旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]3・・・千住の道と隅田川

 芭蕉との出会い

 

 奥の細道の旅に出た松尾芭蕉は、江戸深川の芭蕉庵を引き払い、まず、近隣の杉風(さんぷう・・・杉山市兵衛、芭蕉の門人)の採茶庵に居を移します。そして時を待ち、隅田川の舟旅へ。川の流れに逆らうように、ゆっくりと、上流を目指します。時は1689年、5月上旬*1の早朝のことでした。

 旅慣れた芭蕉でさえも、陸奥(みちのく)への長旅を想う時、相当な不安に駆られていたことでしょう。舟に揺られる芭蕉の姿は、どのようなものだったのか。想像を膨らませるしかありません。

 そして、その日の午前11時頃、千住の地で、芭蕉は舟を離れます。ここからは、しばらくの間、日光道中の道筋を辿ることになるのです。

 私たちは、隅田川に架けられた、千住大橋北詰で、芭蕉の影を確認し、この後しばらく、その姿を追いながら、道中を歩きます。

 

 

 南千住

 南千住の駅を過ぎ、真っ直ぐに北に続く街道を進みます。歩道沿いのポールには、「奥の細道矢立初めの地 千住あらかわ」と記された、落ち着いたデザインのバナーです。

 矢立とは、筆が入った簡易な入物。千住の地で、奥の細道に記された、最初の一句が詠まれたために、「矢立初めの地」とされたのだと思います。

 

   行く春や 鳥啼魚の 目は泪*2

 

 有名な、旅の始めの一句です。別れの寂しさが染みわたるこの一句、何とせつない思いだったことでしょう。

 

※南千住の道筋。

 

 スサノオ神社

 南千住の街を北進すると、国道4号線の高架橋に出合います。この場所は、南千住交差点。街道は、高架下を潜り抜け、鈍角に斜め右へと向かいます。

 

※南千住交差点。

 

 交差点を渡った先は、なまこ壁が配された、蔵風の建物です。近づくと、その壁には、芭蕉に関する記事などが綴られた、掲示板がありました。

 この建物の裏側には、スサノオ(素戔雄)神社があるようで、その案内の記事なども貼られています。

 

※蔵風の建物に貼られた掲示板。

 

 蔵風の建物を右に進むと、先ほどのスサノオ神社の鳥居です。災厄除けの神様が祀られているということで、昔から、旅の安全を祈願する旅人達も立ち寄っていたのでしょう。

 

スサノオ神社。

 

 隅田川

 街道は、その先で、緩やかな上り坂。そして、その後は、隅田川の堤防です。街道が跨ぐ橋は、千住大橋と呼ばれています。国道の高架の橋の両脇に、地上の道の大橋が架かります。

 

千住大橋

 

 千住大橋の南詰に差し掛かる辺りには、石碑とともに、千住大橋の案内板がありました。そこに書かれた内容を、少しだけ紹介したいと思います。

 

 「文禄三年(1594)、徳川家康が江戸に入った後、隅田川に初めて架けた橋。・・・工事は難航を極めた。」

 「千住大橋は、日光道中初宿、千住宿の南(荒川区)と北(足立区)とを結び、また、江戸の出入り口として位置付けられ、多くの旅人が行き交った。旅を愛した松尾芭蕉もここから奥の細道へと旅立ち、真山青果の戯曲『将軍江戸を去る』では、最後の将軍徳川慶喜の水戸への旅立ちの舞台として表現されている。」

 

 歴史を刻んでここに架かる、千住大橋に想いを馳せて、ゆっくりと、隅田川を渡ります。

 

隅田川の南詰。

 

 芭蕉の上陸地

 千住大橋の北詰に近づくと、橋げたの下の方には、奥の細道の旅に向かう、芭蕉曾良(そら)の姿を描いた、水墨画が見えました。

 今は、コンクリートで固められた護岸ではありますが、往時は、木杭などで整地されていたのでしょう。芭蕉が乗った小さな舟は、この辺りに接岸し、ここから陸地の旅が始まったのだと思います。

 「行く春や鳥啼魚の目は泪」の、矢立初めの一句も、この辺りでしたためられたものでしょう。何とも、感慨深いところです。

 

千住大橋北詰。芭蕉曾良の姿が見えます。

 千住大橋を渡り切ると、すぐ左には、小さな公園がありました。そこには、「奥の細道矢立初めの地」と刻まれた、大きな石柱が。さらには、奥の細道に関しての、様々な表示板やモニュメントなどもありました。

 江戸の時代に、奥州や北陸を歩きつないだ芭蕉曾良。多くの人の心に響く句を詠み続け、今もなお、人々を惹き付けてやまない2人の姿は、あまりにも質素でありながら、普遍の魅力を放っています。

 

千住大橋北詰の小公園。

 

 公園内に置かれている、石造りのモニュメントには、『おくの細道』に綴られた、千住の記事が貼られています。

 

 「是を矢立の初めとして、行く道なをすゝまず。人々は途中に立ちならびて、後(うしろ)かげのみゆる迄はと、見送るなるべし。」

 

 多くの人に見送られての旅立ちは、この後、行程図にあるように、2000キロにも及ぶようなみちのりを、歩き続けることになるのです。

 

※小公園に置かれたモニュメントと行程図。

 

 足立市場

 隅田川の北詰の小公園を後にして、少し進むと、足立市場前の交差点。高架道路の4号線は、この辺りでは、地上の道に変わっています。

 何車線もある国道を、この位置で、反対の東側に渡ります。国道を渡った先には、「足立市場」の看板です。ここは、東京都の中央卸売市場である、足立市場があるところ。

 新鮮な魚介類を、身近で確保できるため、北千住は、海鮮のグルメの街でもあるのです。

 

※足立市場前交差点。正面が足立市場。

 街道は、交差点を渡り切り、市場前から北に延びる旧道に入ります。千住の宿場は、もう目前のところです。

 

*1:実際には陰暦で記載されています。陰暦3月27日が出発日です。

*2:「目泪」という場合もあるようですが、千住のバナーや岩波文庫『おくのほそ道』では、「目涙」になっています。