旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]46・・・見付宿から袋井宿へ

 東海道の真ん中へ

 

 江戸日本橋京都三条大橋を結ぶ東海道。この街道の中間地点は、天竜川の右岸にある、浜松の中野町だと言われています。*1実際に、中野町に掲げられた案内には、東海道中膝栗毛の記載を受けて、「江戸へも60里、京へも60里」のところと記されていて、「東海道のちょうどまん中であることから」中野町との名前が付いたと説明されているのです。

 ところが、東海道の実距離は、およそ492Kmです。先の120里より、20Kmほど長い距離。従って、正確には、中間地点は、別のところにあるような気がします。*2

 一方で、東海道53次の宿場町の順番を見てみると、27番目が真ん中です。見付宿の次の宿場は、27番袋井宿。京からも江戸からも27番目となる宿場町。丁度真ん中にあたる宿場です。

 

 

 見付宿

 磐田市にある、28番見付宿。東に向けて、緩やかに傾斜がついた坂道を上ります。小さなお店が連なって、独特の商店街の雰囲気です。

 ところどころに、かつての宿場の名残を示す標識などが設置され、街がこぞって、宿場町の証を伝えているように感じます。

 街道は、商店街が終わった辺りで、左手の坂道に入ることになりますが、気をつけていなければ、うっかりと道なりに進んで行ってしまいます。道なりの少し先には、常夜灯を模したような、大きな案内看板が設けられ、それにつられてしまうのです。 

 

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※左、見付宿。右、道なり方向が県道への道。写真中央の左の道が東海道

 

 愛宕神社

 街道は、左手の坂道に入ります。その坂の入口は、Y字型の三叉路になっていて、鋭角の内側が、愛宕神社の境内です。坂道は傾斜を増して、愛宕神社を右に見ながら進みます。

 坂道を上った辺りは、富士見町と呼ばれる地域。条件が整えば、富士山が眺められるということです。「見付」という名は、富士山を見付けるところからきたという説もあり、”やじさん・きたさん”の道中記にも、富士山が素晴らしい見付宿に到着したと書かれています。

 

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愛宕神社を右に見た街道。

 

 旧道へ

 富士見の町では、一旦県道に合流し、再び左方向の旧道を進みます。その後、県道に戻った後で、今度は右方向に進路を変えて、行人坂と記された下り坂の旧道に入ります。

 この辺りは、小高い丘のような地形の所で、少しの間、静かな道を歩きます。

 

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※左、富士見の町。右、行人坂の標識。

 街道が坂道を下り終えた辺りには、ちょっとした、住宅地が広がります。道沿いには、松並木の名残もあって、新旧が入り混じるような光景です。この先は、少しの間、住宅地が続いた後で、辺りは、次第に集落の風景に変わります。

 

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※左、行人坂。右、坂を下りきったところには、松並木も確認できます。

 三ケ野七つ道

 この辺りの集落は、磐田市の三ケ野(みかの)と呼ばれるところです。東海道は、集落内で左方向に迂回して、鬱蒼と木々が茂る切通しの道に入ります。

 道の途中のところには、「歴史がうつる三ケ野七つ道」と記された、大きな案内板がありました。ここには、鎌倉期から現代までの7つの道が、この辺りを通っているとの記載です。

 昔から、多くの人がこの地域を往き来した歴史の証が、今も大切に保存されているのです。

 

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※三ケ野の道と、7つ道の案内板。

 私たちは、案内板に従って、江戸の古道と記された、旧道を進みます。竹が覆う山道のような道ですが、実際には、小高い丘陵のような地形です。少しずつ、坂道を下るように、東へと向かいます。

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※江戸の古道。

 

 袋井市

 江戸の古道を抜けた後、街道は、少し殺伐とした景色に変わります。左には、国道1号線や県道が通過して、右側は、農地の合間に、事業所などが点在ます。

 ところどころに見受けられる、松の並木の名残だけが、かすかに街道の面影を映します。

 

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袋井市への道。

 

 街道は、太田川という小さな川を越えた後、袋井市に入ります。この先は、およそ1Kmの間、県道の歩道を歩きます。道沿いに、住宅や事業所などが建ち並ぶ、単調な道中です。

 同じような風景に、少し疲れてきたと思う頃、街道は県道を離れて斜め左の旧道へ。旧道の入り口にある植え込みのところには、「木原」の歴史が記された、案内板がありました。

 そこには、「木原は元亀3(1572)年に武田信玄徳川家康を破った三方ヶ原の戦いの前哨戦の地として知られて」いるとの記載です。

 

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※左、県道と旧道との分岐。右、旧道の入り口にある案内板。

 木原

 旧道は、木原の集落を通ります。途中には、許禰神社(こねじんじゃ)の森が佇み、その先には、木原の一里塚。落ち着いた雰囲気の旧道を、心地よい風を感じて歩きます。

 

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※木原の一里塚跡。

 

 しばらくの間、旧道を歩いた後で、街道は再び県道と合流です。その後、袋井市の川井の交差点で、県道は二手に分かれることになりますが、東海道は、右方向の道へと進みます。

 やがて、袋井の市街地に近づくと、辺りは住宅地の様相です。袋井の西小学校の前を通ると、そこには、「東海道どまん中西小学校」と表示された門柱がありました。

 「どまん中」は、袋井市の代名詞として表現されているのです。

 東海道53次の真ん中の宿場町、袋井宿に到着です。磐田市の見付宿から、およそ6Kmのところです。

 

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袋井市の西小学校。
 

*1:このことに触れた記事は、「歩き旅のスケッチ[東海道]43」を参照下さい。

*2:東海道の沿線には、「ここが本当の中間地点」というような標識は無かったように思います。中山道では、木曽福島宿と宮ノ越宿間に「中山道中間地点の碑」が設けられています。