旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]17・・・古河宿

 古河(こが)の街

 

 街道は、茨城県の西端をかすめるように北上します。ここにあるのが古河の街。茨城県で唯一の、日光道中が通過する街を歩きます。

 この辺り、かつては、下総の国でした。下総は、今の千葉県だと思い込んでいましたが、調べると、茨城にもその領域は及んでいたのです。

 古河市を通る街道は、平坦な街並みを、南から北へと向かいます。それほど人口規模は大きくはないものの、市街地は、そこそこの広がりを呈しています。

 

 

 若い松の並木道

 街道は、JR東北本線を越えた後、広々とした歩道の道を進みます。真っ直ぐに北に向かう直線道路。歩道には、まだ若々しい、松の木が植わっています。

 街道の地図を確認すると、この辺りには、かつて、中田の松原と呼ばれていた、見事な松並木があったとか。植栽されて、それほど年月を経ていない様子の松並木。往時の姿が甦るのは、まだ随分と先になるでしょう。

 

※松の木が植えられた広い歩道を進みます。 

 

 市街地へ

 住宅が連なる区域を通り終えると、次第に、工場が並ぶ地域に入ります。途中には、雑木林も残されて、市街地の郊外のような光景です。

 やがて再び、新しい住宅地。学校や、郊外型の店舗なども混在します。

 

古河市の市街地に近づく街道。

 街道は、次第に、旧市街の街並みに変わります。バス停の表示を見ると、「原町」と書かれています。

 この先で、昭和の雰囲気を感じるような、旧道の道筋となり、その後、区画された新しい市街地の道に入ります。

 

※旧市街地の原町辺り。

 

 古河宿

 旧道は、整備された市街地の主要道路に合流した後、古河駅の方向に向かいます。この合流地点のところには、「日光街道 古河宿」と表示された、常夜灯を模したモニュメントがありました。この辺りから、かつての古河宿が始まっていた様子です。

 

古河駅に向かう主要道路と合流します。

 

 古河宿は、先の宿場の中田宿とは、およそ6キロ離れています。本陣と脇本陣が各1軒、旅籠は31軒ありました。

 この古河の街、日光道中の宿場町であったとともに、古河城の城下町でもありました。街中に設けられたモニュメントの案内表示は、お城に関する史跡の位置も示しています。

 ちなみに、古河城は、旧道と主要道路が合流した地点から、西の方(左奥)へと向かったところ。渡良瀬川の流れの傍に、城郭が築かれていた様子です。

 

古河駅に向かう主要道路。この道筋が古河宿でした。モニュメントは「足利三ケ院栄仙院趾」。

 

 古河城御茶屋口跡

 ところどころに、史跡を記したモニュメントを眺めながら、市街地の道を進みます。美しく整備された歩道の道は、真っ直ぐに、市の中心部へと向かいます。

 しばらくすると、道の向かい(左手)に、趣ある、白壁の建物が見えました。陶器などの、老舗のような佇まい。新しい街中にも、歴史ある建物が残っています。

 目についたのは、その建物の角地に置かれた石柱です。よく見ると、「古河城御茶屋口跡」と彫られています。ここにはかつて茶屋があり、城内への、ひとつの玄関口があったそう。歴代の将軍たち(歴代徳川将軍)が、日光へと向かう時に立ち寄った、重要な城内への入口だったということです。

 

※古河城御茶屋口門跡。

 

 古河城

 宿場町をさらに進むと、今度は、「古河城出城諏訪廓(古河歴史博物館)」の表示です。左手の街中を奥に向かったところには、城郭の跡地に建設された、博物館があるようです。

 また、モニュメントの脇に書かれた「市内に残る古河城の遺構」を読むと、城郭の大半は、渡良瀬川の改修で、その多くは姿を消したということです。

 治水のための河川改修、という側面も、あったのだと思うのですが、私には、足尾銅山鉱毒対策の意味合いが、むしろ強かったのでは、と思えてしまいます。そうであれば、渡良瀬川の遊水地の建設は、谷中村(前回のブログを参照下さい。)だけでなく、貴重な城郭史跡も消し去ったということになり、何か、虚しささえ感じてしまいます。

 

※古河城史跡と博物館を案内するモニュメント。

 

 古河駅

 街道は、その先で、古河駅西口入口の交差点を迎えます。ここを右に折れ、しばらく進むと、JR東北本線古河駅です。

 私たちは、この日はここで歩みを止めて、古河駅の方向へ。駅近くで宿をとり、翌日再び、この交差点から歩きつなぐことになりました。

 

古河駅西口入口交差点。

 

 この日の歩き旅、朝、幸手駅を出発し、栗橋宿、中田宿を経由して古河宿へ。およそ、16キロの道のりでした。

 

 翌日

 翌日の朝、再び、古河駅西口入口の交差点に舞い戻り、歩き旅を続けます。

 この辺り、古河市の中心部の様相で、幾つかのビルやお店が連なります。かつての古河の宿場町も、街並みは、すっかりとその姿を変えていて、往時の面影はありません。

 

※古河の宿場町。今の本町辺り。

 高札場と本陣跡

 それでも、本町の交差点辺りには、史跡を示す石柱や案内板が置かれていて、往時の様子が、わずかながらも伝わります。

 案内板には、

 

 「日光道中の宿場町としての古河宿の中心は、二丁目と呼ばれたこの辺であった。文化四年(1807)の古地図によると、高札場がこの場所にあり、斜め向かい側に本陣と、問屋のうちの一軒があり、またその向かい側に脇本陣が二軒並んで描かれている。」

 

 とされ、この辺りに、宿場町の重要施設が固まっていたことが分かります。

 

※高札場跡の標柱と案内板。

 

 クランクの道

 街道は、この先で、クランク状に2度折れる、宿場町特有の道を迎えます。最初の角には、「左 日光道」を表示した、小さな標柱がありました。

 

※枡形と呼ばれる、クランク状の道の角。

 

 街道は、この位置を左に折れて、少し先で、今度は右の方向へ。クランクの道を進んで、その後、古河の宿場を離れます。