旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

日光道中

歩き旅のスケッチ[日光道中]39・・・最終回(二荒山と芭蕉)

最終回 「歩き旅のスケッチ[日光道中]」のシリーズは、今回が最終回。既に、本来の街道歩きは、前回で終点の日光神橋(しんきょう)に到着し、その目的を終えたのですが、今回は、エピローグとして、もう少しだけ日光を巡ります。 最終回にあたっては、奥の…

歩き旅のスケッチ[日光道中]38・・・終着点

東照宮 かつて、しばらくの間、静岡市に住まいしていた私にとって、東照宮という名を聞くと、どうしても、久能山東照宮(くのうざん・とうしょうぐう)が先ず頭に浮かびます。駿府の地で生涯を終えた家康を祀る場所。駿河の国が一望できて、富士山が間近にそ…

歩き旅のスケッチ[日光道中]37・・・鉢石宿

2つの日光駅 日光東照宮の交通機関の玄関口は、JRと東武線の日光駅。この2つの終着駅は、隣り合わせに並んでいます。 JRの日光線は、宇都宮からやや南側に回り込み、鹿沼を経て、日光西街道の道筋を辿りながら日光へ。一方の東部日光線は、茨城の古河…

歩き旅のスケッチ[日光道中]36・・・鉢石宿へ

旧日光市 今市を後にした街道は、旧日光市へと向かいます。平成の大合併以前から、日光市として、市政を敷いていたこの都市は、後に、今市市などと合併し、今日の日光市になりました。 足尾の町や、周辺の幾つかの町村を吸収し、栃木県では屈指の広さを誇る…

歩き旅のスケッチ[日光道中]35・・・今市宿から上今市へ

朝鮮通信使 今市の宿場を後にして、再び杉並木に入るところに、「朝鮮通信使今市客館跡碑」と記された、案内板が置かれています。この史跡、街道からわずかに外れた位置ですが、見逃すことはできません。少しだけ脇道にそれ、歴史の跡を訪れます。 ちなみに…

歩き旅のスケッチ[日光道中]34・・・今市追分と今市宿

街道の接合点 街道が合流し、或いは、分岐する地点のことを、かつては、追分(おいわけ)と呼びました。次の宿場の今市(いまいち)には、追分の中でも重要な2筋の街道の接合点が、今も良く残っています。街道の一方は、私たちが歩んできた日光道中の道筋で…

歩き旅のスケッチ[日光道中]33・・・今市宿へ

今市 平成の合併で、日光市となった今市(いまいち)の町。元は、今市市として、単独の市政が敷かれていたところです。この今市は、日光への玄関口とも言える場所。日光西街道(”日光裏街道”とも呼ばれています。また、途中から”日光例幣使街道”が合流してい…

歩き旅のスケッチ[日光道中]32・・・大沢宿へ

杉並木 大沢の宿場に近づくと、街道の様子は随分と変わります。有名な、日光の杉並木。これまでも、断続的に続いてはいましたが、それは例えば、東海道の松並木と同様の、街道際に一列に並ぶ並木です。 ところが、この辺りから、並木の姿は一変します。それ…

歩き旅のスケッチ[日光道中]31・・・上徳次郎宿から大沢宿へ

堤の並木道 上徳次郎の宿場の先は、再び、並木が植わる堤の歩道を歩きます。本来の街道は、堤の下を走っている、国道119号線であったはず。かつては、左右の並木に覆われて、その中を人や馬が往来していたのでしょう。 今は、その道は、自動車が勢いよく…

歩き旅のスケッチ[日光道中]30・・・徳次郎宿

3つの宿場 宇都宮の宿場に続く徳次郎宿(とくじらじゅく)。ここには、下・中・上の3つの宿場町がありました。それぞれの宿場町は、ある程度、独立していたようですが、互いに補完し、協力し合う関係だったのだと思います。甲州道中の宿場町で見られたよう…

