旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]8・・・越ケ谷宿へ

 越谷市

 

 草加市を過ぎた街道は、越谷市に入ります。越ヶ谷の宿場がある、越谷市*1。この都市の名前だけは、聞いたことはあったのですが、関西人の私にとっては、ほとんど知らない街でした。

 それでも、今回の歩き旅、前半の宿泊拠点は、越谷と決めました。東京にもほど近く、北は、春日部や幸手などとも東武線で結ばれていて、大変便利なところです。

 駅近くにある、街道の沿線に宿をとり、日光道中前半の数日間を歩きます。

 

 

 蒲生大橋

 草加市綾瀬川の堤防道は、桜並木が無くなる一方、懐かしい、落ち着いた雰囲気の景観に変わります。

 前方に見える橋は、蒲生(がもう)大橋と呼ばれています。この橋を渡った先が越谷市草加市の隣街に入ります。

 

綾瀬川と蒲生大橋。

 

 蒲生大橋に近づくと、橋のたもとに、常夜灯のモニュメントが見えました。今風のデザインですが、綾瀬川の川筋に溶け込んで、違和感はありません。

 歴史の道に似つかわしい景観を楽しみながら、綾瀬川を渡ります。

 

※蒲生大橋。

 

 蒲生の一里塚

 蒲生大橋を渡り終えると、そこはもう、越谷市。右奥に、樹木が茂った一角と、案内板が見えました。近づくと、「蒲生の一里塚」の表示です。

 日本橋から、5里目となるこの一里塚、説明書きには、「埼玉県内日光街道筋に現存する唯一の一里塚である」と書かれています。埼玉県の街道の沿線は、開発が進む中、一里塚など街道の貴重な史跡は、その多くが失われているのでしょう。

 

※右手の木々が茂った場所が、蒲生の一里塚。

 旧道から県道へ

 街道は、一里塚を右に見て、蒲生大橋の東詰めを左折です。その後は、少しだけ、綾瀬川の左岸に沿って上流へと向かいます。

 しばらくすると、川伝いの旧道から、住宅地の道に入ります。その先は、わずかの区間、住宅地の中を通る、旧道を歩きます。

 

※住宅地を通る旧道。

 

 やがて街道は、これまで、草加市で辿っていた県道と合流です。ここからは、交通が頻繁な、幹線道路の歩道伝いに歩きます。

 

※県道と合流する旧道。

 

 街道は、途中、東武蒲生駅の表示を見ながら、さらに北の方向へ。

 

 

 新越谷

 県道沿いの街並みは、低層のビルが建ち並び、お店や事業所などの看板が目立ちます。特に史跡などは無く、平坦な都市の沿線をひたすら歩き続けます。

 やがて、南越谷一丁目の交差点。東武線の新越谷駅に近づきます。

 

※南越谷一丁目交差点。

 

 新越谷駅

 街道は、その先で、新越谷駅入口の交差点を迎えます。東武線の新越谷駅。この駅は、街道からは少し離れた、左手奥に位置しています。そして、その隣には、JR武蔵野線南越谷駅もあるようです。

 南北に走る東武線と、東西の武蔵野線が、2つの駅の辺りで、交差している状態です。

 私たちは、県道を東西に横断している、JR武蔵野線の高架下を潜り抜け、駅方面には向かわずに、さらに北へと進みます。

 

 旧道へ

 新越谷を通り過ぎてしばらくすると、「越谷市瓦曽根(かわらそね)歩道橋」と記された、県道に架かる歩道橋が見えました。

 県道は、その先で、右方向に大きく迂回して、真っ直ぐ延びる、旧道と別れます。

 

※瓦曽根歩道橋と県道と旧道との分岐点。

 

 越ケ谷宿へ

 旧道の道幅は、かつての街道筋よりも、少し広めに感じます。ただ、歩道がないため、歩くには少し注意が必要です。

 この辺り、古くからの住宅地の様相で、旧市街地とでもいうような街並みを残しています。

 

※旧道に入った街道。

 

 一区切り

 街道は、やがて、少し広い交差点を迎えます。この交差点を左折すると、突き当りが東武線の越谷駅。道沿いには、様々なお店が並び、大型店や高層のマンションなども見られます。

 私たちが、この場所に到着したのは、夕方の4時頃のことでした。この交差点のすぐ先が、宿泊拠点とするホテル。そんな訳で、この日の街道歩きは、ここで一旦終了です。

 

※左に折れて2~3百メートル進むと、越谷駅があります。

 

 振り返り

 この日の街道歩きは、千住宿がスタートでした。東武線の北千住駅に降り立って、千住の宿場を歩いた先で、荒川へ。その後は、足立区の住宅地を通り抜けて埼玉県に。そして、草加宿、草加松原を経て越谷まで。この間、およそ19キロの道のりを歩くことになりました。

 

 この続きは翌日です。ホテル前から、再び歩き始めて、すぐ先の越ヶ谷宿、そして、次の宿場の粕壁宿(かすかべじゅく)へと向かいます。

 

※街道沿いにあるホテルから出発です。

 

 越ケ谷宿

 ホテルを発って、しばらくすると、かつての越ケ谷宿に近づきます。正確には、どの辺りから宿場町があったのか、よく分からない状況ですが、地図などで確認すると、もう間もなくのところです。

 道沿いは、古くからのお店などが点在し、昭和の雰囲気も漂います。

 

※ホテルから宿場町に近づきます。

 しばらくすると、道は少し湾曲し、さらに落ち着いた街並みへと変わります。おそらく、この辺りから、宿場町が始まっていたのでしょう。

 

※越ケ谷宿の南の入り口辺り。

 道沿いには、格子のはまった建物や、蔵などが見られます。全体として、宿場町の面影は、あまり残っていませんが、ところどころに、名残を感じる建物などが目にとまります。

 越ケ谷の宿場には、本陣が1軒と、脇本陣が4軒あったということです。旅籠の数は、52軒。これまでの宿場町と同様に、そこそこの規模を誇る宿場町だった様子です。

 

※街道沿いには歴史を感じる建物なども見られます。

 

 元荒川

 街道は、少し先で、元荒川を渡ります。かつては、この川を挟んだ両側の街道筋に、宿場町が設けられていたようです。

 川を渡った向こう側の道筋も、まだしばらく、越ケ谷宿は続きます。

 

※元荒川に架かる橋。この橋の向こうにも、かつての宿場町は続きます。

 

*1:宿場の名前は、「越谷宿」と”ケ”が入りますが、都市名は「越谷市」と書き、”ケ”は入りません。