旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]16・・・中田宿から古賀宿へ

 古河市渡良瀬遊水地

 

 街道は、日光道中沿線で、ただ1箇所、茨城県自治体を通ります。地理的には、埼玉県を過ぎた先は、栃木県に入るのかと思っていましたが、わずかの区間、茨城の古河市(こがし)という街を通るのです。

 この位置は、埼玉県と茨城県、そして、群馬県と栃木県の4つの県が再接近するところ。有名な、渡瀬川(わたらせがわ)の遊水池は、この付近に広がります。かつて、足尾銅山の廃水で汚染された渡瀬川。この水による汚染の広がりを、食い止めるとの名目で設置された遊水地。この予定地から、移転を強いられた、谷中村(やなかむら)を守るため、最後まで抵抗した人のことを、忘れることができません。

 日本における、公害の原点でもある足尾銅山鉱毒事件。代議士でありながら、この問題に真っ向から立ち向かった人の名は、田中正造という方です。

 歴史的な鉱毒事件の顛末を思い起こして、茨城県唯一の日光道中が通る街、古河市の道を歩きます。

 

古河市西町にある田中正造翁遺徳之賛碑。

 

 利根川

 今辿る、利根川までの道筋は、正規の街道ではありません。堤防工事の影響で、遠回りを余儀なくされて、北側から、国道の利根川橋に向かいます。

 本来の街道筋は、利根川橋の付け根辺りで堤を越え、水辺へと下り立ちます。そしてそこから、房川の渡しによって対岸へ。舟で川を越えたのです。

 私たちは、渡しの近くを通過する、国道の橋を越え、対岸に渡ります。

 

※堤を遠回りする道筋。前方に国道の利根川橋が見えます。

 

 利根川は、ゆったりとした流れをつくり、関東平野の北部地域を東進します。冒頭で少し触れた渡良瀬川は、この橋のすぐ上流で、利根川に注いでいます。渡良瀬川遊水地は、その少し上の位置。流水量が調節されて、利根川へと至ります。

 

利根川右岸。この辺りに房川の渡しはありました。

 

 古河市

 街道は、利根川の中央辺りで茨城県に入ります。日光街道が通過する、唯一の茨城の都市、古河市の標識も見えました。

 

茨城県古河市へ。

 

 房川の渡し

 利根川橋を越えた後、街道は、国道と別れを告げて、左手の堤下の方向へ。この下り道、少し先で右方向に大きく曲がり、その先は、国道とほぼ並行する格好で古河市の中心部へと近づきます。

 

※堤下に向かう道。

 

 道が、右方向に屈曲するところには、黒塗りの新しい案内板がありました。表題は、「房川渡と中田御関所跡」。そして、”房川渡”のところには、「ほうせんのわたし」と「ほうかわのわたし」の2つのルビがふられています。

 なるほど、”ふさかわ”ではなく、”ほうかわ”なのかと、初めて知ることになりました。それはともかく、この説明板の内容は、大変興味深いもの。少し、紹介しておきたいと思います。

 

※道端に置かれた渡しの説明板。

 

 「江戸幕府は、江戸を防御する軍事上の理由から、大河川には橋をかけることを許さず、また、交通上の要地には関所を設けていた。当地は日光道中の重要地点で、街道中唯一の関所と渡船場の両方があったところである。」

 「利根川のうち、当地と対岸の栗橋の間の渡れの部分を『房川』とよび、渡船場を房川渡、関所を房川渡中田御関所といった。やがて、関所は対岸の栗橋川の水辺に移されたので、普通には『栗橋の関所』の名で知られていた。」

 

 中田宿

 街道は、大きく右に進路を変えて、その先は、真っ直ぐに北東に向けて進みます。しばらくすると、利根川堤の交差点。そして、この辺りが、中田の町の中心部になるようです。

 

利根川堤交差点。

 交差点を越えたところには、地域の会館です。そして、その敷地の一角に、中田宿の説明板がありました。利根川を越えた辺りから、確かに、中田宿であったはず。宿場の跡は見られませんが、そんな思いでいたのです。

 ところが、説明書きを読んでみて、思い違いであったことを知ることになりました。

 

※会館の一角に置かれた説明板。

 

 説明書きの一部について、ここで紹介したいと思います。

 

 「江戸時代の中田宿は、現在の利根川橋の下、利根川に面して、現在は河川敷となってしまっている場所にあった。再三の移転を経て、現在のような中田町の町並みとなったのは、大正時代から昭和時代にかけての利根川の改修工事によってである。」

 

 なるほど。と、いうことは、今の中田の町筋は新しい町であり、江戸期には、利根川の河川に沿って、宿場町が築かれていたということです。

 従って、中田の街道筋に宿場町の面影があるはずはありません。本陣、脇本陣が各1軒、旅籠の数が6軒という、小さな宿場町は、すべて、姿を消し去っていたのです。

 

 それでも、ところどころに設置された、街道の名残りを示すモニュメントを確認しながら、次の宿場の古賀宿を目指します。

 

※中田の町筋。

 

 古河宿へ

 中田の町の中心部から、真っ直ぐ延びる街道を進んで行くと、やがて、JR東北本線の踏切を迎えます。

 この踏切の付近では、街道は、やや左方向に屈曲し、その後は、ほぼ北の方角に進みます。

 

JR東北本線日光街道踏切。

 

 真北に向かう街道は、松の木が植えられた、幅広い歩道に沿った道。町並も、比較的新しい雰囲気が漂います。

 古河宿がある、古河の街の中心地は、まだもう少し先の方。延々と続く道筋を黙々と歩きます。

 

※古河宿へと向かう街道。