歩き旅のスケッチ[日光道中]29・・・徳次郎宿へ

徳次郎(とくじら) 宇都宮の次の宿場は徳次郎宿(とくじらじゅく)。宇都宮の市街地から、丘陵地の中へと進み、小高い山並みの中の谷あいに、この宿場町は位置しています。 「徳次郎」という字を見れば、誰が読んでも”とくじろう”。ところが、この地は、”と…

歩き旅のスケッチ[日光道中]28・・・宇都宮宿から並木の道へ

丘陵地へ 江戸日本橋から、概ね、北に向かった街道は、宇都宮から、やや西寄りに進路を変えて、日光を目指します。この先の道筋は、次第に丘陵地の方向へ。そして、小高い山の隙間を縫うように進みます。 広葉樹の木々の葉は、鮮やかな色彩を放ちながらも、…

歩き旅のスケッチ[日光道中]27・・・宇都宮宿へ

二荒山神社 日光を目指す街道は、宇都宮の宿場町で、奥州道中と分かれます。私たちは、追分を北へと進み、少しずつ西寄りに進路を変えて日光へ。一方の奥州道中の道筋は、追分を東に進み、その後、北方向に舵を切り、福島の白河へと向かうのです。 主要な街…

歩き旅のスケッチ[日光道中]26・・・雀宮宿から宇都宮宿へ

宇都宮市へ 街道は、下野市にある2つの宿場(小金井宿と石橋宿)を経た後で、宇都宮市に入ります。宇都宮は、言うまでもなく、栃木県の中心地。県庁の所在地でもあり、関東北部の拠点です。 この宇都宮、市域も広く、様々な表情を見せながら、旅人を迎えま…

歩き旅のスケッチ[日光道中]25・・・石橋宿から上三川町へ

上三川町 街道は、下野市の2つ目の宿場町、石橋宿を過ぎた後、少しの間、上三川町(かみのかわまち)に入ります。この町は、南西部に下野市、東部が真岡市で、北に宇都宮市が隣接するという位置関係。3つの市域に囲まれて、今なお合併することはなく、単独…

歩き旅のスケッチ[日光道中]24・・・小金井宿から石橋宿へ

下野の道 下野市には、かつて、小金井宿と石橋宿の2つの宿場がありました。平成の合併までは、別々の町にあった宿場町も、今は、ひとつの自治体の中。何れも、国道4号線に沿ったところで、宿場町の面影はありません。 淡々とした国道伝いの歩き旅。宇都宮…

歩き旅のスケッチ[日光道中]23・・・新田宿と小金井宿

下野市(しもつけし) 小山市の3つの宿場を過ぎた後、街道は、下野市に入ります。栃木県のかつての地名、下野の国に由来している下野市。このような名前の都市があったのかと、不思議に感じたものでした。 ただ、調べると、この都市は、平成の大合併で誕生…

歩き旅のスケッチ[日光道中]22・・・小山宿から木沢の追分へ

木沢の追分 芭蕉と共に旅をした、弟子の曾良が書き留めた『曾良旅日記』。そこには、間々田(ままだ)以降の行程を、次のように記しています。 「廿九日、辰ノ上尅マゝダヲ出。小山へ一リ半、小山ノヤシキ、右ノ方ニ有。小山ヨリ飯塚へ一リ半。木沢ト云所ヨ…

歩き旅のスケッチ[日光道中]21・・・小山宿へ

小山市(おやまし) 小山市は、栃木県南部の中心地。県内では、第2の人口規模を誇っています。市街地は、首都圏にもほど近く、賑わいの街の様相です。交通の要である小山駅には、JR東北本線の駅とともに、東北新幹線の駅もあり、多くの人が往き交います。 …

歩き旅のスケッチ[日光道中]20・・・間々田宿(中間地点)

日光道中の中間点 日光道中の歩き旅、今回から、後半の行程に入ります。前回のブログで綴ったように、前半は、江戸日本橋から間々田まで、昨年(2022年)の10月に、6日をかけて歩きつないだ旅でした。 今回からの後半は、そのおよそ1月後。昨年の11月…

