笛吹川は、甲府盆地の北東地域を流れ下って、盆地の南部を西進し、釜無川に合流します。合流地点のその先は、富士川と名前を変えて、身延の谷間を縫いながら、駿河湾へと向かうのです。笛吹川は、幾筋もの流れを作る甲斐の国の河川の中でも、有数の規模を誇っています。
前回のブログに記した、笛吹権三郎のお話は、笛吹川の洪水で、母を亡くした少年の物語。篠笛を吹きながら、母を探しているうちに、自らも命を絶たれてしまいます。ところが、少年が逝った後にも、その笛の音は夜ごと河川に響くのです。
笛吹川とは、少年の、笛の音が響く川。荒れ狂う川であっても、平時には、笛の音も聞こえるような、優しいせせらぎの音色が流れています。
笛吹川に沿った道
笛吹川の右岸に連なる、松並木の細道を辿った後で、街道は、堤を上り、右岸堤防へと出て行きます。
堤防からは、甲州の山並みと裾野に広がる、果樹の畑が望めます。目前には、静かに流れる笛吹川。落ち着いた、空気の中で、心地よく歩き旅を続けます。
※笛吹川の右岸堤防に出たところの街道。
街道は、笛吹川の右岸道路をしばらく進み、すぐ先で、上流に架けられた笛吹橋を渡ります。この川は、この辺りでも、結構な川幅を保っていて、甲府盆地の主要な流れであることが分かります。
橋の上から先を望むと、山並みが連なる合間に、白く輝く富士山の姿が見えました。
※笛吹橋。
笛吹川左岸
笛吹橋を渡った後は、すぐに左の方向へ。笛吹川の左岸に沿って、上流へと向かいます。
この辺り、住宅などの建物はまばらです。河川敷や堤防沿いには、木々の密度が増していき、新鮮な自然の景色が広がります。
※笛吹川左岸堤防を上流へと向かいます。
旧道へ
笛吹川の左岸の道を、数百メートル進んだ先で、道は二手に分かれます。これまでの主要道路は、右方向に迂回して、直進する堤防道は、幅を狭めて続きます。
街道は、そのまま真っ直ぐ旧道へ。まだしばらく、川に沿って進みます。
※旧道との分岐点。左に真っすぐ進む道が街道です。
一宮の集落
笛吹川は、枝分かれした旧道を、わずかに進んだその先で、右から流れる一つの支流を受け入れます。街道は、ここで、日川と呼ばれる支流に沿って、右側の方向へ。ここから先は、笛吹川と別れを告げて、日川の流れに逆らうように、上流へと向かいます。
日川沿いの最初の地域は、一宮の南田中と呼ばれるところ。この辺り、河川敷が、そのまま集落に取り込まれたような地形です。集落内に進んで行くと、時代を重ねた民家なども見られます。古くからの集落が、そのまま残っているようなところです。
※南田中の集落の入り口辺り。
日川橋
街道は、南田中の集落を抜けた後、左に折れて、日川に架かる日川橋を渡ります。日川は、笛吹川のひとつの支流ではありますが、そこそこの規模を誇っています。
この先、笹子峠のほど近く、甲斐大和あたりまで、甲州道中の道筋は、日川と共に進みます。
※日川橋。
国道411号線
日川橋を通過して、栗原へと向かう道は、国道411号線。先に渡った笛吹橋と、同じ国道の先線です。
この先しばらく、街道は、この国道伝いに、東へと向かいます。
現在の、甲州街道と呼ばれる主要道路は、国道20号線です。この道は、この辺りでは、街道から、数キロ南を通っています。街道が、勝沼の宿場を越えて、谷あいの道に入ったところで、この2つの道は合流し、国道20号線に収れんされることになるのです。
街道の道沿いには、ところどころに、ブドウ畑や、ブドウ園などが見られます。その他は、どこにでもあるような、旧国道の道筋です。狭い歩道を辿りながら、栗原の宿場町を目指します。
※国道411号線を東へと進みます。
栗原宿
街道は、やがて、栗原の町中へ。下栗原の交差点で、少しだけ、右方向の旧道へと迂回して、再び国道に戻ります。
この、国道に戻った辺りが、栗原の宿場です。今は、宿場町の痕跡は、全くと言ってよいほどに、見かけることはできません。わずかに、道端に静かに置かれた標識だけが、宿場の証を伝えています。
※現在の栗原の宿場町。
栗原宿は、前の宿場の石和から、およそ7Kmのところです。かつては、本陣、脇本陣、問屋が各1軒、旅籠の数は20軒。概ね、これまでの宿場の規模と同様の大きさだった様子です。
街道は、この先で、緩やかに弧を描きながら続きます。次第に、ブドウ園の数も増え、空は大きく広がります。
途中には、「栗原宿千歳屋」と刻まれた、新しい石標がありました。旅籠があった跡なのか、わずかながらも、今に伝わる、宿場町の名残の一つと言えるでしょう。
※左、ブドウ園が点在する栗原宿を通る街道。右、千歳屋の石標。
街道は、じわりじわりと勾配を増し、山裾の地域へと向かいます。正面に甲府盆地の東縁の、山の峰が迫ってくると、山梨市に別れを告げて、甲州市に入ります。
※甲州市に入る街道。
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