旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]13・・・幸手宿と権現堂

 権現堂桜堤

 

 街道は幸手宿から栗原宿へと向かう途中で、権現堂と呼ばれる地域を通ります。この名の由来は分かりませんが、そこには、権現堂川と呼ばれる川があり、中川と合流する辺りには、見事な堤が残っています。この堤、権現堂桜堤と呼ぶそうで、一面を桜の木々が覆っています。

 私たちが通った時は、秋の季節であったため、花はもちろん見られません。それでもなお、圧倒されるような桜並木の景観に、驚きを覚えたものでした。桜の花が咲き誇る期間には、さぞかし、たくさんの花見客が押し寄せることでしょう。

 

 

 幸手の街へ

 首都圏中央高速自動車道路の高架下を潜った先で、街道は、幸手市の住宅地に入ります。道は、新しい住宅の中をすり抜けて、次第に、市の中心部に迫ります。

 

幸手市の住宅地を通る街道。

 

 やがて街道は、県道に突き当たり、その先は、県道の道筋を幸手市の中心地に向けて進みます。

 後で分かったことですが、この県道、日光御成道(にっこうおなりみち)と呼ばれていた街道です。日光へと向かう道の脇街道の位置づけで、本郷(東大の赤門近くの本郷追分で、中山道日光御成道が分かれます。)から、ここ幸手まで、西回りで結ばれていたのです。 

 

※県道と合流した街道。

 

 幸手宿

 日光御成道と合流した街道は、東武日光線の踏切を越え、しばらくして、倉松川に架けられた志手橋を渡ります。辺りは街の中心地の様相で、マンションなどの建物も見られます。

 かつての幸手の宿場町は、この辺りから始まっていたのでしょう。ただ、今は、往時の町の面影は、見ることはできません。

 先の宿場の粕壁宿から、およそ7キロのところです。

 

※倉松川を渡ると幸手宿に入ります。

 

 幸手宿には、かつて、本陣が1軒設けられ、旅籠は27軒あったということです。日光道中6番目の宿場町。規模的には、それほど大きくはありません。

 

 幸手駅

 宿場町をしばらく歩くと、幸手駅を案内した道路標識がありました。この角を左に向かうと、東部日光線幸手駅。私たちの街道歩きは、この日はここで終了し、幸手駅から宿泊地へと向かいます。

 

幸手の宿場町の様子。左に向かうと幸手駅

 

 幸手駅へと向かう道は美しく整備され、街並みも新しく、清潔感が漂います。

 この、駅前通りは、もちろん街道ではありません。それでも、「日光道中幸手宿」と記されたバナーが掲げられ、この街が宿場町であったことをアピールされているようです。

 そんな、駅前の風景を、ご覧いただければと思います。

 

幸手駅前の様子。

 

 翌朝

 翌朝は、幸手駅に舞い戻り、美しい駅前通りを歩いた先で、かつての宿場町に入ります。

 幸手の宿場町の道筋を、北に向かって歩いて行くと、「日光街道幸手宿」と記された、大きな古地図がありました。この古地図、幸手宿の見どころなども記載され、宿場を偲ぶ街歩きには、格好の資料です。

 往時の町の様子を思い描いて、さらに北へと進みます。 

 

問屋場跡に設置された幸手宿の案内板。

 

 宿場町の様子

 かつての宿場町には、ところどころに、木造の古そうな建物や、由緒ある、お店なども見られます。ただ、全体として、街並みは大きく変わり、宿場町の面影はありません。

 

幸手宿の様子。

 

 私たちは、朝の光を浴びながら、さらに北へと向かいます。

 

幸手宿をさらに北へと向かいます。

 街道は、やがて、クランク状に折れ曲がる、宿場町独特の道筋を迎えます。おそらく、宿場町はこの辺りまで。ここで、幸手の宿場とお別れです。

 

幸手宿の北の端。

 一里塚

 街道が右方向に折れ曲がったところには、「幸手一里塚跡」と刻まれた、新しい石碑がありました。日本橋から12里目の一里塚とのことであり、説明板には、「幸手の一里塚は、明治の初めまで通りの両側にありました」との記述です。

 古地図にも、2つの塚が描かれていて、確かにここが、その位置だと分かります。

 

幸手の一里塚跡。

 

 権現堂へ

 街道は、一里塚のすぐ先で、今度は左に曲がります。街並みは、次第に郊外の様相へと姿を変えて、道沿いは静かな住宅地が続きます。

 

※クランク状に折れ曲がる街道の2つ目の角地。

 

 街道は、真っ直ぐ延びる直線道路を北に向かって進みます。比較的新しい住宅が軒を連ねる道筋は、どこにでもありそうな街並みです。

 

※住宅地の中を真っ直ぐ北に向かいます。

 

 内国府間(うちごうま)

 街道は、住宅地を過ぎた先で、国道4号線に入ります。この合流地点は、内国府間と呼ばれる交差点。中々読みづらい名称ですが、この辺りの地域の名前が付けられている様子です。

 地理的には、内国府間の東の地域が権現堂と呼ばれるところ。何れの地名も、どこか厳格な響きを感じます。

 

※国道4号線と合流する内国府間交差点。

 

 権現堂桜堤へ

 国道と合流した街道は、事業所などの敷地が連なる道筋を進みます。近隣施設の標識は、右側に桜堤と菜の花畑、前方に権現堂公園があることを示しています。

 

※国道4号線を進む街道。

 

 桜堤

 街道は、やがて、権現堂桜堤交差点を迎えます。この位置から右方向を見てみると、立派な堤の一面を、桜の木々が覆っているのが分かります。

 国道から眺めても、圧倒的な桜の堤は感動的で、見事という他ありません。さぞかし、桜の花が咲き誇る季節には、さらに素晴らしい景観を目にすることができるでしょう。

 いつの日か、そんな景色が見られることを願いつつ、次の宿場の、栗原宿へと向かいます。

 

※権現堂桜堤を見ながら北上する街道(国道4号線)。