旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]6・・・葛井寺

 河内の国へ

 

 西国三十三所の次の寺院は、5番札所の葛井寺(ふじいでら)。和泉の国から河内の国へ、北に向かって進みます。

 葛井寺のある場所は、藤井寺市の街の中。近鉄藤井寺駅の近くです。住宅がひしめくところに姿を隠す霊場は、かつては、農地が広がる場所にあり、どこからでも、その姿を捉えることができたのかも知れません。

 今は、街の中に静かに佇む葛井寺。それでも、ずっしりと、歴史の重みを伝えています。

 

 

 ”葛”のこと

 葛井寺の読み方は、最初は、”くずいでら”だと思い込んでいましたが、この字を充てて、”ふじいでら”と読むことは、この地を訪ねる直前に、初めて知ることになりました。

 ”葛”と”藤”、どうして、”葛”の字になったのか、持ち合わせの資料では、よく分からないのが実情です。ただ、ひとつだけ、百済から渡来した、葛井氏の氏寺が起源だとのことですが、真相は分かりません。”葛”と”藤”、これらはいずれも、”つる”を持つ、マメ科の植物ということで、何らかのつながりがあるのでしょう。

 藤棚が名所とされる葛井寺。人々に愛され続けて、今日を迎えています。

 

 葛井寺

 葛井寺は、藤井寺市の街の中。古墳が残る細い道をすり抜けて、駐車場を目指します。最後は、車が一台、何とか通れる狭い道。少し進むと、境内の脇門のすぐそばに、小さな駐車場がありました。

 私たちは、ここに車を停めて、側面から境内に入ります。

 

※駐車場から見た脇門と釣鐘堂。

 

 境内に入った右側は釣鐘堂。そして、右前方に本堂がありました。

 本来ならば、正門である南大門から境内へと向かうのが、正しいルートなのでしょう。ただ、脇からのルートであっても、無作法ではないはずです。私たちは、本堂へと足を運んで、参拝を済ませます。

 

※脇門付近から見た本堂。

 

 本堂

 葛井寺の本堂も、これまでの札所の寺院と同様に、荘厳で、重厚さを感じます。歴史の波を乗り越えて、今なおこの地で、人々の安息の場を守り続けているようです。

 この古刹の本尊は、十一面千手千眼観世音菩薩坐像。資料によると、実際に、1041本の手をお持ちだそうで、たいへん貴重な像だそう。国宝に指定されたこの本尊は、毎月18日に開帳され、間近に拝むことができるということです。

 機会があれば、ぜひともこの日に、もう一度、訪れてみたいと思います。

 

葛井寺本堂。

 

 南大門

 本堂の参拝後、私たちは、本来の入口の南大門に向かいます。改めて、正面に回ってみると、朱が鮮やかな立派な門がそびえたち、住宅がひしめく中とは思えない、見事な姿を放っています。

 

※南大門。

 

 境内

 南大門から、再び境内に戻ります。中央の参道の右手には、石柱に囲まれた、弁天池。その隣には、休憩処がありました。

 境内の左右には、大師堂など、幾つかのお堂も並んでいます。木々の配置も心地よい、落ち着いた境内がひろがります。

 

※休憩処と弁天池。

 休憩処のすぐ前は、藤棚が配置され、藤のツルが絡んでいます。時期が来たら、さぞ見事な紫の花房が、境内を飾ることでしょう。

 葛井寺山号は、紫雲山。このことからも、藤の花にゆかりがある寺院なのだと感じます。

 

※右側は、藤棚とその奥が大師堂。左正面が本堂です。

 帰り道、休憩処と大師堂の間には、弘法大師像が見えました。修行姿の大師像。この古刹、空海と、どのような関わりがあるのでしょう。

 私たちは、再び側面の出入口から、駐車場に戻ります。

 

弘法大師像。

 大和へ

 葛井寺に続く札所は、大和の国。飛鳥から、なお南方の山にある、壷坂山南法華寺(つぼさかやまみなみほっけじ、通称、壷阪寺と呼ばれています)です。この霊場に向かうには、河内と大和を隔てている、生駒山地金剛山地の隙間の道を抜けなければなりません。

 古くから、幾つかのルートがあったこの区間。できるだけ山地を避ける道筋は、主に2つありました。

 そのひとつは、大和川を遡り、竜田に向かうルートです。そして、もうひとつ、竹内街道と呼ばれる道は、古代から、多くの人が往き交った古道です。

 かつては、葛井寺から壷坂に向かうには、後者である、竹内街道を利用するのが、最短のルートだったと思います。

 

※かつて、葛井寺から大和の壷阪寺に向かうために辿られたであろうルート。途中にあるオレンジのは、以下で述べる、近つ飛鳥博物館。

 

 近つ飛鳥

 この街道の西側は、近つ飛鳥と呼ばれています(ここには、大阪府立「近つ飛鳥博物館」があり、古代の歴史を学ぶことができます)。

 倭の五王のひとりである、反正天皇(はんぜいてんのう)が名付け親とのことですが、大和にある、遠つ飛鳥をつなぐ道は、古代ロマンをかき立てます。

 聖徳太子蘇我氏などが活躍した、飛鳥の地を経由して、壷阪寺へと向かいます。

 

大阪府立近つ飛鳥博物館。