旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]14・・・栗橋宿へ

 利根川

 

 悠久の時をかけて流れ下る利根川は、関東平野に、肥沃の土地をもたらしました。日光道中の道筋は、この先、栗橋の宿場に向けて、利根川の右岸に広がる、農地の道を進みます。

 坂東太郎の愛称を持つ利根川は、一方では、洪水を引き起こす暴れ川。豊穣の土地が作られた背景には、自然の脅威があったことも忘れてはいけません。

 街道は、栗橋の宿場の先で、この利根川を渡ります。そして、その先は、下総の国。茨城県でただひとつ、日光道中が通過する、古河市(こがし)へと進みます。

 

 

 中川

 権現堂桜堤を右に見ながら進んでいくと、やがて、中川の堤に近づきます。桜並木はこの辺りまで。中川の上流には、もう、堤の並木はありません。

 街道は、緩やかに、堤に向かって上ります。この道は、古河市に向かう幹線道路の、国道4号線。トラックなど、多くの車が往き交います。

 

※中川の堤防に近づく街道。

 

 中川の堤防を上り切った辺りには、東京から50キロの標識がありました。この国道、ここから先で利根川を越え、茨城県古河市へと向かいます。

 

※中川の堤防辺り。

 

 川筋

 ここで少し、この付近の川筋を整理しておきたいと思います。これまで、この地で触れてきた川の名は、利根川権現堂川、そして、これから渡る中川です。

 これらの川の流れは、やや複雑な状況で、説明が必要です。まず、利根川は、誰もが知る大河川。日光道中の東奥を南東に向かって流れています。一方で、中川は、利根川の少し西。利根川と並行した川筋をつくっています。

 そして、この2つの河川をつなぐような格好で、挟まれているのが、権現堂川の流れです。この権現堂川、街道が中川を越える橋の少し手前(最初の写真の右端より少し右側)で、中川と合流します。そして、上流は、この先の栗橋の宿場辺りで、利根川に最接近するのです。

 おそらく、江戸以前には、利根川の本流が権現堂川に流れ込み、中川へとつながっていたのかも知れません。よく耳にする、江戸幕府の河川整備で、川筋は変化してきたのでしょう。

 

 街道は、中川の橋を越え、この先しばらく、農地が広がる、のどかな道を進みます。

 

※中川を渡る街道。

 

 久喜市

 中川の橋を越えた街道は、左岸堤を左に向かい、その先で右折して静かな集落の中に入ります。

 道筋は、真っ直ぐ延びる直線道路。それでも、この道は旧道の雰囲気です。

 

※中川を渡った後は、集落の道に入ります。

 この先しばらくは、農村のような集落内を進みます。まだ、この位置は幸手市ですが、このすぐ先で、久喜市の領域に入ります。

 

※農村の集落を通過する街道。

 

 道標

 集落内の街道を通り過ぎた辺りには、旧道が二手に分かれる、分岐点がありました。その角地には、古そうな道標と案内板が置かれています。

 案内板の標題は、「日光街道道しるべ」。中を読むと、石造りの道標は、安永四年(1775)に建てられたとの説明です。さらに、この道標、右方向が”つくば道”、左が”日光道”と書かれているということで、かつては、ここを右に向かうと、筑波の方に向かうことができたのです。

 

※筑波に向かった道との追分。

 

 私たちは、この分岐点を左側の方向へ。街道は、この先で、国道4号線の歩道へと姿を変えて、少しの間、国道脇を北上します。

 市域も、幸手市から久喜市に変わり、栗橋に近づきます。

 

※国道の歩道へと姿を変える街道。

 

 堤下

 国道は、利根川と中川とを結んでいる、権現堂川の右岸堤に沿った道。街道は、歩道から、堤下の旧道に入りこみ、一段低い、荒れ地のような道筋に変わります。

 

※国道下の一段低いところを通る街道。

 

 国道の下に延びる街道は、まさに、堤防下の道路です。左には、民家や農地が連なります。

 

※民家も見掛けますが、その左には農地が広がります。

 

 小右衛門の一里塚

 やがて、街道沿いに建てられた、お寺の前を通り過ぎると、すぐ先に、小さな祠と案内板がありました。

 この案内板、「久喜市指定文化財(史跡)一里塚」と書かれています。ここが、小右衛門(こえもん)の一里塚があった場所。説明書きには、「現在、塚の上には、昭和初期に付近から移築されたという弁財天堂が建てられている。」と書かれています。まさに、祠のところが、一里塚の名残りの跡ということです。

 

※小右衛門の一里塚跡。

 南栗橋

 街道は、一里塚を過ぎた後、国道と権現堂川を横断する、ひとつの道路の陸橋下を通ります。右上の国道に立てられた標識は、左先に、南栗橋駅があることを示しています。

 

南栗橋駅とつながる道路の陸橋下を潜ります。

 

 街道は、相変らず、国道下の側道のような道筋を進みます。ところどころに農家も見られ、見通しは、それほど良い場所ではありません。

 先を見ると、高架橋。桁のところに、「東北新幹線」と書かれています。こんなところで新幹線と出合うとは、思いもよらないことでした。

 

※国道堤と農家に挟まれて進む街道。高架橋は東北新幹線

 

 国道へ

 やがて街道は、緩やかな坂道となり、国道へと入ります。ただ、国道に沿って歩くのは、ほんの一瞬だけのこと。その先で、再び旧道に向かいます。

 

※一段下の側道は、国道へと導かれます。

 

 シアター栗橋

 国道に出たところにあったのは、派手な装いの芝居小屋。看板は、「ライブ シアター栗橋」の表示です。三角地の駐車場の直ぐ奥には、幾つもの花輪がかかる建物があり、ここで、ライブの芝居が上演されているようです。

 それほど人口密度がない場所の、芝居小屋の存在は、失礼ながら、どこか不似合いな印象を抱いたものでした。それでも、この小屋の常連客は少なくはないのでしょう。駐車場の車の数が、そのことを物語っているようにも思えます。

 

 街道は、この三角地を左側の方向へ。再び、旧道に入ります。

 

※芝居小屋と、左に向かう旧道の街道。