旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]21・・・小山宿へ

 小山市(おやまし)

 

 小山市は、栃木県南部の中心地。県内では、第2の人口規模を誇っています。市街地は、首都圏にもほど近く、賑わいの街の様相です。交通の要である小山駅には、JR東北本線の駅とともに、東北新幹線の駅もあり、多くの人が往き交います。

 日光道中の道筋は、この小山の市域の中央を、南北に縦断します。この間には、間々田・小山・新田の、3つの宿場が設けられ、また、日光裏街道として知られている、日光西街道(あるいは、日光壬生街道)との分岐点も存在します。

 この先は、JRと新幹線の軌道を見ながら、下野市(しもつけし)へ、そして、その先にある宇都宮市へと向かいます。

 

 

 千駄塚

 間々田の宿場を過ぎた後、街道は、千駄塚の地域に入ります。道沿いは、昔からの集落のような光景ですが、新しい住宅やお店なども見られます。

 

※千駄塚交差点。

 

 街道は、依然として、国道4号線に沿った道。宇都宮へと向かう国道は、幹線道路でありながら、かつての街道の道の流れを受け継ぐように、緩やかに蛇行しながら進みます。

 

※粟宮(南)の交差点。

 

 粟宮

 やがて、千駄塚から粟宮の地域へと移ります。この粟宮で、国道は、大きく左の方向へ。その後しばらく、街道とは距離を置き、街道のやや西側を北に向けて進みます。

 この迂回した国道は、おそらく、バイパスになるのでしょう。小山の市街地を取り巻くような道筋です。

 一方で、街道は、粟宮の交差点をそのまま真っ直ぐ進みます。道路に掲げられた標識は、県道265の表示です。

 

※粟宮交差点。国道は左へ大きくそれて、街道は、直進の県道の方向です。

 

 市街地へ

 県道に入った街道は、自動車関係のお店が並び、少しずつ、市街地に近づいてきた雰囲気です。

 道路上の標識は、小山の市街地まで、3キロを示しています。

 

※県道に入った街道。

 

 しばらくすると、街道の右側に、立派な木造の長屋門。汚れのない白壁や、ムラのない板塀などを見ていると、管理が行き届いていることが分かります。

 新しい街並みが続く中、このような、歴史を感じる建物などは、街道歩きのアクセントとして、ホッと、一息つけるようなところです。

 

※美しく保たれている長屋門

 

 国道50号線

 街道を真っ直ぐに進んで行くと、やがて、高架道路が現れます。街道の左右に延びるこの道路、国道50号線の表示です。この道は、関東平野の北部地域を西から東に横断し、群馬県茨城県を結んでいます。

 街道沿いには、もうひとつ、「新4号国道」の案内もありました。本来の国道は、街道の西側を宇都宮へと向かうのですが、新しく整備された国道が、街道の東側にもあるようです。

 この辺り、道路網は充実し、大変便利なところです。

 

※国道50号線の高架道路を正面に見た街道。

 

 国道50号線の高架道路をくぐる時、右手には、東北新幹線との立体交差も見えました。さらに、国道の直ぐ脇には、坂道も並走していることが分かります。おそらくこれが、新4号国道へと向かう道になるのでしょう。

 ちなみに、JR東北本線は、新幹線の向こう側。平地に軌道が敷かれています。

 

※立体交差する国道と新幹線。新4号国道への坂道は、JR東北本線を越える立体交差です。

 

 曲輪跡

 街道は、次第に、整然とした道に変わります。アパートやマンションなどの高層階の建物が増え、小山市の中心部に近づいてきた感じです。

 この辺りの右手(東)には、曲輪(くるわ)公園と呼ばれる公園があるようです。そして、軌道を越えた向こう側には、曲輪跡。13世紀後半から14世紀、この辺りの武将であった小山氏の居館があったところです。

 芭蕉と旅した曾良が残した『曾良旅日記』。そこには、「小山ノヤシキ右ノ方二有。」と書かれています。今からおよそ350年ほど昔のことではありますが、芭蕉曾良も、確かにここを歩いていたのです。そして、その当時、右奥には、小山の屋敷跡が見えたのだと思います。

 不思議な気分に浸りながら、目前に近づいてきた小山宿へと向かいます。

 

※市の中心部へと向かう街道。右方向に曲輪跡があるようです。

 

 小山宿へ

 街道をさらに北へと進んで行くと、今度は、右方向に趣のある煙突が見えました。煙突の周りには、工場か倉庫のような建物も見られます。そして、道路沿いには、「小野塚イツ子記念館」の看板です。

 詳しくは分かりませんが、かつての醤油工場が、地域に開放されているようです。

 

※小野塚イツ子記念館と街道。

 

 道沿いは、さらに、都市の様相に変わります。左手には、須賀神社の石柱も。また、「徳川家康公 小山評定と祈願成就の社」と記された看板などもありました。

 関ヶ原の戦いにも関連する、重要な評定が行われたと伝わるこの神社。歴史的にもゆかりのある神社なのだと思います。

 

 そして、小山の宿場町は、この辺りから始まっていたのでしょうか。どこにも、表示などはなく、よく分からない状態ではありますが、地図を見ると、そんな位置関係にも思えます。

 

須賀神社前の街道。

 小山宿

 小山宿には、本陣が1軒と脇本陣が2軒ありました。そして、旅籠の数は74軒。相当大きな宿場だった様子です。

 この宿場町、今では、全く新しい街並みで、往時の面影はありません。わずかに、道の奥に密かに佇む、脇本陣の一部などが、宿場の歴史を語っています。

 往時の町の様子を思い描いて、小山の街を歩きます。

 

※空き地の奥に、若松脇本陣跡の古そうな建物が見えます。

 小山駅

 高層のビルが並ぶ中心地に近づくと、歩道には、「小山宿通り」と書かれた標識がありました。この辺りが、宿場町の中心地だったのかも知れません。この先の交差点は、駅前上町交差点。ここを右に向かうと、小山駅に至ります。

 

小山駅の西口に最接近する街の中心部。

 

 私たちは、小休止をとるために、小山の駅方向に足を向け、一休みすることになりました。

 小山駅は、さすがに新幹線の駅もあり、立派な駅舎を構えています。その姿を、ご覧いただければと思います。

 

小山駅