旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]59・・・新宿と内藤新宿

 新宿区

 

 街道は、渋谷から新宿へ。道幅はさらに広がり、高層ビルが並びます。

 新宿は、新宿駅を境として、西新宿と東側の新宿の街に分かれます。西新宿は、都庁などの巨大なビルが林立し、副都心と呼ばれるところ。一方で、JR山手線を越えた先の新宿は、歌舞伎町を始めとして、幾つかの賑やかな街が連なります。

 甲州道中の道筋は、副都心を左に見ながら、JRなどの軌道を越えて東側の方向へ。そして、その先にあったのが、内藤新宿と呼ばれる宿場です。今では、新宿御苑のほど近く、四谷までの間のところに、その宿場町はありました。

 都心の街の喧騒の中、甲州道中最後の宿場、内藤新宿へと向かいます。

 

 

 副都心

 NTT東日本の本社ビルを過ぎた後、街道は、西新宿3丁目の交差点に入ります。頭上には、首都高速の高架橋。左に大きくカーブしている高架橋を潜った先は、もう、頭上の道はありません。この先は、空が開けて、辺りには、高層ビルが連なります。

 

※西新宿3丁目の交差点。

 この辺り、国道の歩道を歩いていると、左先には、お馴染みの都庁のビルも見え隠れ。建ち並ぶ幾つもの建物は、圧倒的な大きさで、副都心の威容を放っています。

 一方で、国道の右側は、南新宿のビル群です。何のビルかは分かりませんが、こちらの方も、その存在感を誇示しているように感じます。

 

※西新宿交差点。

 国際通り

 やがて、西新宿2丁目の交差点を過ぎた後、街道は、一旦、国道から離れます。真っ直ぐ進んだその先が、JR新宿駅の南口。街道は、左に折れて、国際通りに向かいます。

 

※街道はこの交差点を左折です。

 

 国際通りは、国道から1筋北を通る道。街道の道筋は、次の角を右に折れ、国際通りに入ります。

 ”国際通り”と呼ばれる道は、沖縄の那覇市にもありますが、西新宿のこの道は、随分と趣が異なります。市街地のメインストリートとして有名な、沖縄の道とは対照的に、こちらは、路地裏のような道。小さなお店が軒を連ねる、駅裏の街の様相です。

 

※左、すぐ先を右折すると国際通りに入ります。右、国際通りの様子。

 新宿駅

 国際通りを東に進むと、新宿駅西口と結んでいる、主要道路に行き着きます。街道は、反対の右方向。右折して、元の国道に戻ります。

 

※西新宿1丁目交差点。正面奥の右側が新宿駅西口。

 

 国道に戻った街道は、その先で、JRや京王線の軌道をまたぐ高架の橋を渡ります。広々とした高架橋に接続するのが、新宿駅の南口。若い人を中心に、多くの人が往き交います。

 

新宿駅南口の様子。

 

 内藤新宿

 高架の橋を下りたところは、新宿四丁目の交差点。これまでの、国道20号線の道筋は、交差点を道なりに進んだ後で、右に大きく進路を変えて、新宿御苑の地下を通るトンネルに入ります。

 一方で、街道は、この交差点を左折です。そして、次にある、新宿三丁目交差点を右に折れ、国道の地下トンネルのすぐ北の道を進みます。(地下トンネルは、新宿御苑の北に沿って設けられているために、街道は、新宿御苑を右奥に見て進むことになります。少しややこしい説明ですので、下にGoogle Mapsを掲載させていただきます。が街道のルートで、その下のが国道20号線の地下道です。)

 

内藤新宿の街道ルート。

 

 新宿四丁目の交差点辺りから、新宿御苑の北を通る道沿いに、かつての内藤新宿がありました*1日本橋から最初の宿場、江戸に向かう者にとっては、最終の宿場です。

 この宿場には、本陣1軒、問屋1軒が設けられ、旅籠は24軒ありました。江戸に入る入口の、五街道の宿場町と同様に、この内藤新宿も、大変な賑わいを博していたということです。

 ちなみに、五街道に設けられた江戸入口の宿場町は、以下のような状況でした。

 

 甲州道中・・内藤新宿

 東海道・・品川宿

 中山道・・板橋宿

 奥州、日光道中・・千住宿

 

 この宿場町が、”内藤新宿”と呼ばれた訳は、『ちゃんと歩ける甲州街道』の記載によると、「内藤氏下屋敷の一部を割いて宿が成立したので内藤新宿命名された」ということです。

 一般には、そこの地名が宿場の名前になるのでしょうが、新宿は、その逆です。宿場町が設けられ、その土地が、新宿と呼ばれるようになったのだと思います。

 

内藤新宿の西の入口辺り。今は新宿四丁目。

 

 新宿の街

 内藤新宿が置かれたところは、今は近代的なビル街です。もう、どこにも、宿場町の面影を見ることはできません。

 品川や板橋、千住の宿場では、今でも、街道筋の雰囲気が残っているのと比べると、随分と様子が異なります。

 

※新宿の街。かつて内藤新宿があったところです。

 

 街道は、新宿三丁目から二丁目へ、真っ直ぐ延びる、街中の道を進みます。道沿いは、様々なお店や事務所などが途切れることなく続いています。

 街区ごとに右手を見ると、新宿御苑の深い緑も見え隠れ。都会の中の憩いの場所は、ビル街のすぐ傍に広がります。

 

新宿二丁目の街の様子。

 

 四谷へ

 街道は、新宿御苑駅前交差点を通過して、四谷へと向かいます。相変わらず、ビルが立ち並び、多くの車が往き交います。

 

新宿御苑駅前交差点。

 

*1:はっきりとは分かりませんが、そもそも、甲州道中の道筋は、私たちが今歩いている道筋ではなく、新宿御苑の北の縁にあったのかもしれません。またいつか、このあたりのことについては、調べてみたいと思います。