かつて、しばらくの間、静岡市に住まいしていた私にとって、東照宮という名を聞くと、どうしても、久能山東照宮(くのうざん・とうしょうぐう)が先ず頭に浮かびます。駿府の地で生涯を終えた家康を祀る場所。駿河の国が一望できて、富士山が間近にそびえる久能山こそ、最適地のようにも思えます。
ところが、家康は、自分自身が他界して一周忌を迎えた後に、下野の日光山にも社を設け、そこに鎮座するとの遺言をしたためていたのです。
久能山も日光も、家康の霊廟として、今も厳かに護り崇められてはいるものの、その主流は、古くから日光にありました。芭蕉も旅した日光の地。
あらたう(ふ)と 青葉若葉の 日の光
という有名な一句によって、さらに多くの人々を、日光へと導くことになりました。
(岩波文庫の『おくのほそ道』の注釈には、「瑞々しい新緑に輝く陽光を詠じて、東照宮への鑽仰(さんぎょう)をこめている」との一文が置かれています。)
日光道中の終着点へ
勾配を増した坂道が、やがて緩みを見せた先は、様々な老舗などのお店が並ぶ通りです。この区域こそ、日光の門前町のような場所。たくさんの観光客が集います。
※日光道中の終着地直前の老舗街。
由緒ある、赤屋根の建物を通り過ぎると、左には、高台の金谷ホテルに向かう坂道です。坂道の入口には、板垣退助の像がありました。
道端の説明板には、ここにこの像が建つ背景として、次のように書かれています。
「明治元年(1968)戊辰戦争の時、彼(板垣退助)は新政府の将として、日光廟に立てこもった大島圭介らの旧幕府軍を説得し、寺社を兵火から守ったと言われます。」
新政府の将にとっては、倒幕が第一義。東照宮に立てこもる相手であっても、戦火を交えて戦い抜くのが、使命だったと思います。それでも、彼の人は、歴史を刻んだ文化の証は守るべき、と、考えたのか。
その勇断は、後の世になってこそ、評価されてきたのでしょう。
※板垣退助の像。
終着点・神橋(しんきょう)
板垣退助の像を過ぎると、いよいよ、日光道中の終着点、神橋に到着です。
神橋の入口には、「二荒山神橋」と刻まれた、大きな石柱が置かれています。江戸日本橋を起点として、日光までつなげられた日光道中の終着点。その場所こそ、この石柱が置かれているところです。
昨年(2022)の10月に日本橋を出発し、6日をかけて中間地点の間々田(ままだ)まで。そして、翌11月に、間々田から5日間。遂に、終着地、日光神橋に着きました。
※日光道中の終着点である、神橋前に置かれた大きな石柱。
日光道中を終えて
日光道中21次の歩き旅。距離にして、およそ36里(140キロ強)と言われています。今は、開発が随分進み、宇都宮に至るまでは、往時の面影が残る道は、それほど多くありません。それでも、ところどころに旧道が残されて、その道の流れから、往時を偲ぶことができました。
宇都宮を過ぎた先は、杉の並木が続きます。特に、徳次郎宿から続く行程は、見事な並木の街道です。延々と続く並木道。これは、他の街道では味わえない醍醐味です。
私たちは、これまで、中山道、東海道、甲州道中の三街道を歩き進めてきましたが、今回の日光道中の踏破によって、四街道となりました。残すところは唯一つ、宇都宮から奥州の玄関口、白河へと向かう道。
早や、五街道最後のひとつ、奥州道中に想いを馳せて、日光への歩き旅を終えました。
神橋
さて、ここからは、東照宮への参詣です。かつて、将軍や例幣使など、特別の人たちだけが利用できた神橋を左に見ながら、国道の日光橋を渡ります。
ちなみに、神橋は、大谷川(だいやがわ)に架けられた、朱塗りの橋。今も、有料で通行できるみたいです。


※朱塗りが鮮やかな神橋。
東照宮へ
東照宮への参道は、幾本かあるようですが、私たちは、神橋のすぐ傍の、幅の狭い石段を上ります。
紅葉がまだ鮮やかに残る境内は、日光という名に相応しい、神々しさを放っています。
※神橋に最も近い参道。
勝道上人の像
石段を上った先は、他の参道と合流し、道幅が広がります。そして、坂道をしばらく進むと、大きな岩の上に君臨する、勝道上人(しょうどうしょうにん)の銅像です。
勝道上人は、日光の開山者。天平の世(奈良時代)に生まれ、平安の時代まで、関東で活躍された僧侶です。
※勝道上人像。
正面の参道
勝道上人の像を過ぎ、さらに坂道を上ります。途中、左方向の、東照宮宝物館の前を横切ると、その先で、正面の参道の入へ。
さすがに広々とした参道が、東照宮への境内へとつながります。
金色の葵の御紋が配された、東照宮の門柱は、圧倒的な重厚感を放っています。正面の上部には、石鳥居。そして、その先に、表門が見渡せます。
※日光東照宮の正面参道。
表門の手前のところで、東照宮への拝観券を購入し、その先に進みます。辺りには、大勢の観光客。特に、海外からの訪問客や修学旅行の生徒たちが、目立っていたように思います。
※表門を過ぎた先の神庫前。
表門を潜った先の正面は、神庫などが並んでいます。そして、左手が有名な、神厩舎(しんきゅうしゃ)。この建物のところに置かれた彫刻が、よく知られている、三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)の彫刻です。
※神厩舎と三猿の彫刻。
この辺りから、境内を見渡すと、豪華絢爛そのもです。様々な金色の社などが配置され、まさに、東照宮の名に相応しい、煌びやかな光景が広がります。
この先、境内は、さらに一段高さを上げて東照宮の中枢へと向かいます。
※陽明門へと続く境内。