旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)9・・・讃岐路(76番→75番)

 空海の出生地

 

 四国八十八か所霊場は、76番札所から善通寺市に入ります。善通寺市は、名前の通り善通寺門前町空海の生誕地としても有名です。

 この地に生を受け、幼少の頃から天才的な才能を発揮していた空海は、どのような日常を送っていたのでしょう。瀬戸内地方の温暖な気候と、のどかな田園が広がる讃岐平野の西側は、全体として穏和な印象を受けるところです。この穏やかな地域から、即身成仏の極みを悟る高僧を輩出したということを、どのように捉えればよいのでしょうか。

 空海の生い立ちを想像しながら、善通寺の寺院を巡ります。

 

 

 76番金倉寺

 多度津町道隆寺を出て、南方に隣接する善通寺市へと向かいます。金倉寺(こんぞうじ)は、JR土讃線金蔵寺駅の近くにあって、この辺りは金蔵寺町。その昔は、金倉郷(かなくらごう)と呼ばれていたようで、金倉寺(こんぞうじ)の名称はここからきているということです。

 この金蔵寺町に入って間もなくの所で、県道から一筋東の通りに向かいます。細い道を少し進むと、金倉寺の駐車場。そして、駐車場のすぐ奥が境内です。

 

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金倉寺駐車場から。境内へは、左の廊下下の入口から入ります。正面のお堂は大師堂。

 金倉寺

 駐車場から渡り廊下の下をくぐって境内に入ると、すぐ右手が大師堂。そして、左前方に立派な本堂がありました。境内は、周囲には幾つかのお堂などの建物が見られます。仁王門は本堂の向かい側。今回は仁王門から入らずに、脇道からの参拝です。

 

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※左、境内の様子。右、本堂。

 

 金倉寺は、「巡り旅のスケッチ(四国巡拝)5」でも少し触れたように、智証大師(円珍)にゆかりがある寺院です。円珍は、金倉寺の辺りで生を受け、後に天台宗の跡を継ぐ僧侶になる方で、空海とは血縁の間柄。諸説あるようですが、空海の姪が円珍の母親と言われています。

 この寺は、遣唐使として長安を訪れていた円珍*1が、帰国後に逗留し、伽藍の整備を行ったとのこと。円珍とのゆかりが深い寺院です。こうしたことから、金倉寺は、82番の根香寺(ねごろじ)と同様に、四国霊場では珍しい天台宗の寺院です。

 

 智証大師と金倉寺

 この金倉寺には、今でも智証大師(円珍)の面影を認める跡が残っています。

 そのひとつは、大師堂。普通、大師堂は弘法大師を祀るお堂ということで、本尊は弘法大師の座像です。お堂の扁額も、「弘法大師」や「遍照金剛」といった、弘法大師の名称が掲げられているのが普通です。ところが、この寺の大師堂は、弘法大師と同様に、智証大師の座像も鎮座されているということです。しかも、扁額には、中央が智証大師、右が弘法大師、そして左には神變菩薩(神変)と記されているのです。

 神變菩薩については、私にとって全く知らない存在で、扁額を目にした時も、特に印象が残ったという訳ではありません。ただ、後々調べてみると、この方は、600年代の後半に山岳修行を行われていた行者のようで、円珍は、この方の影響を受けられたとか。

 7世紀の神變菩薩、8~9世紀の弘法大師、9世紀の智証大師と、3世紀にわたって密教世界を牽引された高僧の名が、ここの扁額に記されていたのです。

 

 

 ところで、空海円珍。ともに讃岐の地で誕生し、後に遣唐使として長安を訪れて、密教を極めます。空海は、それこそ真言密教の伝授を授かり、高野山を開いて多くの人々の信仰を集めた一方、円珍は、若くして比叡山に登り、天台密教を引き継ぎます。

 空海と血のつながりがありながら、空海が極めた真言密教とは違う方向に進んだ円珍という高僧。どのような思想が働いて、空海の後を追うことなく、天台密教の道を選ばれたのか。いつかまた、知りたいような気がします。

 

 もうひとつ、金倉寺の境内には、”入山大師像”と記された智証大師の像が置かれています。弘法大師像とは全体の雰囲気が大きく異なるこの像は、円珍比叡山に入山した頃の、若き日の姿のように感じます。

 金倉寺は、弘法大師信仰の古刹のひとつであるとともに、讃岐の国が輩出した、もう一人の偉人である、智証大師を中心に据えた寺院でもあるのです。

 

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 ※入山大師の像。

 

 75番善通寺

 次は、空海の生誕地、善通寺です。金倉寺からは、南に向かって車でわずか15分ほどの距離。善通寺市街地のやや西側に位置します。

 善通寺の境内は広大なため、専用の駐車場に入るのが最適です。74番甲山寺甲山寺)から、順巡りで善通寺に向かう場合は分かりやすい道ですが、金倉寺から逆方向に向かっていくと、少しわかりにくい道筋です。目印は、”四国こどもとおとなの医療センター”の建物で、カラフルな心地よい意匠の建物前を通り過ぎ、すぐに左に大きく折れると、専用駐車場に行き着きます。

 自動開閉機がある広々とした駐車場。右手の山裾には、稲荷大明神の大きな朱塗りの鳥居が印象的なところです。

 

 空海の生誕地

 善通寺は、空海の生誕地。駐車場から参道に向かう入口あたりに、空海記念碑がありました。

 善通寺はまた、四国八十八か所の総元締め。駐車場の一角には、お遍路用具やお土産を販売するお店の他、四国八十八か所霊場霊場会事務局の看板などもありました。

 

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※駐車場から参道へ。右に空海記念碑が見えます。

 

 次回は、善通寺境内の様子と、空海について少し触れようと思います。

 

*1:円珍遣唐使として派遣されたのは、853年から858年ということです。空海が入定されたのが835年ということで、円珍長安に入った18年前に、空海はこの世を去ってたということになります。