旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]15・・・韮崎宿

 韮崎と富士山

 

 中央自動車道路を利用して、諏訪方面から、上り車線を走っていると、天気が良ければ、富士山が正面に現れます。道路は、長々とした下り坂。山梨県の長坂の辺りから、次第にその姿は、大きくなって迫ってきます。特に、韮崎のインターチェンジの辺りから、捉えられる富士山は、見事と言うほかありません。

 一方で、甲州道中を歩いていると、信州の富士見町で確認できた富士山ですが、その後は、山並みに遮られ、その姿を見ることはできません。そして、ようやく、姿を現す場所が、韮崎の市街地です。日暮れ時の富士山は、西日を浴びて、オレンジ色に輝きます。

 見る方向、見る時間、見る季節などにより、富士山の表情は、変幻自在に変わります。そんな姿を楽しむことも、街道歩きの醍醐味のひとつです。

 

※韮崎インターチェンジ辺りから望む富士山。

 

甲州道中沿いの建物から望む富士山。

 

 十六石

 旧道から、国道に入った街道は、交通量が頻繁な市街地近くの幹線道路の様相です。街は次第に、韮崎の中心地に近づくような雰囲気に変わります。

 しばらく歩くと、左手に、「十六石」と刻まれた、小さな標柱がありました。道端の水路脇に、ひっそりと置かれたその標柱。傍にあった説明板には、次のように書かれています。

 

 「武田信玄公が千須に力を入れたのは有名だが、まだ晴信といわれた天文十二・三年頃年々荒れる釜無川の水害から河原部村(元韮崎町)を守るため、今の一ツ谷に治水工事を行った。その堤防の根固めに並べ据えた巨大な石が十六石で、その後徳川時代になって今の上宿から下宿まで人家が次第に集まり韮崎は宿場町として栄えるようになったと言われている。」 

 

※左、十六石の石柱が置かれている辺りの街道(国道20号線)。右、十六石の石柱と解説板。

 

 宿場町へ

 街道は、十六石の少し先で、一ツ谷の交差点を迎えます。この交差点、変則的な4叉路で、国道20号線が直進する中、直角に左折する方向と、斜め左に向かう道に分かれます。

 

※一ツ谷の交差点。

 

 街道は、斜め左の方向へ。その先は、少し閑静な住宅地に変わります。街道の左には、韮崎市の真ん中を分けている、高台が近づきます。

 

※宿場に近づく街道。

 

 やがて、韮崎市役所のバス停と、市役所東の交差点。いよいよ、街道は、韮崎の中心地、かつての宿場町に入ります。

 

※左、韮崎市役所のバス停。右、市役所東の交差点。

 行程の区切り

 この日は、台ケ原の宿場近くのバス停から、歩き始めた街道歩き。韮崎宿の入口の辺りまで、およそ、16Kmの道のりでした。

 甲州道中の西の起点、下諏訪宿をスタートし、4日をかけて韮崎に到着です。初回の甲州道中の行程は、ひとまずここで終了です。次回は、少し時間を開けて、街道歩きをつなげます。

 

 

 2回目の行程へ

 次に、この地を訪れたのは、およそ1か月後のことでした。昨年(2021年)4月の後半に、甲州道中2回目の、歩き旅の行程を刻むことになりました。

 今回は、韮崎から、甲斐の国の東部の町、大月を目指す旅。甲府盆地を横切って、笹子峠の険しい道に挑みます。

 

 韮崎宿

 前回の歩き旅を終えた場所、韮崎駅から少し南に下ったところの、本町第二交差点から街道歩きを始めます。ここは、韮崎の商店街とも言える場所。かつては、韮崎の宿場町の中心地だったところです。

 

※本町第二交差点から東に向かいます。

 韮崎宿の街道沿いは、新しく整備された街並みが続きます。建物や構造物など、どれをとっても新しく、往時の面影はありません。

 しばらく歩くと、道端に、「馬つなぎ石」と表示された小さな石がありました。この石は、馬の手綱をつないでおくための石だそう。わずかな、宿場町の名残です。

 

※馬つなぎ石。

 

 本陣跡など

 次に現れたのは、本陣跡の石柱です。この石柱の側面には、大名の通過はあったものの、日程の関係上、宿泊することは少なかった、と書かれています。そのために、この本陣は、馬や荷物の引継所である、問屋が兼務していたということです。

 

※本陣跡の石柱と現在の韮崎宿の様子。

 

 韮崎宿は、周囲を山に囲まれた、甲府盆地の宿場です。それでも、各方面に向かう道は、往時から、幾つか整備されていたようです。

 中でも、信州の佐久へと向かう道中は、『人力』のサイトでは、「佐久甲州街道」として整理されている古道です。この道は、中山道の宿場町、岩村田へとつながります。また、韮崎から、真っ直ぐに南に下ると、富士川の谷間を辿る身延道(みのぶみち)。最終は、東海道の海沿いの、興津宿に至ります。

 ある意味で、交通の要衝地でもあった韮崎宿。1軒の本陣と問屋の他に、17軒の旅籠を擁した宿場町だったということです。

 

 しばらく、新しく整備された宿場の町を歩いていると、右前方に、立派な寺院の山門が見えました。このお寺は、日蓮宗の大蓮寺。先ほど記した身延道には、日蓮宗大本山身延山久遠寺(くおんじ)が構えています。

 甲斐の国は、日蓮宗の本場とも言える土地。往時から、旅人や多くの人の参拝で、賑わっていたのでしょう。

 

※大蓮寺の門前。

 

 甲府

 宿場町は、この先で、下宿の交差点を迎えます。ここは、5叉路の交差点。街道は、直進する県道です。

 街道は、この先で、韮崎宿を後にして、甲府へと向かいます。道沿いは、次第に郊外の様相に。左から、JR中央本線の鉄道の軌道が迫ってきます。

 

※韮崎宿を後にした街道。中央本線が沿うように延びています。

 

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