歩き旅のスケッチ[日光道中]19・・・間々田宿へ

奥の細道2泊目の地 芭蕉と共に旅をした、曾良が綴った『曾良旅日記』。その初めのところには、奥の細道の、2泊目の宿場について、次のように書かれています。 「廿八日、マゝダニ泊ル。カスカベヨリ九里。」 前日に、粕壁宿で宿をとった、奥の細道の第一夜…

歩き旅のスケッチ[日光道中]18・・・古河宿から野木宿へ

下野の国へ 武蔵の国と下総の国を通過した街道は、最後の国、下野(しもつけ)に入ります。下野は、今の栃木県。ここから先は、栃木県の中ほどを宇都宮まで北上し、そこからやや西方向に舵を切り、県北西部の日光へと向かいます。 じわじわと、標高は高まり…

歩き旅のスケッチ[日光道中]17・・・古河宿

古河(こが)の街 街道は、茨城県の西端をかすめるように北上します。ここにあるのが古河の街。茨城県で唯一の、日光道中が通過する街を歩きます。 この辺り、かつては、下総の国でした。下総は、今の千葉県だと思い込んでいましたが、調べると、茨城にもそ…

歩き旅のスケッチ[日光道中]16・・・中田宿から古賀宿へ

古河市と渡良瀬遊水地 街道は、日光道中沿線で、ただ1箇所、茨城県の自治体を通ります。地理的には、埼玉県を過ぎた先は、栃木県に入るのかと思っていましたが、わずかの区間、茨城の古河市(こがし)という街を通るのです。 この位置は、埼玉県と茨城県、そ…

歩き旅のスケッチ[日光道中]15・・・栗橋宿と栗橋関所

利根川の渡し 街道は、栗橋宿のすぐ先で、利根川を渡ります。今は、国道に架かる利根川橋で対岸へと向かうのですが、かつては、舟でこの川を越えました。”房川の渡し”と呼ばれた利根川越しは、栗橋宿と、対岸の中田宿とを往き来する、重要な交通手段だったの…

歩き旅のスケッチ[日光道中]14・・・栗橋宿へ

利根川 悠久の時をかけて流れ下る利根川は、関東平野に、肥沃の土地をもたらしました。日光道中の道筋は、この先、栗橋の宿場に向けて、利根川の右岸に広がる、農地の道を進みます。 坂東太郎の愛称を持つ利根川は、一方では、洪水を引き起こす暴れ川。豊穣…

歩き旅のスケッチ[日光道中]13・・・幸手宿と権現堂

権現堂桜堤 街道は、幸手宿から栗原宿へと向かう途中で、権現堂と呼ばれる地域を通ります。この名の由来は分かりませんが、そこには、権現堂川と呼ばれる川があり、中川と合流する辺りには、見事な堤が残っています。この堤、権現堂桜堤と呼ぶそうで、一面を…

歩き旅のスケッチ[日光道中]12・・・杉戸宿から幸手宿へ

幸手市 杉戸宿に続く宿場は、幸手宿。なかなか、”さって”とは読めないような名前です。今は、他の多くの自治体と同様に、宿場の名前が由来となって、幸手市という名の地方都市に変わっています。 幸手市は、埼玉県の東部に位置し、南側は杉戸町、北と西は久…

歩き旅のスケッチ[日光道中]11・・・杉戸宿へ

杉戸町 春日部市の隣町は、杉戸宿がある杉戸町。街並みは、次第に都市の景色は遠ざかり、静かな、落ち着いた風景に変わります。この町は、南には春日部市、北側は幸手市(さってし)に隣接し、農地なども広がります。 杉戸町の中心地辺りの最寄りの駅は、西…

歩き旅のスケッチ[日光道中]10・・・粕壁宿から杉戸宿へ

曾良旅日記 松尾芭蕉と曾良(そら)が旅した、『おくのほそ道』の本文では、草加に続いて綴られているのは、今の栃木県栃木市にある、室の八島(むろのやしま)と呼ばれる神社。先の草加の宿場から、この室の八島まで、随分と距離が離れています。この間の長…