旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)22・・・伊予路(51番石出寺と松山)

 道後温泉の街、松山

 

 四国の中で、最も多くの人口を抱える松山市。市の中心部には高層ビルが立ち並び、路面電車が往き交います。愛媛県庁や中心商店街のすぐ北側には、松山城を擁する城山が構えていて、さながら街中の緑のオアシスです。

 城山から東に向かって1Kmほどのところには、有名な道後の温泉町。この温泉は、海外でもよく知られているようで、少し前には、国際色豊かな観光客で賑わっていたものでした。

 四国八十八か所霊場のひとつ、51番石出寺は、道後温泉のすぐ近く。お遍路さんだけでなく、観光客も訪れる街中の大きなお寺です。

 

 

 51番石出寺へ

 太山寺を後にして、南方向の松山市の中心部に向かいます。道路は次第に車線が広がり、交通量も増してくると、辺りの雰囲気が一気に都会の様相に変わります。路面電車の線路が敷かれた道路もあって、運転には特に注意が必要です。

 市の中心部をすり抜けて東に進むと、道後温泉に行き着きます。そこから、僅かに東の位置に石出寺(いしでじ)の境内が広がります。

 道後温泉方面から向かう場合は、左手に石出寺がありますが、駐車場は右側です。*1この辺り、T字路の交差点となっているため、要注意。安全運転が第一です。

 

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※石出寺への入口とT字路の交差点。

 

 石出寺

 石出寺の入口には、弘法大師像や幾つかの石像などが置かれていて、ちょっとした庭園のような雰囲気です。ただ、石像や木々の配置は、他の霊場とは少し趣が異なり、パワースポットのような、一種独特の空気を感じます。

 この庭園を抜けて奥に進むと、木造の屋根が長々と延びる、アーケード然とした参道が現れます。参道の両脇には、以前は、仏具や記念品などを販売するお店が並んでいましたが、今は、そのお店も数えるほどしかありません。門前の賑わいは、次第に失われてきている様子です。

 

 参道を奥へと進み、木造の屋根が途切れた正面に、立派な仁王門が現れます。石出寺は、本堂などは重要文化財ということですが、仁王門のみ、国宝に指定されているということです。

 

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※左、仁王門へと続く参道。右、仁王門。

 

 石出寺の境内は、広々としています。仁王門をくぐって周囲を見ると、その広さを実感します。境内には、幾つものお堂などが立ち並び、どこに本堂があるのか、一瞬戸惑うぐらいです。

 この霊場の本堂は、仁王門の左前方。一段高くなったところにありました。本堂前の石段には、黄金の巨大な金剛杵(こんごうしょ)のモニュメントがあり、その景観は圧巻です。

 金剛杵は、真言密教で使用する法具です。その用法はそれこそ秘密の道具とされていて、私たち一般人には分かりません。この形、幾つかの説があるようですが、いにしえのインドに由来があるということです。

 

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※境内と本堂の様子。黄金のモニュメントが金剛杵です。

 石出寺の由来

 石出寺で手にした寺院を紹介する資料には、一つの物語が掲載されています。

 それによると、その昔、松山市の南部にある荏原(えばら)というところに衛門三郎という人がいて、開墾に精を出していた時、一人の貧相な僧が一晩泊めてほしいと声を掛けました。三郎は、その僧の貧相な姿を見て、邪魔だと追い返したということです。

 ところがその後、三郎の8人の子が相次いで他界し、彼の家は荒廃することになりました。その後、三郎は、かつての僧を探し求め、四国中を巡ること21回。遂に自らも、貧相な姿となって、四国12番札所の焼山寺山中で病に倒れてしまいます。*2

 その時、突然弘法大師が現れて、「よくぞ修行し改心した。望みあればかなえよう」と言われたということです。三郎は、「生まれ変われるものならば、今度は人を助けたい。今度こそ、追い返した僧をお泊めしたい」と懇願し、大師から衛門三郎と刻まれた小さな石を授かりました。そして、静かに息を引き取ったのです。

 それから年月が経ち、伊予の豪族に一人の男児が誕生しました。その子は、右手を握ったまま開くことをしなかったので、親は道後の由緒ある寺に祈願したところ、手のひらの中から衛門三郎と刻まれた石が出てきたということです。

 手から出た石。衛門三郎の生まれ変わりと信じられ、この寺は石出寺と呼ばれるようになったというのです。

 

 何とも信じがたい話ではありますが、これが弘法大師信仰の一つの側面にも思えます。当初の貧相な僧は、実は弘法大師そのもので、この種の話は、四国では幾つも伝えられているのです。

 

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※補陀り、石出寺の三重の塔。右、元気石と再生石。

 

 石出寺の力

 石出寺の境内は、真言密教で重要な、曼荼羅の世界を現わしているともいわれます。境内全体が曼荼羅のように配置され、ある種のパワースポットなのだと説明されているのです。

 四国霊場の中では極めて異色なこの寺院。本堂の左手にある、再生石と呼ばれるくぐり石を抜けると、元気が与えられるとのことで、私たちも、その恩恵を受けました。

 このくぐり石。衛門三郎が生まれ変わった言い伝えにも通じていて、まさに再生石ということです。

 

      見あぐれば 塔の高さよ 秋の空

 

 松山が生んだ高名な俳人正岡子規は、石出寺にそびえる三重の塔を見上げて、何を思ったことでしょう。

 

*1:実際には、左手の、石出寺のすぐ脇にも駐車場はありますが、なぜか利用されている方は少ない様子です。料金的な理由かも知れません。

*2:衛門三郎の出身地である松山市荏原には、47番札所の八坂寺があります。そこは、三郎の菩提寺とされているのです。