旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]5・・・荒川と草加への道

 荒川越え

 

 千住の宿場を過ぎた後、街道は、関東平野の大河川、荒川に迫ります。その昔、旅人たちは、この川を舟などで渡り越えていたのでしょう。今は、国道4号線に架かる橋、千住新橋を利用して、対岸に渡ります。

 荒川を越えた先は、依然として、足立区の街が広がりますが、かつては、川を越えると、広大な平原がどこまでも続くような場所だったのかも知れません。芭蕉曾良も、千住の宿場を後にして、荒涼とした平原に立ち向かうようにして、旅への決意を固めていたことでしょう。

 

 

 荒川へ

 街道は、荒川の土手に突き当たり、そこからは、土手下の道を辿りながら、国道の西側へと回ります。

 本来は、土手から河原に下り立って、舟などで、流れを越えていたはずです。今は、この間は、仮の道を進みます。

 

※荒川の土手下の道。国道4号の下を潜り抜け、反対の方向へ。

 

 国道の西側に出て行くと、そこには、らせん状の階段です。歩行者は、この階段を利用して、国道に結ばれた、歩道橋へと向かいます。

 

※国道4号西側にあるらせん階段。

 

 歩道橋を進んでいくと、その先は、千住新橋の歩道です。多くの車が往き交う中を、安全に、対岸へと向かいます。

 

※千住新橋。

 

 荒川左岸

 荒川を渡った先で左折して、土手道を少しだけ、上流方向に進みます。

 先ほども触れたように、この道は、本来の街道ではありません。今は、仮の道を辿りながら、荒川左岸の川越しの基点へと向かうのです。

 

※荒川左岸堤防。高架道路は、首都高速中央環状線

 

 土手道を歩いていると、間もなく、土手下に下りる階段が現れます。私たちは、この階段を利用して、下の道に入ります。

 

※土手下につながる階段。

 

 川田橋

 目指す地点は、川田橋の交差点。この位置が、荒川の川越しの基点となったところです。ただ、土手下の道を辿って川田橋に近づくと、途中から歩道は無くなってしまいます。恐る恐る車道を歩いて、交差点に入る羽目になりました。

 よく見ると、交差点の堤防側には、立派な階段が設けられ、土手道から安全に、交差点に辿り着くことができたのです。荒川左岸の土手道を、もう少し、先に進めばよかったと、反省したものでした。

 

※歩道が無くなる土手下の道。川田橋交差点の近くです。

 

 梅島へ

 川田橋交差点を過ぎた後、街道は、落ち着いた住宅地を進みます。都会の街の住宅地とはいうものの、どこにでもありそうな街並みが続きます。

 

※足立区の住宅地を通る街道。

 

 しばらくすると、左手角に、小さなお堂が現れました。街中の住宅地の一角に、わずかに残るこのお堂。石不動尊というようです。傍には、お地蔵さんも配置され、大切に守られている様子です。

 

※石不動尊と呼ばれるお堂。

 

 街道は、やがて、梅島の街に入ります。そして、その先で、少し大きな交差点、エル・ソフィア前交差点を迎えます。この交差点の右方向に、足立区の文化施設があるようで、エル・ソフィアは、その施設の名前です。

 この辺り、道沿いには、お店なども目立ち始めて、道の先には、東武線の高架橋も見えました。

 

※エル・ソフィア前交差点。

 

 梅島駅

 街道を横切るように設けられた高架橋。そこには、東武梅島駅がありました。この時間、それほど人の姿は見られませんが、通勤や通学の時間には、多くの人が往き来することになるのでしょう。

 

東武線の梅島駅辺り。

 足立区の北部

 街道は、ところどころで、大きな交差点を越えながら、足立区の北の地域を、北上します。

 道沿いは、あいかわらず、小さなお店や住宅が混在し、同じような景色が続きます。

 

※足立区の北部地域を進む街道。

 

 街道は、竹の塚と呼ばれる街に入ります。真っ直ぐに延びる道は単調で、ただひたすら、埼玉県との境を目指して進みます。

 

※竹の塚の街を通る街道。

 やがて、道路標識に、「谷塚(やつか)」の地名が現れました。埼玉県草加市谷塚の街は、もう間近か。住宅などが密集する、首都の北部に広がる街を進みます。

 

※足立区北部の街並。