越ヶ谷宿の次の宿場は、粕壁宿。今は、”春日部”と書きますが、かつての宿場町は”粕壁”です。この2つの漢字で表記される”かすかべ”には、古い歴史があるようです。粕壁から春日部になったのか、或いはまた、別の変遷があったのか。詳しくは分かりませんが、時代とともに、その表記は、移り変わってきたのです。
一方で、春日部と言う名を聞くと、クレヨンしんちゃんを思い浮かべる方も多いでしょう。今では、宿場町と言うよりも、アニメでメジャーになった街。どのような街なのかと思い描いて、粕壁宿に向かいます。
越ヶ谷宿
元荒川を渡った先も、かつての越ヶ谷宿は続きます。ただ、街並みは、川を渡る前と比べれば、ずいぶん新しいような気がします。
道幅も、幾分は広くなり、道沿いの建物も、歴史が感じられるものはありません。大きく姿を変えている、かつての宿場町を歩きます。
※越ケ谷宿の北部。
北越谷
街道は、やがて越ケ谷の宿場を終えて、東武線北越谷駅のすぐ近くを通ります。北越谷の駅前には、大型の商業施設。時間によっては、賑わいの街となるのでしょう。
駅を左に望みながら北進すると、道幅は一気に狭まります。大半は住宅が並ぶ道沿いですが、ところどころにお店なども見られます。
※北越谷駅を左に見ながら、北進します。
春日部市へ
狭い道を通り抜けると、その先はT字路の交差点。真っ直ぐ延びる街道に、右手から、広い道路が合流します。
街道は、交差点を直進し、少し先で、東武線の高架の軌道を潜ります。
※T字の交差点。左の高架は東武線。
街道は、高架下を通り抜け、緩やかに右方向へと向かいます。この道は旧道ですが、ある程度整備された状況です。
落ち着いた住宅が並ぶ道筋を春日部に向けて進みます。
※左、高架下を抜けると元荒川の土手に当たります。土手道が旧道だと思います。右、土手道に上がると戻れないため、実際にはこの道路を通ります。(木のところ辺りに旧道が繋がっていたのだと思います。)
旧道の道沿いは、新しい住宅が連なります。道は、この先で、東武線の踏切を通過して、さらに北へと向かいます。
※新しい住宅が並ぶ旧道。
大きく蛇行する街道は、昔の道の流れが、往時のままに残っている証でしょう。この変化を楽しみながら、歩き旅を続けます。
※大きく蛇行を繰り返す旧道。
大袋駅周辺
街道は、やがて、大袋駅入口の交差点に入ります。この交差点の斜め左奥の方向に、東武線大袋駅があるようです。
交差点を覆っているのは、国道4号線。この先で、何回も出合うことになる道です。
※大袋駅入口の交差点。高架の道路は国道4号線。
国道の高架下を通り抜けると、落ち着いた街並みに変わります。瓦屋根の民家が増えて、小さなお堂や石塔なども見られます。
※大袋駅の東を通る街道。
お墓も、このような感じのところに、窮屈そうに並んでいます。
※わずかな敷地にお墓が並びます。
街道は、やがて、右後方からやってくる、国道4号線と合流です。この先は、道は良く整備され、両側に設けられた、広い歩道を歩きます。
※国道と合流する街道。
国道の歩道には、ところどころに、日本橋を起点とした距離標示が置かれています。「せんげん台駅」の表示の横にあったのは、丁度30キロの表示です。
この日の街道歩き、日本橋を出発してから、3日目の行程です。それでも、初日は半日の行程で、この日はまだ午前中。それを思うと、なかなかのペースで歩いていると、我ながら、感心したものでした。
※国道に置かれた距離標示。
30キロの表示を過ぎてしばらくすると、小さな川を渡ります。そして、その川を越えたとけろに、「春日部市」と記された表示板。街道は、いよいよ、春日部市に入ります。
※春日部市に入った街道。
春日部市に入ってしばらくは、国道4号線の歩道上を歩きます。それほど変化のない、国道筋の風景は、単調そのものと言ってもいいでしょう。街道の名残りなどは、見かけることはありません。
時折目にとまる、日本橋からの距離標示、そして、各都市までの距離案内を確認しながら、歩くペースを調整します。
※春日部市の国道4号線の様子。宇都宮まで77キロ、古河まで33キロの表示です。
やがて街道は、備後(びんご)の交差点を迎えます。この辺り、道沿いの建物は、それほど込み合った状態ではありません。農家のような民家も見られ、農地が近くにあることを感じます。
※備後の交差点。
市街地へ
国道の歩道伝いに、さらに北へと進んでいくと、「一ノ割駅」の表示です。この駅は、東武線春日部駅の、ひとつ南に位置しています。
国道の沿線も、レストランや沿道サービスの事業所なども目立ち始めて、春日部市の中心地に近づいてきた様子が窺えます。
春日部の駅近くにある宿場町、粕壁宿まで、あと一息のところです。