街道は、下野市の2つ目の宿場町、石橋宿を過ぎた後、少しの間、上三川町(かみのかわまち)に入ります。この町は、南西部に下野市、東部が真岡市で、北に宇都宮市が隣接するという位置関係。3つの市域に囲まれて、今なお合併することはなく、単独の町政が敷かれています。
上三川町の中心は、新幹線やJR東北本線の軌道から、遠く離れた東側。街道は、わずかに、この町の西のはずれをかすめるように北上します。
国道へ
旧道が、森の中へと向かって行く、「赤道」*1と呼ばれる道を避け、右方向に向かった私たち。すぐ先で、再び国道4号線に入ります。
国道に戻った街道は、白い塀で囲まれた事業所前を通過して、さらに北へと進みます。おそらく、「赤道」は、この塀の左奥。どのような道なのか、と気にかけながら、安全なルートを歩きます。
※国道に戻った街道。
下石橋
しばらくすると、道際に、「下石橋一里塚」と記された、手作りの標識です。おそらく、この標識の左奥に、一里塚の跡があるのでしょう。ただ、そこは「赤道」のはず。自己責任*2で向かうことはできるでしょうが、今回は、素通りです。
※下石橋一里塚の表示と国道の様子。
石橋へ
郊外型の店舗などが点在する、国道の道筋を進みます。この辺りには、大きな建物は無く、空は広く開けています。
右側には、東北新幹線の高架の軌道。歩道に置かれた距離標識は、日本橋から91キロ地点を示しています。
※石橋に向かう国道4号線。
国道を進んで行くと、やがて、下石橋の交差点。そして、その上を、国道352号線の高架道路が横切ります。
街道は、高架下をくぐり抜け、その先の集落へと向かいます。
※下石橋の交差点。
集落の道沿いは、新旧の民家が連なります。中には、古くからの門構えや板塀で囲まれた住宅も見受けられ、街道の雰囲気を、わずかながらも感じられるところです。
※古そうな門構えの屋敷見ながら国道を進みます。
石橋宿
やがて、街道は、本町交差点に入ります。ここからは、石橋の地域になるようで、かつての石橋宿も、この辺りから始まっていたのでしょう。
※本町の交差点。
石橋宿は、前の宿場の小金井宿から、およそ7キロ離れています。また、この宿場には、本陣と脇本陣が各1軒、旅籠は30軒ありました。
日光道中の沿線では、比較的小さな規模の宿場町だった様子です。
※石橋宿の様子。
JRの石橋駅を右奥に見て、かつての宿場町を進みます。相変わらず、住宅が軒を連ねる道筋は、宿場町の面影はありません。
途中、レンガ造りの構造物が見られるものの、おそらくは、明治期から昭和の初め頃のものでしょう。すっかりと、姿を変えた町並みを眺めながら、次の宿場を目指します。
※石橋宿を北に向けて進みます。
上三川町(かみのかわまち)
石橋宿を過ぎた後、街道は、下野市の最北部を進みます。そして、その先は、宇都宮。3か所ある、宇都宮市の最初の宿場、雀宮(すずめのみや)へと向かいます。
愛嬌のある、雀宮という地名。一度聞いたら、忘れることはありません。雀宮の、音の響きに惹かれるように、軽やかな足どりで、北に向かって進みます。
※石橋宿を終え、雀宮宿に向かいます。
街道は、やがて、下野市から離れます。道路上の標識は、宇都宮の市街地まで13キロを示しています。
おそらくは、もう、宇都宮だと思ったところ、現れた標識は、期待とは違うものでした。
※下野市のはずれ辺り。
目の前に現れた歩道上の標識は、「上三川町」と書かれています。このような町があったのかと、地図でよく確認すると、街道は、わずかの区間、上三川町の西端をかすめるように通っています。
不思議な思いを持ちながら、初めて聞く、栃木の町を進みます。
※上三川町の西端の領域を通過する街道。
上三川町の街道沿いは、民家はそれほどありません。事業所やお店などが点在している区間です。
やがて、左には、鎮守の森が見えました。そして、街道の前方は、国道と交差する、北関東自動車道路の高架橋。栃木県の都賀ジャンクションで、東北自動車道路と分岐して、茨木の水戸方面へとつながっている、自動車専用道路です。(正確には、群馬県の高崎と水戸方面を結んでいます。途中で、少しだけ、東北自動車道と重なっているようです。)
※北関東自動車道路の高架橋をくぐる街道(国道4号線)。
宇都宮市へ
高架橋を過ぎた後、街道は、いよいよ、宇都宮市に入ります。歩道上の標識も、今度は確かに、「宇都宮市」と書かれています。
先ず目指すのは、先ほども少し触れた、雀宮の宿場です。どのような街なのか、期待しながら向かいます。
※宇都宮市に入った街道。