2つの日光駅
日光東照宮の交通機関の玄関口は、JRと東武線の日光駅。この2つの終着駅は、隣り合わせに並んでいます。
JRの日光線は、宇都宮からやや南側に回り込み、鹿沼を経て、日光西街道の道筋を辿りながら日光へ。一方の東部日光線は、茨城の古河市を経て、真っ直ぐに鹿沼まで北上します。その後は、JRと寄り添うように日光へと向かうのです。
私たちが歩きつないだ道中は、2本の鉄道とは別ルート。宇都宮から、東側の谷あいを、自動車道路と肩を寄せ合い進みます。
鉄道も、自動車道路も街道も、それぞれのルートから、人々を光の社に導きます。
旧道の終焉
街道は、最後の旧道を辿った後で、国道に戻ります。この先は、美しく整備された道路に沿って終着地点の方向へ。
途中には、国道を覆うような、立派な杉並木の区間もありました。どこまでも続く杉並木。日光を訪れる旅の、醍醐味のひとつと言えるでしょう。
並木の中の標識は、この先の右側にある、JR日光駅を示しています。
※整備された国道を覆う杉並木。
JR日光駅
国道の並木道を少し進むと、相生町の交差点に至ります。そこを右に折れると、JR日光駅。
私たちは、休憩場所を求めるために、駅方面へと向かいます。
この辺り、整然と区画された町並みですが、気軽に休憩できるお店などはありません。行き着いたのは、JR日光駅の駅舎です。何ともお洒落な佇まいの日光駅。どことなく、大正ロマンを感じるような建前に、しばし、見とれてしまったものでした。
※JR日光駅の駅舎。
休憩場所が見つからず、やむを得ず街道に戻ってみると、すぐ先に、東武線の日光駅がありました。JRと東武線、2つの路線の日光駅は、隣同士で並んでいます。
駅前の雰囲気は、何となく、こちらの方が賑やかそう。駅に続く通りには、幾つかのお店が並んでいます。
東武線の日光駅は、JRの日光駅とは対照的に、大屋根が建物を覆いつくす、シンプルな構造です。駅前の広場には、幾つかのバス発着場が整備され、多くの観光客の姿が見られます。
あげゆばまんじゅう
私たちは、駅前の土産物屋を物色し、休憩場所を探します。
ちょうど、駅近くの小さなお店に近づくと、”あげゆばまんじゅう”をほおばりながら談笑する、観光客の姿が見えました。ほのかな油の香りが漂ってくる空間は、道行く人を引き付けます。
湯葉の風味と甘みの調和が絶妙な、珍しいまんじゅうを頂きながら、しばし、身体を休めたものでした。
※あげゆばまんじゅう。
鉢石宿(はついしじゅく)
東武線日光駅から、街道に戻ります。この先は、真っ直ぐに延びる直線道路。緩やかに見える坂道ですが、見た目より、易しいものではありません。思いのほか、厳しい道が、旅人を苦しめます。
それでも、ここからの眺めは素晴らしく、日光の奥懐に迫るような眺望です。
前方に見える山は、男体山なのかも知れません。家康が永眠の場所とした山際の地は、もう間もなくのところです。
※鉢石宿の入口辺り。急勾配の直線道路です。
美しく整備された町並みは、かつての、鉢石宿(はついしじゅく)だと思います。日光道中最後の宿場も、かつての面影は見られません。
現代風の観光地へと姿を変えた、宿場町。今は、駅方面から、東照宮に歩いて向かう観光客を当てにした、お洒落なお店が並んでいます。
※お洒落なお店が並ぶ鉢石の宿場町。
鉢石宿は、先の宿場の今市宿から、およそ8.5キロのところです。この間の道筋は、杉の並木が中心で、厳かな雰囲気が漂います。
この鉢石宿、本陣が2軒あり、脇本陣が1軒で、旅籠の数は19軒。思いのほか小さな規模の宿場だった様子です。
それでも、ここはまた、門前町。旅籠というより、宿坊などが数多くあったのかも知れません。
※神橋まで480mの表示。
旧日光市庁舎
かなりの勾配の坂道を進んで行くと、やがて、歩道の幅が狭まります。町並みも、幾分、新しさが後退し、旧来の町の姿に近づきます。
やがて、左手の方向に、少し趣の変わった建物が見えました。幾つかの千鳥破風を備えた容姿は、異様にも見えますが、どうも、旧日光市の庁舎だということで、ある意味、納得感がありました。
※旧日光市庁舎。
日光市は、旧日光市と今市市、そして、周辺の市町と合併し、今の日光市になりました。新しい日光市の中心は、かつての、今市市。従って、旧日光市の庁舎については、今は、支所的な役割なのだと思います。
神橋へ
旧日光市の庁舎前を過ぎた後、街道は、やや右方向に進路を変えて、中鉢石や上鉢石の区域へと進みます。
町並みは、次第に、歴史を感じる趣に変わります。木造の建物なども目立ち始めて、道幅も、徐々に狭まる感じです。
小高い尾根の緑も、近づいて、前方には、木々が覆う森の小山が迫ります。
※日光道中の終着点に接近する街道。