一体となって聖地化されているのです。

 「歩き旅のスケッチ[熊野古道]5」において、少し触れた”三体月伝説”は、月が3つに見えるというものでした。この言い伝えとよく似た話が、熊野本宮大社にも残っています。その話とは、3つの月が、この熊野の地に降り立って、熊野権現として3つの社(熊野三山)に祀られたというのです。

 「日本書紀」などの神話に結びつけられた、熊野の地。日本の成り立ちの聖地として、人々の心を引き付けて止まない場所でした。

 

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※元の熊野本宮大社の鳥居と森、「大斎原(おおゆのはら)」。

 

 熊野本宮大社

 熊野古道を歩いた先は、熊野本宮大社の裏鳥居。そこから、神殿の左側面を回り込み、境内へと向かいます。

 境内に入ったところには、すぐ左手に拝殿が構えます。三本足の八咫烏(やたがらす)の幟旗や石像が勇壮で、特別な場所と言う雰囲気です。

 

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※拝殿。

 

 八咫烏(やたがらす)

 八咫烏のことについては、境内にあった説明板に、次のように書かれています。

 

 「熊野では八咫烏を神の使者と言われています。・・・烏は一般に不吉の鳥とされてきているが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や、遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武天皇の東征の砌(みぎり)、天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が御導き申し上げたという意があります。・・・」

 

 初代神武天皇が、九州から東に向かい、熊野を経て大和の橿原へとたどり着き、大和王権を築いたとされる伝説は、幼いころ、耳にしたような気がします。この熊野から、天皇を大和へと導いたのが、八咫烏だったのです。

 ちなみに、日本サッカー協会の旗に描かれたシンボルも、この八咫烏。今では、私たちにとっても、身近な存在となっているのかも知れません。

 

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熊野本宮大社

 

 拝殿から、右隣りの門をくぐって、大社の本殿に向かいます。3棟4殿の建物は、まさに荘厳という他ありません。神聖な空気を感じながら、本殿への参拝を済ませます。

 

 帰路

 本殿から踵を返して、大社の正面入り口へと進みます。道は、真っすぐに階段を下り進む通常の参道と、右側の地道でできた坂道に分かれます。実は、この右側の坂道が、かつて、大斎原へとつづいていた、熊野古道です。

 私たちは、古道を伝い、正面へと向かいます。 

 

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※左、正面に向かう古道。右、正面から見た通常の参詣道。

 

 正面に下り立つと、森に向かって、熊野本宮大社の立派な鳥居が構えています。ここが本来の正面となるところ。私たちは、ここで別れを告げて、次の目的地に向かいます。

 

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熊野本宮大社正面鳥居。

 

 熊野速玉大社

 熊野本宮大社の参詣を終え、朝、車を停めた、熊野本宮館の駐車場に戻ります。次に目指すところは、新宮市にある、熊野速玉大社です。

 私たちは、熊野川伝いの国道を一気に下り、新宮へと向かいます。

 

 新宮は、紀伊半島南部の中心地。熊野川の流れを挟んで、三重県と接する位置にあたります。川沿いの道を一旦抜けて、新宮の市街地が近づくと、次第に家並みやお店などが連なります。その後、街中の中心道路を北方向にしばらく進み、熊野川を越える直前で左に進路を変えると、その先が、熊野速玉大社です。

 正面の右奥にある駐車場から神門までは、目と鼻の先。車を置いた直ぐ先に、境内はありました。

  

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 熊野速玉大社の建物は、総じて、朱塗りの鮮やかな建前です。熊野本宮大社とは対照的な色合いですが、こちらも、その姿は荘厳です。

 

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※熊野速玉大社本殿。

 

 熊野速玉大社の謂れについては、境内に置かれている、「熊野速玉大社御由緒」と記された説明書きから、およそのことが分かります。

 

 「熊野速玉大社は、悠久の彼方、熊野信仰の原点、神倉山の霊石ゴトビキ岩(天磐盾)をご神体とする自然崇拝を源として、この天磐盾に降臨せられた熊野三神景行天皇五十八年の御代(西暦128年)、初めて瑞々しい神殿を建ててお迎えしたことに創始いたします。」

 

 景行天皇自体が、伝説の人とされているため、史実としては首をかしげたくなる解説ですが、

 

 「『新宮』*1・・・の尊称は、まさに熊野速玉大社が天地(あめつち)を教典とする自然信仰の中から誕生した悠久の歴史を有することの証といえるでしょう。」

 

 と続けられ、自然崇拝を起源とする原始信仰の成り立ちを受け継いだ大社であることが分かります。自然を畏れ敬う中から信仰が誕生し、綿々として、その精神が受け継がれている姿を、目の当たりにしたような気がします。

 

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※熊野速玉大社の正規の入口。

 

 熊野那智大社

 熊野三山の最後の聖地は、那智の滝で有名な、熊野那智大社です。新宮から勝浦へと南下して、そこから一気に山の中に向かいます。

 

*1:神倉山の霊石の地が元々の霊場で、今の熊野速玉大社は、その麓に新しく造られたことから、新宮と呼ぶとのこと。あるいは、熊野本宮大社の「本宮」に対して、「新宮」と呼ばれるようになったとの記述もどこかで読んだ気がします。