旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]28・・・一乗寺

 加東市加西市

 

 前回訪れた霊場は、兵庫県加東市にある第25番播州清水寺。そして、西国三十三所の巡礼は、隣接する加西市の第26番一乗寺へとつながります。

 2つの霊場が所在するこれら両市の名前には、”加”と言う字が頭に付いて、下の文字が東西に分かれています。いずれの都市も、それほど有名ではないものの、両市の間を流れ下る加古川は、そこそこ良く知られた河川です。この加古川の東にあるのが加東市で、西側が加西市ということならば、”加”という字が意味しているのは、加古川なのかも知れません。

 このあたり、調べてみると、元々、古代には”賀茂郡”であったところ、後に”加西”と”加東”に分割されたというのです。”賀茂”は”鴨”なのか、あるいは、”神”なのか。長い歴史を経る中で、様々に変化して伝わってきたのだと思います。

 

 

 立地

 続く札所の一乗寺へは、国道372号線を辿るのが一般的だと思います。先の札所の播州清水寺と最短距離で結んでいるため、非常に便利な道筋です。

 ただ、札所の順序に関わりなく一乗寺を目指すなら、山陽自動車道の加古川北ICが最寄りの出口になるようです。

 私たちは、加西市の国道を、市域の南部を横断するように突き進み、市の南西隅で県道に移ります。そして、農地の道を進んだ先で少しだけ山道へ。やがて、谷間の道の右側に、一乗寺専用の駐車場が現れます*1

 駐車場から先の道は、趣のある歩道です。およそ100mの県道沿いには、白壁と植栽に挟まれた、石畳を模したような心地よい歩道が続いています。

 

※駐車場から一乗寺入口へと続く趣ある歩道。

 

 入口

 やがて、白壁が途切れると、右側に「法華山 一乗寺」の石柱です。そして、その先を右に入って、受付の建物へと近づきます。

 

法華寺の石柱と入口付近。

 

 入口の正面には、香炉のような置物や石柱が並んでいます。その奥は、真っ直ぐに山の斜面に延びていく、石段へと続く道。右手に見える白壁も美しく、あたりには、静寂感が漂います。

 私たちは、石段手前の受付で拝観料500円を支払って、石段に向かいます。

 

一乗寺の入口。

 

 石段に近づいたところの風景をもう一度、ご覧いただければと思います。神聖な山の中の境内に踏み込むように、厳かな空気が漂う空間です。

 

※境内へと向かう石段。

 

 常行堂阿弥陀堂

 一つ目の石段を上ったところには、常行堂と名付けられた、二層の屋根を配している古いお堂がありました。元々は、聖武天皇の時代の中で建立されたようですが、今残る建物は明治初期の再建です。

 別名、阿弥陀堂と呼ばれることから、阿弥陀仏が祀られているのだと思います。

 

常行堂

 

 三重の塔

 さらに続く石段を上って行くと、その先に三重の塔が見えました。境内の斜面に聳えるこの塔は、ずっしりとした重みのある建物ながら雅さも備えています。1174年の建物で、国宝に指定されているということです。

 

常行堂から上を窺うと、三重の塔が聳えています。

 

 2つ目の石段を上り進んで、三重の塔に迫ります。見上げると、複雑に絡んだ木材が、巧妙に配されている様子が見て取れます。これが歴史の重さでしょうか。長い時間を耐えてきた、誇りさえ感じ取れるような建物です。

 

 

※三重の塔。

 

 本堂

 三重の塔を通り過ぎ、最後の石段に向かいます。見上げると、立派な本堂の建物が、石段奥に構えています。

 屋根を見ると、かなり大きな入母屋造り。資料には、650年の創建以降、何度か火災などにみまわれたため、現在残る本堂は1628年に建立された5代目の建物になるということです。

 

※本堂へとアクセスする最後の石段。

 

 石段を上りきって、反対側に回ったところが、本堂の入口です。木の階段と廊下を伝い、本堂に入ります。

 堂内で、十一面千手観世音菩薩のご本尊にお参りし、御朱印を頂きます。

 

一乗寺の本堂。資料には、金堂、大講堂、大悲閣とも書かれています。

 

 縁起

 寺院で頂いた資料によると、一乗寺は、650年法道仙人の開山で、孝徳天皇の勅願による官刹であった、と書かれています。

 そう言えば、先の播州清水寺も、同じ方の開山ですが、年代は随分と離れています。(播州清水寺は、第12代景行天皇が治められていた時、と書かれているため、3世紀~4世紀の頃。)おそらく、法道仙人という方は、伝説の人物なのでしょう。

 

 古代の播磨は、吉備の国も近くにあって、大和とは一味違った勢力圏を形成していた様子です。このような時代において、神仏を崇める対象が、これら古刹の由来となって引き継がれてきたのかも知れません。

 大和の王権は、こうした地域を味方につけて、権力の拡大を図ってきたのだと思います。因みに、第15代応神天皇の母親の神功皇后(実在は不明とされていますが)は、その母親が播磨の国の出身です。

 

 

 本堂の回廊から境内を見下ろすと、先ほどの三重の塔が目の前にあり、その奥には常行堂の屋根なども見えました。

 山の谷間に開かれた歴史ある寺院の境内は、ひっそりと木々に囲まれ、その姿を隠しています。

 

*1:駐車場の料金は、”環境整備協力費”として、300円となっています。