旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]56・・・島田宿から藤枝へ

 駿河の街道

 

 駿河の国の街道を、島田宿、藤枝宿へと向かいます。これらの都市は、静岡県の地方都市。焼津市の北にある、岡部宿の辺りまで、比較的新しい街の景色がつながります。

 駿河の国の中心地、駿府の城下は、岡部宿の先にある、宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)を越えた先。この峠道には、糸魚川静岡構造線と名付けられた、日本を東西に切り分ける、地殻の境界が走ります。

 駿河の道は、しばらくは、潮風を受けることなく、海岸線から距離を開けて進みます。

 

 

 島田宿

 川越遺跡を過ぎた先で、街道は、県道に入ります。この後は、しばらくの間、殺風景な自動車道路。どこにでもあるような、街並みが続きます。

 実は、この辺りが本来の島田宿があった場所。今は、自動車道路に飲み込まれ、往時の姿はありません。由緒ある寺院などが、わずかに歴史の跡を残しています。

 

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大善寺前交差点。左前の角が大善寺

 

 島田宿は、53次の宿場の中で、人口規模ではベスト10に入るような、大きな宿場だった様子です。

 大水で、大井川の川越しが滞ってしまった時に、旅人たちは、島田宿での逗留を余儀なくされることになりました。そのために、人が押し寄せ、宿場の規模が膨らんだのは、必然だったのかも知れません。

 東海道中膝栗毛の”やじさん”と”きたさん”は、大井川の川止めの影響をまともに受けて、島田宿の2つ先(江戸から下ると、2つ手前)、岡部の宿場で足止めを食らいます。やむを得ず、何日か足を休めることになったのですが、この2人の旅では織り込み済み。特に気にすることもなく、休養の時間を過ごすことになったのです。

 

 それでも、時によっては、何日間も先に進めず、人馬の流れが滞ることもあったでしょう。川越しができない旅は、時間的にも金銭的にも、大変な負担とリスクを負うことになったのです。

 こうしたことを踏まえると、厳しい峠道が待ち構えている、中山道のルートの方が、より、負担が少ない旅だったのかも知れません。

 

 島田市の街道を歩いていると、「監物川と監物橋」の案内板が目につきました。大井川から水を引く、灌漑水路のようですが、下に流れる小さな水路がその名残なのでしょう。ところどころに、歴史の跡を残しつつ、街道は続きます。

 

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※監物橋の案内板。

 

 島田の町は、依然として普通の街の風景です。ただ、途中で見かけた、芝居小屋のような建物は、掲げられた看板が印象的で、物珍しい感じを受けました。後で調べてみたところ、「蓬莱座」という、有名な大衆演劇の劇場だということです。

 

 六合

 道は、島田宿から遠ざかり、一路東へと向かいます。この辺り、実は南側には、大井川が東に向かって流れています。大井川の川越しの下流から、川は大きく蛇行して、東に流れ、この先で、再び南下するのです。

 東に流れる大井川。ここに、先の「蓬莱座」と同じ名前の「蓬莱橋」が架かります。木の橋で、それこそ、街道に架けられた橋のような風景は、まさに絵になるところです。

 街道は、JR六合駅(ろくごうえき)の近くを通り、藤枝へと向います。

 

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島田市道悦の交差点。右に向かうと六合駅。実は、東海道は左の旧道が正解です。

 藤枝へ

 県道を東に進むと、やがて、藤枝市の領域に入ります。街道は、すぐに右方向の旧道へ。そこから先は、かつての集落のような住宅地の景色に変わります。

 実は、この旧道も県道です。この県道は、藤枝の街中で、焼津方面に進路を変えるようですが、旧道に入らずに、道なりに左へと進む県道は、真っすぐに、藤枝の宿場へと向かいます。

 

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島田市から藤枝市の領域へ。この先で左手の旧道に入ります。

 

 旧道に入っていくと、道は緩やかに弧を描きます。また、ところどころに松並木の名残の松が姿を止め、街道の面影を伝えます。

 道幅は、それほど広くはないものの、道路整備がされていて、歩道伝いに歩きます。

 

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※松並木の名残。

 

 上青島の一里塚

 街の気配が薄らいで、農地の景色が見られる辺りに、再び松の並木が現れます。松が連なる歩道には、「東海道 上青島一里塚跡」と記載された標石です。正確には、ここから少し右方向になるようですが、そこが本来の一里塚の場所なのだと思います。

 

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※上青島の一里塚を示す石評。

 

 松並木

 この先しばらく、街道は、のどかな農地が眺められる道に入ります。ところどころに、松の並木が点在し、往時の道筋である様子が分かります。

 

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※藤枝の街に近づきます。

 

 藤枝市

 藤枝の街が近づくと、次第に住宅の密度が増して、農地は影を潜めます。街道は、住宅地を進んだ先にある、六地蔵堂の三叉路で、県道と別れを告げて、斜め左方向に向かいます。

 この先は、しばらくの間、昔からの集落のような道筋を進むのですが、私たちのこの日の行程は、ここまでです。

 一旦、JR藤枝駅近郊で宿をとり、翌日再び、藤枝宿、岡部宿を目指します。

 

 藤枝は、藤枝駅周辺と、瀬戸川を挟んだ北東側の区域が市街地の中心です。宿場町は、川を越えた辺りにあって、田中城の城下町は、宿場町の南側。

 かつての藤枝の中心は、この先に広がります。