旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]13・・・台ケ原宿から韮崎へ

 街道ルート

 

 台ヶ原から韮崎(にらさき)に至る街道は、相変わらず、富士川の上流部である、釜無川に沿った道。古くから、暴れ川との異名で知られる、荒々しい河川伝いに、南東へと下ります。この川は、今も、山形の最上川、熊本の球磨川と並び称される、日本三急流のひとつです。一度、大水が出た時は、それこそ危険な存在になるのだと思います。

 釜無川は、これまでも、度々河川が氾濫し、川沿いの地域には、頻繁に洪水が襲ってきたということです。そのために、街道ルートは寸断され、時には、付け替えも行われてきたのだと思います。特に、韮崎に向かう後半の道筋は、私が頼る2つの資料で、そのルートが大きく異なります。できるだけ忠実に、街道を辿ってはいるものの、この間は、素直に、分かりやすい道を進みます。

 

 

 台ケ原宿本陣

 七賢の醸造元を後にして、台ケ原の宿場町の後半に向かいます。しばらくすると、左には、大きな常夜燈。そして、その奥に、台ケ原の本陣跡がありました。

 本陣跡は、今は立派な住宅が建っていて、往時の姿はありません。住宅の塀の上に掲げられた案内板には、かつては、書院造の立派な建物があったということです。(敷地は351坪、建坪は92坪)

 

※常夜燈と本陣跡。

 本陣跡の交差点を過ぎた先は、少し寂しい感じの家並みです。一部が壊れた蔵の姿や、波打つ瓦の塀などを見ていると、時の流れを感じます。

 

※台ケ原宿の南の区域。

 

 一区切り

 私たちの街道歩きは、この日はここで終了です。甲州道中の歩き旅。3日目は、信州の富士見駅からから始まって、この台ケ原の宿場まで、およそ16Kmの行程でした。この日は、台ケ原から、バスを使って韮崎へ。そこで宿をとり、翌日再び、この位置に戻ります。

 

 再開

 信州の下諏訪宿から歩き始めた、甲州道中の歩き旅。今回は、4日間の日程で、韮崎を目指します。この日は、昨日歩き終えた台ケ原宿のはずれから、目的地の韮崎へ。最終日の行程です。

 

 台ケ原下のバス停留所のほど近く、国道20号線から斜め右に向かう旧道の入口が、この日の街道歩きの起点です。

 旧道と国道との分岐点には、古道入口の表示石。緩やかに弧を描く、古道の道筋を辿ります。

 

※台ケ原下にある、表示石と街道。

 尾白川

 旧道は、しばらくすると、尾白川の堤防に行き着きます。その先は、自然の堤防道。元々、こんなところに、街道が通っていたのか、不思議な思いで歩きます。

 

※尾白川と河川の左岸の甲州道中。

 

 堤防道は、数百メートル続きます。右には、尾白川の流れを見つつ、左には、一段上がったところから、農地が広がる道筋です。この尾白川、この先で、街道が国道と交わる辺りで、本流の釜無川に合流します。

 

※左、尾白川沿いの街道。右、国道との合流地点。

 

 武川町(むかわちょう)

 尾白川の堤防道をしばらく歩くと、やがて、国道と合流です。その先は、尾白川に架けられた、国道の橋を渡ります。ただ、国道を歩くのは、橋を渡る目的だけ。その後すぐに、左方向の旧道に入ります。

 橋を渡った辺りから、北杜市武川町*1。三吹(みふき)と呼ばれる地域です。舗装された旧道は、静かに集落へと近づきます。

 

※旧道の入り口辺り。

 

 集落に向かう途中には、わずかながらの桜の並木。そこには、釜無川の堤防を利用した、くつろぎの場がありました。

 よく見ると、桜の木のすぐ側に、一里塚跡を表示した、小さな石柱が置かれています。ここは、三吹の一里塚があった場所。この先で、三吹の集落に入ります。
 

釜無川右岸の小公園と三吹の一里塚跡。

 三吹

 街道は、やがて、三吹の集落へ。整然と並ぶ民家には、植え込みの木が美しく、道行く人の目を引き付けます。

 しばらくの間、集落を歩いた先で、再度国道と合流です。合流地点は、上三吹の交差点。この先は、国道を横断し、下三吹の集落へと向かう道と、国道をそのまま下る道の2つのルートに分かれます。私たちは、「ちゃんと歩ける甲州街道」の資料に従って、素直に、国道の道を進みます。

 

※三吹の集落内を進む街道。

 国道

 国道に入った街道は、単調な道筋です。左右に迫る山並みも、次第にその幅が広がって、甲府盆地へと近づきます。

 およそ1Km歩いたところが、舞鶴松入口の交差点。この先に、釜無川の支流があるのか、道は堤防への緩やかな上り坂に変わります。

 

舞鶴松入口の交差点。

 大武川(おおむかわ)

 街道は、釜無川の支流のひとつ、大武川を迎えます。この川も、真っ白な岩や小石の河原が印象的。正面には、この川の源流なのか、甲斐駒ヶ岳の雄姿が望めます。

 

※大武川の河原と甲斐駒ヶ岳

 

 大武川を渡った先で、街道は、一旦、左手の旧道へ。そして、再び、北杜市武川町牧原で、国道と接触します。

 この地点には、国道を横断する歩道橋が設置され、標識は、韮崎まで、11Kmの距離を示しています。

 

※牧原の国道に架かる歩道橋。

 集落の道

 歩道橋を潜った先で、街道は、再度左方向へ。この辺り、弓なりの旧道が、国道と接触し、また、次の弓なりの旧道に戻るという道筋です。

 

※左、国道から牧原の集落に入る街道。右、一旦国道と接した後、再び次の集落へと向かいます。

 

 小武川

 幾つかの集落を抜け、国道に戻った街道は、今度は、小武川(こむかわ)を迎えます。

 これまで綴ってきたように、この辺りのおよその地形は、釜無川の流れに沿って拓かれた、谷あいの平地や小高い丘が、少しずつ広がっていくという形態です。そして、本流の釜無川には、左右から、幾本もの支流が合流しているのです。

 街道は、左に本流の流れを見ながら、右から注ぐ支流の川を、一つずつ越えていくという状況です。

 

※小武川橋。

 

 韮崎へ

 国道20号線に架けられた、小武川橋を渡った先で、街道は、韮崎市に入ります。韮崎は、あまり聞きなれない地名ではありますが、高校サッカーの強豪校、韮崎高校の名前を聞けば、頷かれる方も多いでしょう。

 甲斐の国の武将であった、武田氏とも所縁のある、韮崎の街道を進みます。

 

※韮崎に入った街道。

 

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*1:平成の合併までは、武川村でした。