旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[日光道中]4・・・千住宿

 賑わいの街

 

 かつて、千住の宿場町だった北千住。今も、たくさんの人々が往き来して、賑わいの街をつくっています。北千住駅の周辺や駅近くの街道筋は、人の波が途切れることはありません。

 この街を南北に通過している、日光道中。道幅や道の流れは、往時のままのように感じます。このような街並みは、中山道の板橋や、東海道の品川とも、どこか似たところがあるようです。江戸の町の入口は、賑わいの街であり、かつてはさらに、重要な治安上の役割も与えられていたのでしょう。

 

 

 再び芭蕉

 足立市場の正門前を左折して、旧道に入ります。その旧道の入口には、再び芭蕉を偲ぶ一角がありました。

 そこにあったのは、芭蕉の像と、幾つかのモニュメントや説明板。ここでも、芭蕉の旅に想いを寄せる、静かな空気が流れています。

 

※旧道入り口にあった芭蕉の像。

 

 芭蕉の像の近くに置かれた説明板。そこには、この先の旧道が「やっちゃ場」と呼ばれていたこと、そして、正岡子規高浜虚子も訪れていたことなどが書かれています。そして、最後には、

 

 「人生は人それぞれにさまざまな旅立ちがあります。奥街道を旅する事で何かを感じるかも知れません。遥かなる奥の細道へ。」

 

 の一文が。

 芭蕉曾良陸奥(みちのく)の旅。地域こぞって、誇りにされている様子です。

 

※左、上記の説明板。右、芭蕉の句碑(鮎の子のしら魚送る別哉)。

 千住宿

 旧道の入口付近は、人影もまばらです。幅の狭い舗装道路が、真っすぐに延びる中、アパートや住宅などが、道沿いに並んでいます。

 この辺り、かつてはもう、宿場町だったのかも知れません。往時の名残りはないものの、何となく、その雰囲気が漂っているようなところです。

 

※旧道の入り口付近。

 千住宿

 街道は、しばらくすると、源長寺前交差点に入ります。交差点の左先が、源長寺。細長い境内の入口には、立派な山門が構えています。

 

※源長寺前交差点と源長寺。

 

 道沿いは、依然として、アパートなどが並ぶ中、次第に、商店街の様相に変わります。人の数も、どことなく、増してきた感じです。

 

千住宿の南の辺り。

 

 やがて、もうひとつの交差点を迎えると、その先に、「千住ほんちょう商店街」のアーチです。人通りはさらに増していき、千住の街の中心部へと近づいてきた感じです。

 もう、この辺りは間違いなく、かつての宿場町に入っているのでしょう。

 日光道中最初の宿場の千住宿日本橋から、9キロの地点です。かつてここには、本陣と脇本陣が各1軒、旅籠は55軒ありました。規模的には、そこそこの大きさを誇っていた様子です。

 

※千住ほんちょう商店街の南の入口。

 駅近くの街道

 街道は、賑やかな商店街を進みます。この辺り、今は、宿場町の面影が残るところはありません。道沿いにあふれんばかりの看板や幟旗など、活気に満ちた光景が広がります。

 

※活気に満ちた商店街。

 

 しばらく進むと、少し広めの交差点。ここを右折した先に、北千住駅があるようです。

 駅とつながるこの道は、北千住駅前通りと呼ばれています。歩道上は、アーケードに覆われて、多くの人が往き交います。

 街道の先線は、「宿場町通り」のアーチです。ここから先が、かつての千住宿の中心地になるようです。

 

 一区切り

 日光道中の歩き旅、1日目は、この辺りで区切りをつけて、私たちは、宿泊地へと向かいます。

 この日は、昼過ぎに日本橋を出発し、夕刻には、北千住まで辿り着くことが出来ました。

 

北千住駅前通りを渡る街道。

 

 宿場町通り

 翌日は、宿場町通りに舞い戻り、千住宿から再び歩き始めます。

 通りの入口付近には、そのすぐ左手のビル脇に、「千住本陣跡とその周辺」と記された、案内板がありました。

 記載によると、宿場通り入口の交差点から、案内板がある辺りの北側(左側)一帯が、かつて、本陣があった場所。千住では、ただ一軒の本陣で、敷地面積361坪、建坪は120坪と書かれています。

 今は、本陣の影も形もありません。何となく、寂しい感じがするものの、時代の波に抗うことは、容易ではないのでしょう。

 

※ビルの脇に掲げられた本陣跡の案内板。

 

 宿場町通りの街並みは、賑やかな商店街が続きます。ただ、ところどころに、街道や宿場町の跡を伝える、看板や表示板が見られます。

 街の姿は変わっても、ここが、かつての街道筋だということを、いつまでも、伝え続けて頂きたいと思います。

 

※宿場町の跡を伝える表示など。

 北へ

 宿場通りをさらに北へと進んでいくと、次第に、賑やかさがなくなって、静かな街へと変わります。時間帯にもよるのでしょうが、私たちが歩いた時は、人通りは少なくて、落ち着いた空気が流れる道筋でした。

 

千住宿を北に向かう街道。

 

 横山家住宅

 しばらくすると、右前方に、歴史ある立派な建物が見えました。木造の二階建てのこの建物は、横山家住宅と呼ばれています。街道筋に今も残る、貴重な歴史の証といえるでしょう。

 住宅の北側には、この建物の案内板。その内容を、少しだけ紹介したいと思います。

 

 「横山家住宅(足立区登録有形民俗文化財)は、宿場の名残として、伝馬屋敷の面影を今に伝えている。伝馬は、人や物資の輸送のために、各宿場に馬を負担させた江戸幕府の制度で、伝馬を負担した者には伝馬屋敷が与えられ、年貢なども免除された。横山家は、江戸時代から続く富裕な商家で、伝馬を負担していた。屋号は「松屋」で、今でいう再生紙を取り扱う地漉紙(じすきがみ)問屋であった。」

 

※横山家住宅。

 

 荒川へ

 道筋は、やがて、商店街から住宅地に変わります。千住の宿場もこの辺りまで。この先で、街道は、荒川の川越しを迎えます。

 

千住宿が終わり、荒川へと向かいます。