旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]9・・・長谷寺と法起院(前編)

 西国巡礼の原点

 

 長谷寺は、大和川が谷を削った山の斜面に、境内を構えます。今は、桜井市の東の外れ、古代の国(倭国=やまとのくに)の中心地、三輪の町から、少し東に入ったところです。初瀬(”はつせ”、あるいは、”はせ”)とも呼ばれるこの地域、信仰の山として崇められた三輪山の背後にあって、古くから神聖なところだったのだと思います。

 百人一首の歌にも詠まれた初瀬の地。実は、西国三十三所を巡り歩く、巡礼の原点でもあるのです。悠久の歴史を背負い、多くの人が訪れる、初瀬の地の2つの古刹を訪ねます。

 

 

 長谷寺

 続く札所は、西国三十三所の8番目、誰もが知る長谷寺です。

 大和川伝いの国道を、東に向けて進んでいくと、初瀬西交差点。そこを斜め左にそれた先に、門前町はありました。

 細長く続く門前町。道が鍵形に曲がる辺りの駐車場に、車を停めて歩きます。

 

長谷寺門前町。道の奥には仁王門も見ることができます。

 

 私たちが、長谷寺を訪れたのは、2021年12月。新型コロナの影響と、冬の季節の到来で、参拝の人はまばらです。それでも、三輪そうめんの食堂や、老舗の奈良漬のお店など、細々と、商いが続けられている様子です。

 

 仁王門へ

 門前町を通り過ぎると、少し開けた空間が広がります。正面は、整備された石畳。「総本山 長谷寺*1と刻まれた、立派な石柱を右に見て、仁王門へと向かいます。

 

長谷寺の玄関辺り。

 石畳の正面には、見事な仁王門が聳えています。その直前の左手が受付で、拝観料、500円を支払います。

 

※仁王門。

 

 登廊(のぼりろう)

 仁王門に近づくと、その先にあったのは、長谷寺の代名詞でもある登廊。緩やかに上る石段を、多くの柱で支えられた長屋根が覆います。

 本堂へと誘う道は、厳かで、神聖な空気が流れているように感じます。

 

※仁王門の先に延びる登廊。

 

 花の御寺(みてら)

 長谷寺は、「花の御寺」と呼ばれるように、境内には、様々な花の木などが見られます。登廊のすぐ傍は、牡丹(あるいは紫陽花)の木でしょうか。棚田のように整地された区画には、多くの苗木が植わっています。

 受付で頂いた資料には、桜やツツジシャクナゲなど、季節ごと、境内に咲き誇る、数十種の花の名前が書かれています。

 

※登廊から見た境内の様子。

 

 本堂へ

 登廊は、下・中・上、の3つの廊に分かれています。”下”の廊が最も長く、その先で、鋭角に右に折れた”中”の廊が続きます。”中”の廊は、それほど長くはありません。ただ、勾配は、少し急だったような気がします。

 

※”中”の廊。

 

 ”中”の廊と”上”の廊は、小さなお堂でつながれます。直角に左に折れると、”上”の廊。本堂への最後の石段が続きます。

 

 歌碑

 ”中”と”上”との廊をつなぐ小さなお堂。その裏手には、麗しい容姿の梅の木と、赤い小さな祠の姿が見えました。そして、それらと寄り添うように置かれていたのが、紀貫之の次の歌碑。

 

 人はいさ 心も知らず ふるさとは

   花ぞ昔の 香ににほいける

 

 小倉百人一首に収められたこの和歌は、長谷寺の参拝に訪れた、紀貫之が詠んだもの。

 角川ソフィア文庫発刊の『百人一首(全)』(谷知子編)によると、「『古今和歌集』の詞書に「初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、ほど経てのちに至りければ、かの家の主『かく定かになむ宿りはある』と言ひだして侍りければ、そこに立てりける梅の花を折て詠める」とある。」と書かれています。

 

 ”人の心の内はわからないが、花(梅の花)は昔と変わらず同じ香りを放っている”

 歌碑の傍の梅の木は、このような情景を暗示させているのでしょう。*2

 

紀貫之の歌碑が置かれた一角。

 私たちは、静かに佇む祠や歌碑を眺めながら、最後の登廊を進みます。

 登廊の最後には、鐘楼の建物が。そして、そこを潜ると、左手に本堂です。

 

※鐘楼を潜ったところから見た本堂。

 本堂

 長谷寺の本堂の正面は、崖下の境内や初瀬の町を見下ろす向きに面しています。従って、上の写真の階段は、本堂の側面です。

 私たちは、階段を上がった先で左に折れて、側面からお堂の中に入ります。

 お堂の中央に進んでいくと、内陣には、黄金の見事な十一面観世音菩薩像。資料には、「御身の丈三丈三尺(十メートル余)」と書かれています。

 このご本尊、「右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、平らな石(大磐石)の上に立つ独特なお姿をしています。」と書かれているように、その神々しさは圧倒的。

 

 お堂に流れる読経を耳に、しばしの間、静かに手を合わせたものでした。

 

※本堂の正面。

 

 参拝後、本堂の正面に回ります。本堂の大屋根下には、「大悲閣」の見事な扁額。そして、お堂の中には、幾つもの装飾や額などが見えました。

 振り返ると、その先は、舞台造りの構造です。崖地に突き出す舞台へと進んでいくと、眼下には、長谷寺の境内と、初瀬の町が見下ろせます。

 見事な景色を目に納め、帰路の途へ。初瀬の町の中にある、西国三十三所巡礼のゆかりの寺院、法起院へと向かいます。

 

※舞台から見下ろす景色。

 

*1:真言宗豊山派の総本山です。

*2:”初瀬”を直接表現した百人一首は、「憂(う)かりける 人をはつせの山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを」があります。