旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]18・・・古河宿から野木宿へ

 下野の国へ

 

 武蔵の国と下総の国を通過した街道は、最後の国、下野(しもつけ)に入ります。下野は、今の栃木県。ここから先は、栃木県の中ほどを宇都宮まで北上し、そこからやや西方向に舵を切り、県北西部の日光へと向かいます。

 じわじわと、標高は高まりますが、道はほとんど平坦です。歩きやすい道中は、思いのほか距離をかせげて、一気に街道の半ば辺りに近づきます。

 

 

 古河宿

 クランク状に折れ曲がる、宿場町特有の道を終えると、真っ直ぐ延びる旧道の街並みが続きます。旧市街地の雰囲気が残る道筋は、お店なども点在し、木造の建物も見られます。

 この辺り、かつてはまだ、宿場町だった様子です。古河宿後半の、落ち着いた街の姿を眺めながら、さらに北へと向かいます。

 

※真っ直ぐ延びる旧道の道筋。

 

 しばらくすると、重厚な歴史ありそうな建物が見えました。2階中央部の意匠を凝らした看板には、「武蔵屋」の表示です。どうもここは、老舗のうなぎの料理店。その立派な佇まいは、街道の空気感を盛り上げます。

 

※武蔵屋

 

 古河提灯竿もみ祭り

 武蔵屋の向かいには、これも歴史ありそうな、立派な石碑が置かれています。そこには、「関東の奇祭 古河提灯竿もみ祭り発祥の地」との記載です。

 どのようなお祭りなのかは分かりませんが、竿に提灯をぶら下げて、もみ合う様子が浮かんできます。

 

※古河提灯竿もみ祭り発祥の地の石碑。

 

 よこまち柳通り

 古河宿をさらに北へと進んで行くと、今度は歩道上に、形のよい石柱です。よく見ると「槙山町通り」と書かれているようにも思えます。文字数が多いため、読み取りにくい内容ですが、かつては、この辺りには旅籠や問屋場があったとか。

 今では、この通りを「よこまち柳通り」と呼び名を変えて、街並みの整備が図られているということです。

 

※文字数の多い標柱。

 県道へ

 旧道をさらに進むと、古河駅の西側を通過していた県道と出合います。この、県道との合流地点が、古河宿の北の端。ここで、宿場町と別れを告げて、次の宿場の野木の町へと向かいます。

 

※宿場町を終え、県道に合流した街道。

 

 野木町

 県道を進んで行くと、旧市街地の街並みから、敷地の広い住宅や事業所などが混在する地域へと変わります。

 茨城県古河市の領域もこの辺りまで。県道の途中から、栃木県野木町に入ります。

 美しく整えられた庭木が植わる住宅を眺めつつ、さらに北へと向かって行くと、左前方に、鳥居と神社の森が見えました。

 森の奥には、野木神社があるようです。野木町の野木神社。由緒ある神社なのだと思います。

 

野木町に入った街道。野木神社の鳥居が見えます。

 

 国道と松並木

 街道は、野木神社を過ぎた後、国道4号線と合流します。この合流地点のところには、「日光道中 野木宿周辺の松並木」と記された、説明板が置かれています。

 内容は、日光の今市宿から古河宿までの松並木の概要です。今歩いている、野木の辺りの並木の様子は、山形藩の家臣が綴った『道中記(1845)』を引用して、次のように書かれています。

 

 「野木では、「此辺は皆松並木で景色がない、・・・それに松なみの間 皆小石を敷いてあるので、足が痛んだが、・・・歩を進め、八ツ半頃であろうか 古河の宿へ着いた」とあり、ずっと松並木が続いていたことがわかる。」

 

※国道との合流点。

 

 野木宿

 今は、幹線の国道が街道を吞み込んでいるために、松の並木は、もうここにはありません。それにも増して、往時の街道の道筋さえも消し去られているのです。

 私たちは、整然と整えられた、国道の歩道に沿って街道歩きを続けます。

 

 しばらくすると、民家のブロック塀のすぐ側に、「野木宿入口」と記された、小さな表示板がありました。申し訳程度の表示板。それでも、かつてはここに、宿場町入口の、木戸があったと書かれています。

 古河宿から、わずかに3キロ。早々と、野木宿に到着です。

 

※野木宿入口を示す表示板と今の街道。

 

 野木宿には、本陣と脇本陣が各1軒、旅籠は25軒ありました。今は、すべてが、国道4号線の沿線で、宿場町の面影はありません。

 おおよそ、真っ直ぐな幅の広い直線道路がどこまでも続いています。

 

※野木宿を通る国道4号線。

 

 一里塚跡

 野木宿の歩道伝いを歩いていると、ところどころに、表示板や宿場町の説明板が置かれています。新しく姿を変えた町であっても、宿場町の証として、伝え残して頂きたいと思います。

 しばらくすると、今度は、一里塚跡の表示板がありました。「江戸より十七里 塚の上には榎が植えてあった」と書かれています。

 

※野木の一里塚跡を示す表示板。

 

 間々田宿(ままだじゅく)へ

 街道は、野木宿を通過して、次の宿場の間々田の町を目指します。

 国道は、上下1車線の道ですが、歩道の幅が広々として、空が大きく開けています。時折、緩やかにカーブを描く道の流れは、昔ながらの街道の跡を辿っているからなのか。ゆったりとした景色の中を、ひたすら北へと向かっています。

 道路沿いには、どこまでも、大きな屋敷が続いていています。その敷地の広さとともに、佇まいの見事さにも感心したものでした。 

 

※野木宿を過ぎ、次の宿場の間々田へと向かいます。